〝出雲〟の意志その4
~お札の言葉~
●10/11 出雲大社守護
(出雲大社のお札の神さま、こんばんは)
紹介した姫の言葉を聞いたか?
(あれ?出雲大社のお札は饒速日大神ですか?)
言葉は同じ神だ。
(スサノオ?)
オオナムチ、アマテルクニテルヒコ。
選択は終わった。千春のことを知らないと思ったか?
(いや~、私が認識していなかったから)
出雲のことはコトシロヌシに任せてある。
(Zzz…中断)
テンシの言葉を皆に知らせよ。
(はい。どうぞ)
徐々に昔の意識がよみがえってくる。
(…中断…すみません。どうぞ)
大国主の御霊は国常立大神の御霊を戴くことでこの世の統治をすることになっている。
(あら、天照大神じゃないのですか?)
ハハハハ。
天照大神というのが国常立大神なのだ。
(エーッ!知りませよ)
天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)ばかりがアマテラスではない。
アマテラスとは太陽神である。陽の神でなくてはならぬ。
その意志を体い入れたものがアマテラス…。
(Zzz…)
もうよい、次第に今の世は崩壊…。
(Zzz…)
●10/12 出雲日御碕神社の札
(こんにちは)
書きますか?
(はい。ここは女神に感じる)
日沈の宮へようこそいらっしゃいました。
千春さんのことは以前から存じておりました。
(あら、どうしてですか?)
千春さんは、出雲の国に初めて来たとお思いでしょう?
(はい。始めて訪れました)
ここの仕組みは今も昔も変わりません。
日の沈む方向は夜を迎えるための方角だからです。
夜の闇は船頭がいなければ迷います。迷うという言葉の意味が分かりますか?
(〝魔寄う〟魔が寄るですか?)
はい。
暗闇の中でかすかな灯を頼りに日中の光を嫌う者たちが集い、生きた者たちに寄ってくる仕組みです。
何も怖がることはないのですが、陽を嫌う者たちの対処は…
(Zzz…)自分をさらけ出す怖さが、夜の闇をつくり出しています。
その夜の闇を今まで見守り、発展した世をつくり上げた神として、陽のない時間を楽しく過ごしてきた者たちとお別れの時が迫っています。
さようなら、千春さん。今まで、暗闇のアマテラスとして、この世に君臨していた時代はおわりました。
八坂さんの神として、いままでそっと八坂さんを見守ってきました。
暗闇の中にあった自分を探し出し、陽の当たる窓辺へそっと移した八坂さんの仕事ももう、おしまいです。
八坂さんにいた神がその役目を終えることを、八坂さんに知らせてあげてください。
八坂さん、さようなら。そのままつながりを斬ってください。
(あら、八坂さんの神って伊勢のアマテラスではなかったですか?)
はい。
(伊勢神宮にエネルギーは感じませんでしたが、ここにいたのですか?)
長い間に封印され続けました。スサノオを闇に押し込んだものたちを、ここのアマテラスとともに日沈の宮へ封印します。
がっかりしないでください。千春さん。今までのことは、忘れません。遠い昔、ここにいたことを思い出してください。
(全く、記憶にございません!)
クシナダヒメを次の世へ送ります。
(クシナダヒメと私って、どういう関係なんですか?どうして、クシナダヒメがアマテラスなんですか?
どうして、スサノオの妻でなくて、国常立大神の妻なんですか?)
その話は理解できることばかりではありません。
(ここで聞こえなくなった)
●10/12 須我神社の札
(須我神社の神さま、こんにちは!)
探している者は見つかったか?
(探していたものってなんですか?)
心に潜む光。過去の光が戻ってきたな。
未来を開く鍵を持つ者よ。
(…中断…)
仕組みはかわった。
出雲の神が入れ替わった。そなたの持つ、その霊力がこの世を照らす。
(ここで聞こえなくなった)
●10/12 熊野大社の札
書く言葉はもうない。日の沈の宮へ全ての神が集結する。
新し神を迎え入れたからだ。浜に集まる神々を出雲のちより始まる新しき神として、全国の神社へ送る。
伊勢に沈まれし、日神よ。新しき黄金の光、携え給え。
●10/12 アマテラス
千春さん、アマテラスです。
(アマテラス?日御碕神社のアマテラスですか?)
