関ヶ原の戦い 西軍 小西行長の陣跡 | 梓慕情の眼仁奈釣り日記、お散歩日記

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島津義弘の陣の南側にある、北天満山に関ヶ原の戦いで西軍に参加した小西行長の陣跡があります。

小西行長
戦国時代から安土桃山時代の武将・大名。
肥後國宇土城主。キリシタン大名。
永禄元年(1558年)泉州堺の商人・小西隆佐の次男として生まれる。
宇喜多直家に、才能を見出され商人から武士になる。
豊臣秀吉にも、才能を高く評価され秀吉の臣下になる。
秀吉政権下では、舟奉行に任命され水軍を率いる。
天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州平定で功をあげ肥後國南半分20万石が与えられた。
二度の朝鮮出兵で活躍をする。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは西軍で参加。
奮戦するも、小早川秀秋の裏切りで大谷吉継軍が壊滅、宇喜多秀家軍は崩れ小西軍同じくも崩れた。
伊吹山に逃げるも捕縛される。
京の六条河原で、石田三成、安国寺恵瓊と共に斬首。





笹尾山 石田三成の陣










続く