つい先日、一生分の哲学の勉強をし終えたのだけれど、近世哲学の中で好感を持てたのはイギリス経験論者のヒュームだった。

他の哲学者は、なんて言うか「なんでそう言えるの?」と言う部分が一切ない人が大半なのだけれど、ヒュームは現状提出されている根拠から延々と自身の意見を述べていく。

カントとかは、第一原理に特に根拠はない。

だから僕はヒュームが好きなのだけれど、哲学科長は授業中にヒュームを扱う時にある前置きをした。

「皆さん、おそらくヒュームはつまらないと思いますが、彼の議論は大切です。」

なんでも、彼の議論はひたすら退屈なのだと。

けれど、僕はそういう風な帰納の方法が大好きなのだから、なるたるの事をひたすらヒュームの様に記述していきましょうね。

ということで、今回はアキラについて。

本来的には、『なるたる』の竜の記事にコメントを貰えたから、そのコメントの内容に関連して竜の意志について書くべきなのだけれど、まだ頭の中でまとまっていないから、話の進め方まで決まっているアキラの事を書くことにする。

アキラの事は一応以前に軽く書いてはいるのだけれど、その記事はなるたる以外の話があまりにも多すぎるので、これがなるたるのカテゴリーに入っているのが気に入らなかった。

だから、とりあえずアキラの事を書いて、その記事をカテゴリーから外したいと思う。

ところで、僕はこれまでなるたるの個人の縦の流れの話をするとき「○○の目的の解説」と題に付けてきたけれど、今回はしない。

何故かと言えば、僕はアキラの目的について解説することが出来ないから。

また、アキラ自身も目的に向かってひたすら邁進しているわけでもない。

アキラの第一目的は間違いなくセックスなのだけれど、それをそうだと断言して言える材料を僕は持っていない。

ここにも多少の言及はあるけれど、とにかくフロイトの夢判断を読まない限り何とも言えないし、読んだところでそれを適応して良いのか、甚だ怪しい。

ただ、アキラは飛びたいと思っている反面、飛ぶことを恐れている。
 


(十二巻p.172)
 


(九巻p.175)

飛ぶことはセックスの暗喩だとして、この性的な事を望むけれど嫌悪しているという相反した感情を抱いていることが分かる。

これはいつか普段の日記の方で書こうと思っていたのだけれど、人間と言うものはどうも性的なものをどこか嫌なものとして幼少の時期に感じることがある。

嫌悪と言うより恥ずかしいという感覚だろうか。

僕もそうだったし、おそらくこれを読んでいる人にも思い当たる節はあるのではないかと思う。
 


(石黒正数『外天楼』p.179)


僕がそれを初めて問題として認識したのは外天楼だけれど、とにかく未だにそれが何故恥ずかしいのかという事については言語化出来ていない。

一応、ラッセルも近いことを述べていたのだけれど、何処か的が外れていたし、明瞭な答えを与えてくれたわけでもなかった。

ただ、平安時代の貴族の女は顔を隠していて、実際異性に顔を見られると股間を濡らしていたらしいから、どうも恥と言う概念が性的なものに直結するらしいという事は確かなのかもしれない。

とにかく、そういう風にしたいと言う気持ちと嫌悪が同時に発生するのが性と言う概念なのだから、それと同じようにアキラは飛ぶことに対して意欲と嫌悪を抱いており、更にフロイト的には飛ぶことはイコールでセックスなのだから、アキラはセックスをしたいと言って大体間違いではないのだけれど、断言できない以上そうであると決めつけるわけにはいかない。

まぁ、鶴丸も、
 


(三巻p.98)

と言っているし、何よりアキラの目的がセックスすることだとすれば全ての事に説明がつくから、とりあえず以下はアキラの目的がセックスだと仮定して、アキラのなるたるでの行動の最初から最後までを解説することにする。

まず、アキラは学校でチャネリングする。
 


(一巻pp.169-171)

ちょっと全部の画像を引用しようとしたけれど、多すぎるので端折る。

なんでチャネリングしたのか、と思うけれど、この時アキラが学校でいじめられている描写がある。
 


(一巻p.178)

