宅(いえ)に帰るには必ず乗道(車と道)により、病気をいやすには薬と処方による。病原巨多なれば方薬非一なり。 己宅遠近なれば道乗千差なり。四百の病は四蛇(地・水・火・風の不調)によって心を害す。八万の患いは三毒(貪り・瞋り・痴さ(おろかさ))がもとで心を害す。身病多しといえどもその要は6個のみ、四大鬼業(地・水・火・風の不調と悪霊などのたたりと業の報い)これなり。
心病衆(おお)しといえどもそのもとは一つのみ、いわゆる無明(無知)これなり。身体の対治には八個ある。 そして心の能治には五個ある。湯散丸湯(温泉・散薬・丸薬・酒)・針灸・呪禁(まじない・戒め)は身の能治なり。四大(地・水・火・風の不調)の乖(そむ)けるは薬を服して除き鬼業の祟り(悪霊の祟りや悪業の報い)には呪悔(しゅかい:呪法と懺悔法)をもってよく銷す。
薬力は業鬼を却(さ)くこと能わず呪功は通じて一切の病を治す。
世毉(世俗の医者)が治すことができるのは身体の病だけである。 その方法は「大素」「本草」などに説かれている。 心の病を治す方法は大聖(仏)がよく説かれている。 その経はすなわち五蔵(経・律・論・般若・陀羅尼)の法これなり。五蔵(牛乳の乳・(酪牛・羊などの乳からつくった飲み物)・生酥(牛乳を精製する五階級の過程のうち、第三にできるもの。酪味(らくみ)をさらに精製したもの)とは修多羅(生酥をさらに精製したもの)と比(比の原文は田へんです)奈耶(びなや)と阿比(原文の比は田へん)達磨と般若(おそらく知恵の意味だと思います)と総持(真言)等の蔵なり。 かくのごとくの五蔵はたとえば牛の五味のごとし、乳と酪と生塾の両酥と醍醐(牛乳を加工した、濃厚な味わいとほのかな甘味を持った液汁。製法は失われておりヨーグルト、バタ-オイルのようなものであったといわれている)と次いでのごとくこれを配せよ(この次いでのという意味はおそらく様子をみて、順次という意味で現代で普通に使われている付加的にという意味ではないと思います)。
四蔵の薬は但し軽病を治して重罪を消すこと能わず。いわゆる重罪とは、四重(殺・盗・邪淫・虚言)と八重と五逆と謗方(ぼうほう)等と一聞堤(いっせんだい)とこれなり。