読書記録 2014年(4) | れぽれろのブログ

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美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

最近読んだ本の覚書。
「読書メーター」への投稿と、それについてのコメントです。


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■近代日本思想案内/鹿野政直 (岩波文庫別冊)

<内容・感想> ※読書メーターより
幕末以降敗戦までの日本の思想を俯瞰した本。
主要な思想家の著書と思想の概略が纏められています。
啓蒙思想・自由平等・宗教・民本主義・社会主義等々分野ごとの記載と
なっており、また、いわゆる哲学や政治思想だけではなく
人権論・民俗学・科学思想・フェミニズム・反戦論など、
社会や文化に関する割合が比較的多いのもこの本の特徴だと思います。
そして、日本を考えるうえで重要なのが欧化/国粋の揺らぎ、
及び独特の国体論であると感じます。
現代社会を考えるうえでも重要だと思ういくつかの著作については
追って読んでみようと思います。

<コメント>
自分はいわゆる「情報の羅列」といったようなものが割と好きで、
ある分野のことを網羅的・辞書的にまとめてある本を読んだりするのも
結構好きな方です。
なので、この本のような「全体を俯瞰する」タイプの本も好きだったりします。
岩波文庫の別冊は、「フランス文学案内」や「ドイツ文学案内」も、
過去に楽しく読みました。

自分は日本の思想を俯瞰する本も何冊か読んだことがありますが、
この本の特徴としては、上記のとおり哲学や政治思想以外の思想についての
記載が比較的多いことだと思います。
逆に、右翼系の政治思想なんかはあまり取り上げられていません。
このあたりは出版社の特徴なのかもしれません。

この本を読んでとくに重要だと思ったこと。
戦前の思想を考える上で最も重要なことは、国体の問題であると感じます。
戦前においては、どんな著作者や思想家であれ、
国体の枠を超える主張を述べたり、本を出版したりすることはできません。
(国体の枠を超えると、検挙されたり検閲により削除されたりする。)
戦前の知識人は皆このことを念頭に置いて、思想を展開しています。
なので、当時の著作を読む場合は、このことを割り引いて
内容を読み解く必要がある・・・。
このことが戦前の著作を読む上で重要なポイントとであると感じました。

この本の思想家の中では、和辻哲郎、宮本常一、丸山眞男、鶴見俊輔なんかは
少し読んだことがありますが、それ以外の人の著作は読んだことがないので、
追って読んでみようかなと考えています。

<関連記事>
「フランス文学案内」の感想 → 
「ドイツ文学案内」の感想 → 


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■私たちはどこから来て、どこへ行くのか/宮台真司 (幻冬舎)

<内容・感想> ※読書メーターより
宮台さんの濃厚かつ情報過多な社会分析の本。
<生活空間>が衰退し<システム>が社会全体を覆うのがポストモダン。
<生活空間>の衰退により妥当な民主制・公共性を駆動させる力が衰えることが
グローバル化を背景とした先進国共通の問題。
さらに日本では<生活空間>の意識的な残存が手遅れであり、
悪しき共同体・悪しき心の習慣の残存という独自の問題があると説かれます。
かかる問題解決のための一手段が住民投票を通じたパターナルな
植え込みであるとのこと。
濃厚な現状分析に感染し、前に進むための動機付けが得られる
一冊だと思います。

<コメント>
前回の読書の記事に引き続き、宮台さんの著作の感想です。
この本はかなり「濃い」本です。
過去の講演や講義などをまとめて文章化しなおした本ですので、
内容的には各章にかなり重複する部分もありますが、
全体として情報がみっしり詰まった本になっています。
分かりやすく論理を展開していく本ではありませんので、
人によっては非常に読みにくく、散漫でまとまりのない印象を
受けるかもしれません。

タイトルと表紙は、ゴーギャンの絵画
「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」
に由来します。
その他、各章の小見出しの字数を一致させてあったり、
細かい遊び心も見受けられます(笑)。

この本は、我々の生きている社会の問題点(難点)を中心にまとめられており、
問題解決に向かう一案は書かれていますが、具体的で詳細な処方箋は
書かれていません。
問題解決が容易ではないような問題点を把握することが、
この本の目的なのだと思います。

少し読みづらい本だと思いますし、
上記の<内容・感想>の記載だけでは何のことかわからないと思います。
以下、自分なりに、要するにこういうことなのだということを
"超意訳"でまとめてみます。


人は一人では生きていけません。
生きるための日々の雑務をこなすこと、あるいは精神的安定のために、
他者を必要とします。
一緒に生活する、ともに生きる人が必要。
誰かとともに生きる、感情の安定と相互承認の場、これが<生活空間>です。

原始社会では、<生活空間>が生きる場そのものです。
時代を経て社会が進歩すると、村や町や国家ができてきます。
これが<システム>です。
人は<システム>により、全体の中の一部分の機能として動くことを要求されます。
役割が割り当てられ、マニュアルを参照し、<システム>を回すために人は動く。
社会のルール、道徳や法律や社会通念、人と人との暗黙のルールができていく。
国家や企業などの組織はもちろん、学校では生徒としての役割を演じ、
家庭でも「よき父親」「よき母親」「よい子」という役割を演じるようになる。
あまつさえ、友人や恋人同士でも「よき友人」「よき恋人」としての役割が
必要になったりします。
このように、<システム>が全域化し、感情的安定のための<生活空間>が
どんどん縮小していくのが、近代という時代です。