だから、何かの為にチャネリングをするとしたら、このような状況を変えたいと思ったという事が妥当なのだけれど、アキラの第一原理がセックスだとしたら、こんな風に苛められていたらセックスできないので、状況を変えたいと思ったとすべきか。

いや、むしろこのように苛められてしまう性格だから男性と上手くコミュニケーションできないので、それを変える力を求めたというところだろうか。

とにかく、竜に願ってしまった。

本人はそんな力は要らないと思っているようだけれど、
 


(十一巻p.156)

 

一度チャネリングをしたら戻れない。

それ故に否応なしに、なるたるの陰鬱なストーリーに巻き込まれる。

なるたるの前半、シイナと一緒に小森と会ったり、鶴丸と会ったり、須藤と会ったりしているけれど、そのあたりの解説を画像を入れてするとあまりにも量が多くなりすぎる。

なので、それぞれについて画像は用いずに、アキラに何が起こったかだけを記述していく。

まず、二巻の小森との邂逅では小森にこれからのあり方を示唆される。

具体的には、世界に対して自分を削るか、世界を削るかと言う二択を提示される。

これがアキラの終盤までの課題になる。

この発言を受けて、色々なアキラの行動が規定される。

ついでに、この時に小森のプッシュダガーを回収している。

次に、鶴丸と会うのだけれど、このエピソードはアキラにとっては重要ではない。(三巻)

むしろ鶴丸がアキラの存在を知りえるためのエピソードと言ったところか。

髪については「なるたる」の分からない所を解説するサイトの説明で十分なので、僕が言及すべき内容はない。

そして、その次は須藤と出会う。(三巻)

この時、アキラは小森に花を手向けに行ったのだけれど、詳しくは以前書いたから書かない。

史記の列伝宜しく、重複したエピソードも逐一書いて言っても良いのだけれど、僕は司馬遷みたいな情熱を持っていないのでしない。

この須藤とのファーストコンタクトの中で、少し重要なところがある。
 


(二巻pp.152-153)

アキラが須藤の事を怖く感じないのは、おそらく須藤に性欲がないから。

アキラは性欲は人一倍強いけれど男の性欲が一方で怖いのではないかと僕は思う。

一方で、須藤に性欲はない。
 


(三巻p.73)

どうでも良いけれど、この画像の隣のコマには裸の涅見子が居る。

後ろ姿で大切なところは写ってないとはいえ、画像を消されたら説明が分かりにくくなるため、わざわざ涅見子はカットした。

なんで須藤に性欲がないのか疑問かもしれないけれど、よくよく考えてみれば当たり前のことに過ぎない。

須藤が求めるのは虚無へと収斂する破壊なのであって、混沌へ拡散する創造である鶴丸と対極に位置する。

鶴丸はせっせとセックスして子供を作りまくるのは創造の為であるとしたならば、虚無へ向かう須藤が子供を作るわけがない。

当然性欲が存在するはずもない。

もしかしたら、陰部を竜の子で切断している可能性すらある。

このような須藤であるから、アキラが恐れを感じないという可能性が高い。

とは言っても、そうであるのだろうけれど、そうである確証はないから何とも言えない。

次の東富士のことも、同じように以前解説したからしない。

このエピソードで一つ気になるのは、父親に対する態度。
 


(四巻pp.172-175)

シイナと対極に描かれていることは理解できるが、その示唆するところは何か。

その次にアキラが出てくるのは、僕が好きなエピソードである「魚の命、人の命」。

このエピソードは須藤がアキラに君だって人を殺せると教えたと理解するべきか。

どういう事かと言うと、アキラに釣りが楽しかったか須藤は聞く。

アキラは楽しかったと答えるが、須藤は「命を弄ぶのは楽しいよね」と物凄い変化球を投げる。

アキラはだって魚だし…って感じだけれど、須藤は魚ならいいの?と聞く。

魚は文句を言わないけれど、君は魚の命を自分の為に弄んだんだよ?と追い打ちをかける。

その後に須藤は仲間にならないか、といまいち筋が通らない話を続けるのだけれど、これはなんとすべきか。

とりあえず、このエピソードによって、後々アキラは須藤と行動を共にすることになるのだけれど、一連の魚の話も文脈が必要になる。

須藤の言うところでは、人の代わりに魚を使って憂さ晴らしをしたに過ぎないという事だけれど、逆に言えば、魚も人も同じ命なのにかかわらず、アキラは命を自分の快楽の為に弄べたという事になる。

