関ヶ原の戦い 小早川秀秋が西軍のままだったら | 梓慕情の眼仁奈釣り日記、お散歩日記

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9月15日は、関ヶ原の戦い。
今年1月にNHKで放送された、ザ・プロファイラースペシャル 関ヶ原3つの“IF”
*2019.10.3BSプレミアムで放送



小早川秀秋
叔父の羽柴秀吉の養子になる。
天正17年(1589年)秀吉の後継者候補として7歳で元服。丹波亀山城10万石の大名になる。
文禄3年(1594年)小早川隆景と養子縁組。
筑前國国主30万7千石の大名になる。


19歳で関ヶ原の戦いに参戦。





9月15日 午前6時、東西両軍が布陣を完了。

松尾山城

松尾山からは、関ヶ原が一望出来る。

午前8時、東軍 井伊隊が西軍 宇喜多隊に向け発砲。
開戦の火蓋が切って落とされる。

東西両軍からの狼煙、伝令に反応しない。
*若き将は悩む…

石田三成からの誘い。

徳川家康からの約束。

家康からの威嚇砲撃に…

正午過ぎ、西軍 小早川秀秋が動いた。
松尾山を下り向かった先は…
西軍 大谷吉継の陣に向け突撃。
事前に小早川に備えていた大谷隊は、押し返す。
*やはり来たな金吾!
小早川秀秋の裏切りに反応した、赤座・小川・朽木・脇坂も東軍に寝返った。

小早川秀秋が寝返り、攻撃された大谷吉継は幾度も押し返すも壊滅・自刃する。
*大谷隊は、横に小早川、前に寝返った4つの部隊に攻撃を受けた
大谷隊を壊滅した、小早川ら東軍に寝返った部隊は宇喜多隊を攻撃敗走させる。

西軍の主力だった宇喜多隊の敗走により、西軍は総崩れをする。

僅か半日で決着。



小早川秀秋が西軍のまま参戦していたら…


午前8時、開戦。

豊臣恩顧の福島正則が、真っ先に西軍に斬り込む。

東西両軍は一進一退の攻防。

南宮山の毛利勢が動いた。
吉川・安国寺・長束・長宗我部は中山道へ。

毛利秀元は、南宮山の南へ下り伊勢街道から北上。

家康の後方を守備する、池田・浅野・蜂須賀・山内らは壊滅。
家康本陣は前進するしかない。

中山道を西進する吉川・安国寺・長束・長宗我部、伊勢街道を北進する毛利が、東軍を完全に包囲。

次々と東軍は壊滅。

屏風図に、3人の人物が描かれていない。



小早川秀秋

小早川秀秋は論功行賞で、美作・備前55万石を治める大名に。

関ヶ原の戦いから二年後、21歳でこの世を去る。
大谷吉継の祟りと言われる逸話が残る。
秀吉の養子として、幼少時からの大名による接待で飲酒(アルコール依存症)が原因。
*無嗣断絶により小早川家は改易