例えば痛みある人の話を聞く時は | ❀lightStream❀

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‥…━━ 光と水✧˖°

向かい合い対面で話すのではなく、

相談者と同じ方向を向いて話をすることだ。

 

これは物理的なテーブル上の向かい合いを言っているのではない。

内面の話だ。

 

そうしないと、痛みある人や悩んでいる人の景色は見えづらい。

 

誰かを救おうなんてのは生易しいものではない。

力になれるかなんてことはおこがましくもあるし、

その人にならないと本当のところはわかることはない。

 

けれど、寄り添いお力になれるようする立場なのなら、

まずは同じ方向を見てみることだ。

 

フリではなく。

 

雲の上の高みに上った気分で

あーだこーだ言っても、

崇拝したい人にはキャラクターとしては響いたとしても、

悩みの芯には届かない。

 

自分がたどり着いたところはあなたとは違う、

とするのも

傲慢、優越感、勘違いである。

 

仮に真実ではすべてを知っているとしても、

俗世界的には誰も

すべてを把握していない。

現世は現世だ。

 

傲慢さや優越感を持つものは、

寄り添ったふりをしても、いずれ空回りしてしてまう。

 

師としてどうみられるかを意識して着飾るのは、

舞台と観客という関係があるからだ。

 

舞台にいることだけが生きがいになり始めたら、

拍手だけを求めるようになっていく。

 

師とて、勉強を重ね、変化を重ねてもいい。

失敗もしていい。

懺悔してもいい。

 

自分は動かずして、大きくみられようとするのではなく、

自分が歩いてそばに寄る。

頭を下げ、

師としての立場になればなるほど

学ばさせていただいていることを忘れないことだと思う。

 

 

あなたが知っていることは

誰かを助けるかもしれない。

 

誰かが知っていることが

あなたを助けてくれるかもしれない。

 

お互いに

お互いが補い合う。

 

もっと自由に。

自分を通して学ぶ。

遠慮なく。

恐れることなく。

 

この現世にいる限り。

 

 

あなたなのだから。

わたしなのだから。