このあたりの話は生命倫理の問題なので、このなるたるの記事に僕の思想は入れないけれど、とりあえずアキラにとって魚を殴れてしまったという事らしい。

この後に続く父親殺しのエピソードは、一応この魚の話を抜きにして、小森の影響だけで語ることは出来るのだけれど、須藤の影響も受けたと考えて問題はないと思ったので、そうした。

この時点で、アキラは小森と須藤によって、自分の為に他人を用いるという事を知らしめられてしまったと言える。

さて、アキラの根本動機はセックスをしたいということなのだけれど、その相手は特定の誰かなのか?という事が問題だと思う。

結論から言えば、特定の誰かではない。

もう、色情魔で誰彼かまわずセックスしようと考えている。

 


(三巻p.58)

シイナさえも性的欲求の対象だったりする。


鶴丸に二ンフォマニア扱いされるだけのことはある。

ここで重要になるのは、決してアキラの恋の相手が父親ではないという事。


正直、アキラの父親に対してアキラは刺殺するその瞬間まで、そしてその後も全て、何か恋愛感情を示唆するような描写は一切ない。

唯一、上の画像の手を払うシーンがあるのだけれど、これが父親に対する恋愛感情の描写だと僕は判断できない。

第一に、アキラ自身特定の好きな相手がいるとしたら、シイナだったり鶴丸だったりに欲情している描写が中々に説明しがたい。

 

 


(三巻p.82)

勿論、父親の事が好きだけれど二ンフォマニアだから誰彼かまわず欲情しているとも説明は出来るのだけれど、そもそも父親が好きだとは説明できない。

むしろ、そのように誰彼かまわず欲情している中の一人に、父親が含まれてしまったと考えた方がよっぽどに分かりやすい。

さて、次にアキラが出てくるのは「私の目は被害者の目、私の手は加害者の手」。

当然、このタイトルは貝塚ひろ子のことを言っているのだけれど、同時にアキラのことも言っている。

アキラは途中まで完全に自分から能動的に何もすることは出来ず、被害者であり続けたけれど、最後のページで加害者になる。


よくよくこのエピソード全てを見てみると、貝塚ひろ子と佐倉明の二人が主軸であることが分かる。

アキラの方に目を向けると、アキラの初めてのセックスシーン(失敗)がある。

画像をふんだんに使ったほうが分かりやすいのだけれど、多すぎる。

なので要所要所で使う事にして、ここもやっぱり記述していく。

まずアキラは下り物で倒れる。

わざとらしくてムカつくけど、男の嗜虐心をくすぐるのかもしれない。

そして、石田に保健室に運んでもらうのだけれど、石田が中学生なりに全力のアプローチをする。

 

(六巻pp.54-57)

これを受けて、アキラはイケる(意味深)と思ったため、
 


(六巻pp.60-61)

とアプローチをかける。


石田の方もそれに合意するのだけれど、

 

 

 

 

(六巻pp.62-63 pp.62-71)

石田は逃げ出す。


まぁなぁ、中学生にする要求じゃないもんなぁ…。

そうして逃げられてしまったアキラは、一人プレイを続行する。


(六巻pp.72-73)

このエピソードはこのエピソードで良いのだけれど、問題はアキラの性欲の矛先が失われてしまったこと。

クラスメイトを使って性欲を処理しようとしていたのだけれど、相手の拒否によってそれが果たせなくなってしまった。

その後、アキラはシイナの家に行く。
 

 

 


(六巻pp.74-77)