100年200年前と比べると、我々の社会はすごく安心・安全・便利・快適に
なっています。
しかし、なぜ我々は幸せではないのか、幸せを感じることが難しいのか。
それは、感情の安定と相互承認の場である<生活空間>の喪失が
原因ではないのか・・・。
逆に、感情の安定と相互承認の場があれば、
人は貧しくても幸福なのかもしれません。

一方現代では、<システム>そのものを維持していくことも、
すごく難しくなっています。
天災や人災により、<システム>は簡単に暴走します。
911テロや311原発事故はその代表。
企業などでマネジメントに携わる人ならお分かりと思いますが、
<システム>をマネジメントすることは容易ではありません。
現代人は、人生のかなりの労力を、<システム>そのものを維持することに
費やす必要がある。
その仕事に対する動機付け、安心・安全・便利・快適な<システム>を
維持するためのモチベーションもまた、感情の安定と相互承認の場たる
<生活空間>に由来します。
<生活空間>の喪失が、<システム>の機能不全に直結する。

さらに問題なのがグローバル化です。
昔は先進国/途上国という分類がありました。
欧米の50年代~70年代の繁栄、日本の60年代~80年代の繁栄は、
途上国の犠牲の上に成り立っていました。
しかし現在はグローバル化の時代、先進国/途上国という国家間格差は消え、
各国とも国内での格差が増大していきます。
この国内格差が、社会内の相互対立を招き、その結果衆愚化が進み、
民主政治が困難になっていく・・・。
このことが、かつて先進国と言われた国が現在共通に直面している問題であり、
そして、経済成長を達成したかつての途上国も、
今後同じ問題に直面するであろうことが予想されます。

以上が近代を経由した先進国共通の問題ですが、
さらに日本にはこれに輪をかけて、合理性・倫理性を参照せず、
空気を参照するという悪しき心の習慣があります。
倫理的な正しさ・合理的な優先順位を志向できず、
「なんとなくこっちへ向かってるから惰性でそっちへ行ってしまう」
「みんながこういう方向に向かってるから仕方ない」という態度。
日米開戦が避けられなかったのも、原発をやめる道筋をつけることが
できないのも、空気を参照するという悪しき心の習慣、
そしてそういう空気を醸成する悪しき共同体の伝統のせいです。
空気は時にモードが変わりますが(例えば戦前の国体から戦後の民主主義へ)、
空気自体を参照する態度はずっと変わらない・・・。
感情の安定と相互承認の場である<生活空間>を残すことができず、
空気を読むことを強いる悪しき共同体だけが残っている・・・。
日本社会の様々な問題もこのことから説明できるようです。

では、どうすればよいか。
合理性を尊重し、<生活空間>を再構築できるような人材を作り出すこと。
この本に書かれているような事態、現代社会の問題点を把握する人が、
そうでない人に対しパターナルに価値を埋め込む(教育する)、これしかない・・・。


・・・と、こういったことが書かれている本です。
(全然分かりやすく書けていない・・・笑)

自分は宮台さんの本を読むと、何だか不思議と勇気を与えられます。
衒学的な面もありますし、とっつきにくい本だと思いますが、
深く読むときっと生きる力が湧いてくる本だと思います。


<関連記事>
「「絶望の時代」の希望の恋愛学」の感想 →   ※1番上
「おどろきの中国」の感想 → 
「「空気」の研究」の感想 → 


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■イスラーム文化-その根柢にあるもの/井筒俊彦 (岩波文庫)

<内容・感想> ※読書メーターより
イスラムのポイントがよくわかる本です。
イスラム教はコーランを巡る解釈学であり、唯一絶対神を掲げる一神教で、
来世(審判の後)の幸福を期待する宗教でありながら、
現世での幸福をも重視する宗教。
これが主流であるスンニ派の考え方で、
生活と宗教が一致した合理的・包摂的な宗教ですが停滞的でもあります。
一方で幻視的かつ論理的なシーア派、
その他の神秘主義的な分派もあるとのこと。
81年の講演録のため、前提にオイルショック・イラン革命・イランイラク戦争が
あります。
湾岸戦争・911・イラク戦争以降の本も読んでみたくなりました。

<コメント>
上記の宮台さんの著作と打って変わって、ものすごく分かりやすい本です。
イスラムの知識が全然なくても読める本だと思います。
昔、高校生の世界史のイスラムの授業で、先生が話されていた内容なんかも
おぼろげながら思い出してきました。
結構この本を元ネタにしゃべっている高校の先生もおられるのかもしれません。

イスラム教はキリスト教との比較で考えると理解しやすいように思います。
なので、キリスト教の前提知識が少しあれば、より読みやすいと思います。

少し考えたこと。
宗教と地域性・民族性。
アラブ人の間に広がったイスラム教はスンニ派となり、
安定と停滞をもたらしました。
ペルシャ人については、その民族性や文化的特質から、
シーア派に分離していきました。
トルコ人は、他のアラブ系とは少し異なり、やや西欧的・近代的な道を
選ぶことになりました。

イスラム以外、例えば
キリスト教においても、プロテスタントが生まれてから以降も、
南欧のラテン系ではカトリックが残り、
そして東欧のスラブ系諸国には正教が残りました。
中国や日本にも仏教やキリスト教は伝わりましたが、
どちらかというと本来の宗教としてのエッセンスが無化され
世俗化して一つの習俗・文化となっていっているように見えます。

どんな宗教も、結局はその地域や民族の特徴と習合していくのではないか・・・。
なんとなくそんな仮説を考えました。