前回からの続きです。
前兆はあったのです。
実は、中学校の卒業式前1ヶ月間程は毎日吐きまくっていて脱水症状も酷く、
まったく学校へ通えなくなってたのです。
高校の制服を作つために制服屋へ採寸に行くこともままならず、
母親も流石に慌てていました。
自分の足で歩けないような状態でしたが、なんとか車に乗せてもらい、
制服屋の前に車を着けて店内へ介助してもらいながら入り、
採寸して制服を作ってもらったという状態でした。
しばらく自宅に閉じこもって少しずつ体力を戻し、
どうにか高校生活を始めたものの、
入学してG.W.を過ぎた頃、やはり栄養失調と脱水症状で私は学校へ通えなくなっていました。
何件かの町医者へ連れて行かれ、
胃薬や吐き気止めを処方されましたが、良くなりません。(当たり前)
大学病院へ連れて行ってもらいましたが、検査の予約を取れたのは1ヶ月以上も先でした。
自宅の寝床で、ポカリスエットと吐くためのバケツを抱えながら検査の日を待ち始めましたが、
脱水症状は酷くなり、体はしびれて動かず、意識も混濁し、死の恐怖から過呼吸にも陥る状況でした。
いま思うと、なぜ救急車を呼んでもらえなかったのかわかりません。
舌もしびれて体も硬直し、私が寝床で死の恐怖から声にならない声を出し涙とヨダレを垂れ流していても、
母親は仏壇の紙切れに祈り、父親は枕元で悪霊退散の三文芝居をしていました。
舌のしびれと体の硬直が少し弱まったタイミングで、
「病院に連れて行ってくれ」と頼みました。
既に夜遅い時間だったようですが、ここで私の願いが届きました。
父親の車に乗せられて、検査の予約を入れてあった
大学病院の救命センターへ運んでもらうことが出来たのです。
まずは採血なのですが、なにしろ脱水症状が酷いので血液がドロドロなのか採血できません。
採血できないと、なにもわかならい状態なので治療も始まりません。
夜間に救命センターにいる医師だけでは何も判断できないようで、
とにかく救命センターの病棟に入院して点滴で脱水症状を緩和させる、ということになったようです。
(脳梗塞や心筋梗塞にならず、幸運でした)
両親がいつ帰ったのか、記憶が定かではありませんが、我に返ったときには暗い病棟のベット上でした。
夜の救命センター病棟は、あちこちからうめき声が聞こえてきてとても恐ろしいところでしたが、
数時間前迄の死に恐怖に比べればはるかにマシでした。
この日から、絶望と希望を行ったり来たりではあるものの、
まともな医療支援のある闘病がスタートすることとなります。
続きます。