ここで何のために何をしにシイナの家に来たかが問題なのだけれど、はっきりは断言できないにせよシイナで性欲を処理しに来た可能性すらある。

それは少々穿ち過ぎなのかもしれないが、ともかくシイナの家で貝塚ひろ子と鉢合わせ。

この時の会話で貝塚ひろ子は世界が間違っていると話していたので、その事がアキラのこの後の行動に繋がっているのかもしれない。

さて、ここからがこの記事を書こうと思った理由の一つになる。

この後、アキラはシイナと一緒に夕食を作って、シイナの家族にご相伴を与る。

そこに俊二さんも居た。

一つ…アキラの表情が…その…アレな感じがする。
 


 

(六巻pp.88-90)
 


(六巻p.93)


俊二さんを見る、アキラが…その、なんだ、分かりやすく表現するならば、メスの顔している。

流石ニンフォマニアなだけある、で話を終わらせても良いのだけれど、次にアキラが出てくるのは父親の刺殺のシーン。

これは何か示唆を孕んでいると考えた方が良いだろうと思う。

このシーンは明らかにシイナの父親を性的に意識している。

そして、次に行う事が父親の刺殺。

その刺殺は、父親がアキラがセックスを強要し、それを拒んだからという事が定説。

そんなことは「なるたる」の分からない所を解説するサイトにも書いてあるのだからわざわざ説明しない。

時系列的に、シイナの父親を性的に意識してから、自分の父親を性的に利用しようとして失敗し、刺殺している。

と、するならば最も分かりやすい物語の流れは、シイナ一家との晩餐でシイナの父親に何か性的なものを感じて、そこから自分にも父親が存在するという事に気づき、セックスを強要した。

ということ。

そんなシナリオが浮かび上がってくる。

もしそうだとしなくても、結局鬼頭先生はアキラに自分の父親とセックスさせようとしたのだから、絶対頭おかしい。


とにかく、アキラはセックスを父親としようとして拒絶される。

そして、小森が持っていたナイフを父親に突きつける。
 


 


(六巻pp.214-216)

そうして当分出番なし。

とりあえず、その間は犯罪児童の福祉施設に居る。

エン・ソフは鶴丸が預かることになっているようだけれど、なんで預ってるのかまでは分からない。

で、次に出てくるのは「落ちる夢」。

落ちる夢それ自体については言及しないけど、まぁ堕ちる夢でしょう。

このエピソードも中々に分かり辛い。

アキラにその母親が訪ねてくる話は、しっかり読めば父親殺しの動機の話と分かる。


(九巻pp.178-181)

最期のページの母親のセリフを読めば推測できると思うけれど、アキラが父親に迫ってそれを拒まれたために、そんな世界の形を変えるという事で刺殺したと考えればそこまで難しい話ではない。

・2016年1月18日追記
コメントでご指摘を頂き、その通りだと判断したために追記する。

詳しくはコメント欄を見てもらいたいのだけれど、「アキラは以前から父親に恋愛感情を持っていたのではないか?」という旨のコメントを戴いた。

全てコメント欄で僕が返答した限りだけれど、とにかく刺殺する瞬間までアキラ自身に父親に対する恋愛感情を見いだせない。

けれども、直上の画像の会話から判断するに、母親目線からアキラの父親に対する恋愛感情が見いだせたらしい。

僕はその事に気づいてはいたのだけれど、まぁ、解説という作業のむずかしい所が何処かと言えば、何処か問題なのかを気づく所になる。

僕は言われて改めて問題だと気づき、そこについて考え直した。

母親のセリフから、アキラに父親に対する恋愛感情があったと認めなければならない。

けれども、僕はそれを存在しないとした。

それは、おそらく父親を刺殺した経緯が、シイナの家で男性的な俊二さんを見たからということに相違はないから。

なので、僕はそれを押し通すために、アキラの母親のセリフを軽んじた。

実際のところは恐らく以前から淡い恋愛感情がアキラにはあり、それとは別に強い性欲がアキラにはあり、それを果たそうと同級生を用いて失敗し、その帰りにシイナの家で俊二さんを見て自分の恋愛対象ではなく性欲の対象としての父親を再認識し、家に戻ってから性的関係を迫り拒絶されて刺殺した、という流れが一番分かりやすい。