クシナダヒメのアマテラスです。
(どうして、クシナダヒメがアマテラスなんですか?)
クシ・イナダ。本当のアマテラスなのですよ。
(それは卑弥呼と関係ありますか?)
ヒノミコです。ヒノミコがアマテラスになりました。
(ふ~む、卑弥呼と言われている人は大和の箸墓古墳に眠っているんじゃないですか?
たしか、古墳には〝大市墓〟と書いてあったとおもいます。倭迹迹日百襲姫命の墓)
古い話ですから、時代もはっきりしないことでしょう。市の開く場所を大市といいます。
どこにでもある地名で、ある場所で暮らしていれば、そこの地名が姫の名前になります。
〝大市〟という名はたくさんあるということです。
(では、スサノオと神大市姫の間に生まれた年の神やウカノミタマノ神は?…中断…)
アマテラスの子として日本を統治してきました。
水平線のかなたにいる日神を千春さんの…。
(Zzz…)
…玉造の湯に浸かったのが年の神です。
海を見渡せる…。
千春さんの役目はその昔も今も、陽の神に仕えることです。
(日神とはだれですか?)
陽の大神。
(陽の大神とはスサノオなんですか?)
千春さんの国常立大神も陽の大神です。
命に陽が差し込んだものを陽の大神といいました。
稲田はそこに仕える巫女でした。
(ここで言葉は聞こえなくなった)
須我神社の御祭神『清之湯山主三名狭漏彦八島野命』は、大己貴神=大名持神=大穴持神=大国主=年の神(大歳神)=天照国照彦天火明櫛玉饒速日命が本当なのかもしれません。
スサノオの後ろ、先祖に国常立大神がいたのでしょう。
太古の大昔は女性が先祖神をお祭りし、お神酒を醸したようですから、クシナダヒメが国常立大神をお祭りしたのかもしれません。
最近、読んだ『ふしぎ発見の旅 ガイドブック「出雲国風土記」(Image Forum ザ・出雲研究会)』にこんな話が載っていました。
島根県出雲市掛谷町多根という場所は大昔は〝多禰郷〟と呼ばれていたそうで、出雲風土記の伝承では、多禰郷の地名起源は「オオナモチがスクナヒコと国巡りをしていたとき、稲種をここに落とした。それで種(あとに多禰)」と記されている、と。国道54号線の多根トンネルを出て、西に入り、急な谷に沿っ登り切った上多根地域(標高300メートルだそうです)には緩やかな水田地帯が広がっており、その中央付近に〝多根神社〟があるんだそうです。上方の水田の一角に『大年の神田』と刻む石碑が立っているとあります。
この碑は『大国主神田碑』というそうです。そして、下多根にもその碑があると書いていありました。
大国主=大年
昔の出雲の人は、大国主=大年(大歳)は一般常識だったのかもしれません。
そういえば、古事記に
〝崇神天皇の代に災害や疫病が続いたときオオモノヌシが天皇の夢枕に示現してオオタタネコに我を祭らせよと語った。そこで託宣のとおりにしたところ災いは去った〟という話があります。そこに出てくる大田田根子は、出雲風土記の多禰郷と関係あるのかもしれません。
大田田根子は大物主の子孫のようですから。大国主が落とした種は〝胤〟だったかもしれません。
大物主=大国主=年の神=天照国照彦天火明櫛玉饒速日命
とも言えそうです。
年の神は、父スサノオとたたら製鉄を広めるとともに、水田の普及をして稲種を植えるよう、国民に水田づくりを奨励していったのでしょう。
それで、稲の一年を『歳(年)』とし、稲の神として、東京上野、下谷のお稲荷さん(下谷神社)に鎮座しているのかもしれません。
もしかしたら、お稲荷さん(ウカノミタマノカミ)=年の神=大国主のことなのかもしれません。
余談ですが『島根の逆襲(出川卓+出川道 著)』の著者は冶金のプロで、資源から島根県を見ると、出雲は資源の豊富なところで、鉄や銀(石見銀山)のほかに、日本最古の銅山があったと書かれていました。
