↓こちらの続きになります。

 

 

 

 

芦高神社の次に案内をしていただいたのは、帽子のような山の兜(甲)山です。

時間がなかったので、兜山の全貌がよく見える海岸へ案内していただきました。

 

この山は、「神の山」と言われているようで、山頂に熊野神社があるといいます。

 

ここに登ると、久美浜湾、小天橋、日本海が一望できるようです。


 

もともと、この地である久美浜町は【京都府熊野郡】にあった地名で、いまでは京都府京丹後市久美浜町になっていますが、

 

もともとの「熊野」という地名が2004年になくなった、といっておられました。

 

 

熊野神社というと、出雲の熊野大社、和歌山の熊野本宮大社が有名ですが、

 

伴先生は、丹後にある熊野神社が始まりであろうとしています。

 

久美浜(くみはま)のくみ→くむ→くま

 

そして、「くま」とは神のことである。

 

なぜ、兜山というかというと、

 

神の山→こうやま→甲山→兜山 

 

神山が兜山になったそうです。

 

兜山の神の山が「熊野」であろうと。

 

つまり、兜山がご神体となって、熊野信仰ができたようです。

 

 

兜山は霊山であるらしいのです。

大昔は修験者がいたようですが、今はそういう施設はないようです。

 

 

 

私が、出雲の熊野大社へ行ったとき、祀られているのはスサノオと称して、天香語山命である大彦ではないかと思ったのですが、

 

熊野信仰というのは、天香語山命(私の中では高倉下)が広めたようです。

和歌山の熊野本宮大社の開祖は高倉下のようですし、出雲の熊野神社は659年に祭られたそうですから、こちらは年代的に新しいようです。

 

熊野神社というと神武天皇を助けた八咫烏を思い浮かべると思います。

たぶん、普通の人は「熊野神社=八咫烏」と考えるのではないでしょうか。

サッカーのシンボルマークにもなっていますからねぇ。


 


 

 

 

八咫烏は私の中では天村雲命(賀茂建角身命)であり、下鴨神社(賀茂御祖神社)とか上賀茂神社(加茂別雷神社)とか二葉葵の【かも】に関係していると思うわけです。

 

ところが、ここ久美浜の熊野には八咫烏は出てこないようですよ。

 

逆に下鴨神社に熊野が関係している記述はなかったと思います(ちゃんと探していないけど普通に探して出てこない)。

 

なので、熊野神社と八咫烏は別のものだったと言えそうです。

 

 

すると、和歌山の熊野神社は、天香語山命(高倉下)の熊野と八咫烏である天村雲命が、合体して祀られたとした方がよさそうです。


 

そういう特殊な熊野神社が和歌山の熊野本宮大社だと考えた方がよさそうです。

 

 

ちなみに、下鴨神社こちらに祭られている玉依姫は、神武天皇のお母さんですから、上賀茂神社のご祭神であるが加茂別雷が神武天皇?ということになります。

(ここにはトリックがありそうですけど)。

 

 

話はそれますが、私の中では、こうだと思います。

神武東征の折、和歌山の山奥で助けたのは…

 

父神(天香語山命)+玉依姫の父神(天村雲命)

 

の親子神の活躍があったから、ということになります。

 

これは計画的ですねぇ。陰謀でしょう。

神武東征は計画的陰謀によって行われた、と思った方がよさそうです。

天香語山命と天村雲命のクーデターですね。

 

 

丹後熊野信仰+京都下鴨神社の八咫烏→和歌山の熊野本宮大社


 

 

不思議だったのは、丹後に天村雲命の気配を感じなかったことです。

 

京都駅から「寄っていけ!」とか、新幹線に乗っていると三島駅近くで「寄っていけ!」と、散々、私を呼ぶ天村雲命が、丹後にはいなかった…。

 

どこかに祭られているかもしれませんが、声をかけてきませんでした。

 

 

兜山の話に戻ります。

ご神体に登って、降りてくるのに1時間ほど、かかるというので、今回は兜山のお姿を拝ませていただくことにしました。

 

兜山の中腹には『大』の字が見えまして、8月には大文字焼きが行われるようです。

大彦(天香語山)の『大』かしら?

 


 

 

斜陽の太陽が久美浜湾の海を照らして綺麗でしたー。

じつは、夕日を見たかったのでこのあたりから、次の神社を目指すことにします。


 


 

 

つづく