まぁ、ただ恋愛感情と性的感情を分けて考えればよかったのだけれど、僕は最初しなかったから上のような文章になった。分かり辛い書き方になって本当に申し訳ありません。(追記ここまで)

話を戻す。

「落ちる夢」で母親との面談はそういう話だけれど、一方で、政府の方が分かり辛い。
 


(九巻p.178)

墓地が多いと話していて、アキラの母親もこの辺りに墓地が多いと話している以上、同じところでの話と分かる。

宮子たちは福祉局長をアキラの施設に送っている。

で、福祉局長が何をしたかと言えば、
 


(九巻pp.182-184)

施設長に佐倉明を追い詰めるように言付けする。

これなんなんだろうなぁ、と酷く悩んだけれど、しっかり状況を確認すればわかることに過ぎない。

この後、アキラが何をしていたかと言えば、いつの間にか須藤と行動を共にしていた。

結局、アキラを追い詰めることで何が起こるかと言えば、アキラは何処かここじゃない所へ活路を求める。

当然、第一の逃げ場所は家族のところなのだけれど、父親は自分で刺殺しているし、母親にはもし父親がアキラの性的な目線に気づいた上でこうなっていたらお前の方を殺していた、とまで言われている。

アキラもそれを自覚している。
 


(十二巻p.150)


となると家族の元には逃げられない。

するとどこに逃げる場所があるのだろうか、ってのが問題で、まぁ須藤のところにしか逃げ場所はない。

宮古もそれが分かってたみたいで、ていうか多分須藤がその事を宮子に教えたのだろうけれど、宮子はアキラを追い込むことで、須藤の元へ逃げさせて、手駒の一つにしようと考えた。


そうだとすると、上の画像の一連の言葉の意味が全てわかる。

この事は解説を要するだろうなぁ、と思ってこの記事は書かれている。

だけれども、それだけだとさびしいのでアキラの全般書きましょうね、って事でこんなクソ長い記事が出来上がりつつある。

で、アキラは須藤の元に逃げ出す。

この時エン・ソフも連れて行っているのだけれど、
 


(十巻p.48)

何か刃物を作って脱走させている。

恐らく、この時に作った刃物は剃刀だと思うのだけれど、プッシュダガーではない理由は説明できないので、どっちかだと思う。

で、話は飛んで、ここがアキラの再登場シーン。
 


(十巻p.218)

須藤と一緒に核を作りに来ている。

いまいち、なんで須藤がわざわざアキラを連れて核を作りに来たのかとか分からないけれど、多分アキラを利用するために色々して見せてるのだと思う。

そして、この時はさとみは利用不能だし、文吾はさとみにべったりだから誰か連れて行くとしたらアキラしかいない。

とにかく、ここで核を作る。

その後、アキラは小森に会ったりしているけれど、いまいち煮え切らない態度を続ける。
 


(十一巻pp.78-79)

 

アキラには何をする勇気もないのだから仕方ない。

僕はアキラが嫌いです。

その次にアキラが出てくるのは玉依美園とのドライブだけれど、これはアキラにとって重要と言うよりシイナにとって重要で、ついでに竜の子と保持者の契約についての話なので、ここで言及すべき内容はない。

