昨日、母のことで、「少しずつのお別れ」と書いた。
会うは別れの始めなり、という言葉があるが、それは、人は会えば必ず別れなければならない、という無常さの中にいることを思わさせる。
私は今、ステージ4の前立腺がんで、小康はしているが、余命のことは常に念頭にある。だから今ある人間関係はやがて終了することを意識して生活している。
「少しずつのお別れ」は、母に対してだけでなく、妻や家族や友人に対しても同様なのだ。
前立腺がんという病いは、個別性はあるが、ラストまで数年を要する場合が多い。少しずつの別れができるという意味では恵まれた病いといえる。
このアメブロの闘病記の中でも、余命を強く意識せざるを得ない思いの方も数多くいらっしゃる。
どちら様も、少しずつお別れを交わしつつ生活されていることだろう。
どちらが先かは関係なく、少しずつのお別れ、お別れの練習は、死を定められたヒトとして大切なことであり、そうとらえることでより今の生活が豊かに彩られていく。