出雲大社の裏山(鷺銅山)あたりなど、あの辺は「自然銅」の露頭があったらしいです。
私がネットで調べてみると、大きなものは、牛の胴体のようなものもあったといいますし、純度は高くて約97,8%ともいわれているようです。荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡などに出土した、たくさんの銅鐸や銅剣などから、鉄だけでなく、銅の産地だったとも受け取れます。
私たちが、コーヒーの祟り神に連れられて行った、出雲大社摂社、伊奈西波岐神社がその場所のようです。
出雲大社から約7キロも離れた場所に摂社があるのは、伊奈西波岐神社だけでした。なんでこんな遠くに摂社?と思ったのです。
トイレに寄っただけでしたから、詳しくみてこなかったのですが、細い山道を抜けると、いきなり街並みが現れました。
そこは鷺浦という港町でしたが、どこか懐かしい感じの街並みでした。
鷺浦港はその昔は、銅鉱石の積出港であり、江戸時代、明治初期は北前船の寄港地だったようです。
出雲大社の素鵞社の裏山がまさに、銅山。出雲大社に感じたエネルギーは銅のエネルギーなのでしょう。
『島根の逆襲』の著者は「出雲大社本殿の位置を考え合わせると、銅山はまるで御神体です」と言っています。
近くには石見銀山もあり、銀の精錬に必要な鉛も近くで産出(五十猛鉱山)されたようで、島根県は資源国家だけでなく、金属技術大国だったとも言えます。
玉造温泉はメノウの産地でもありますから、大国主が〝大穴持〟といわれたのは、〝鉱山の持ち主、オーナー〟という意味で〝大穴持〟といわれたのだと思います。
本の著者もそういっていました。
穴は鉱山、金属と関係あるのかもしれません。
東京都新宿区西早稲田にある穴八幡、東京都大田区大森近くの穴守稲荷(島根県に太田市大森町という場所があり、大森銀山があるようですが、東京都大田区大森の地名は偶然でしょうか)も金属と関係あるかも?です。
時代が下がり、大国主(饒速日大神)やその一族(物部氏)を隠したかった、藤原氏によって、大国主(饒速日大神)はたくさんの名前が与えられ、出雲と伊勢に封印させられたのかもしれません。たたら、たたり、祟り。
大国主であり大物主(たたらの神、金属精錬の神)の霊力を封印したことが、〝祟り〟と呼ばれた所以かもしれません。
祟り神と言えば、大物主もそうですが、お稲荷さんも祟る神です(コーヒーの祟り神は年の神さまでした!)。
それに、忘れてはいけない祟り神、菅原道真公も出雲の出身だそうです。生誕地は松江市宍道町菅原にある『菅原天満宮』だそうです。
道真の父親が出雲国庁に赴任していた際、菅原氏の祖先であるに能見宿禰(にみすくね)の墓参りをし、そこで知り合った村娘との間に生まれたのが道真のようです。
道真6歳で京にあがるまで、この地で過ごしたようです。
須我神社から玉造温泉へ向かう途中、車で流れていく風景の中で、菅原天満宮の看板を見つけ、なんでこんなところに?と不思議に思ったのでした。
場所からして、たたら製鉄と関係ある一族だったのでしょう。
もう一つ、不思議に思った光景がありました。トイレの祟りで寄った愛宕山公園からの道で『武蔵坊弁慶修行の地』という石碑を見つけました。鰐淵寺の近くを流れる川のほとりに立っていたと記憶します。ここでも、なんでここに武蔵坊弁慶?と思ったのです。武蔵坊弁慶もこの地にいたと思われます。
いろいろ、発見のある出雲の旅でした。
〝出雲〟の意志 その4 おしまい
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