ただ、ここでアキラは実生の存在を知るので、最後の方で重要になる。

そんなこんなでアキラがうじうじしている間に、涅見子はシェオルを掌握する。

結果、須藤は核をそこらじゅうにばら撒く。

その時、アキラは須藤と行動を共にしているようだけれど、エン・ソフが何をやってるのかわからない。

でも、おそらくはアキラと一緒に手のひらの上にはいなかった。

エン・ソフは空を飛ぶことが出来ないので、歩いてしかシイナの元へ行くことは出来ない。

よって、日本のどこかにいて、シイナの元へちんたら歩いて行ったと考えるのが妥当。

その後、エン・ソフの導きで須藤のところへシイナは向かうのだけれど、アキラが何をしたかったのかさっぱり分からない。

シイナを須藤のところへと案内してもアキラには何にもない。

それをして何か意味があるわけでもない。

アキラはシイナに須藤の説得を求めたとか考えられるけれど、ほっとけば死ぬほどに衰弱しているのだから、ほっとけばいい。

それとも飯を食うように説得させたかったのか、とか考えられるけれど、その可能性はあまりにも。

そうして残る可能性は、シイナに会いたかった、くらいになる。

そんなことに命を使われたら俊二さんは堪ったものじゃないな。

そもそもシイナが案内を頼んだのだけれど、それにしてもエン・ソフがシイナのところに行く理由が見いだせない。

とにかく、シイナを手のひらに誘導することには成功して、その後、父親を失って帰る場所も失ったシイナに、母親のところへ行くように提案する。

シイナは激怒を通り越して、全てなかったという設定にしてしまう程に動揺する。
 


(十二巻p.151-152)


けれど、アキラのビンタと爆撃が気付け薬代わりになって正気を取り戻すことに成功。

爆弾の破片を受けたアキラの元に駆け寄ると、アキラが実生の話をする。

そうして、シイナは自分が母親に愛されていると理解して、母親がくれた秕という名前と、母親の存在を受け入れることで、星の呼びかけに答えることに成功、星の保持者になる。

ここから考えるに、チャネリングする条件の中に、竜の子の呼びかけに答えるという事が存在するらしい。

声に返事をしたら将来的に竜にならなければならないようだ。世知辛い世の中だな。

で、地球の所持者なったシイナが戦闘機を握りつぶす。
 


(十二巻p.172)

この一回も飛べなかったなぁ、は一回もセックスできなかったなぁと考えて支障はないはず。

いや、むしろそれ以外の理解が存在するならば教えてほしい。

こうして、全ての能事が終る。

アキラはこの後病院に運ばれて入院生活を送る。

そして、ある日暴徒と化した民衆に、この現状の元凶として、窓から投げ捨てられる。
 


(十二巻pp.206-207)ポイッちょするねん

これが自殺か他殺かだなんて一度した話は、わざわざもう一度したりしない。

こうしてアキラの物語は終わる。

なるたると言う物語は、それぞれの目的が設定されているけれど、それを完遂できたキャラクターの方が少ない。

けれど、アキラの場合はその中でも特殊で、行動が一貫して目的の為と言うわけでもない。(シイナと行動を共にした前半、須藤の金魚の糞をした後半)

シイナを除けば大体のキャラクターは目的の為にしか行動していない。

涅見子について言っても、ひたすら破壊されていく人類を見ることが目的だと考えれば、別に何もおかしくはない。

けれど、アキラは目的の為に首尾一貫して行動しているわけではない。

しかも、それがシイナに次ぐ主人公格の行動なのだから、分かり辛いったらありゃしない。

しかもその目的だってそもそも、セックスしたいという原理に基づいているかどうかすらも、本編をよくよく読まなければ判断できない。

ていうかむしろ、解説サイトを読まなければわからない。


そして、解説サイトを読んだところで分かりはしない。

なので、僕がわざわざ分かるように書いている。

まぁ実際、僕のこのなるたるについての一連の記事にはかなりアクセスがある。

けれど、正直書くのがめんどくさくはある。

この記事、この時点で8722字だったりする。

大体、文章書くのそれ自体でも結構この量があると面倒なのだけれど、画像についてがそれ以上に面倒。

わざわざ何ページにあるか一々引用するたびに調べて、画像を持ってきて、更には説明を分かりやすくするために画像を編集したりしている。

なんでこんなことしなきゃならんのか?と思わないと言ったら嘘になる。

でも、なるたるのことを書き始めてから、アクセス数が加速度的に増えているので、しぶしぶ書いているというのが現状だったりする。

とは言っても書かなくて良いという選択肢が存在しているのにも拘らず書いているという事は、なんらか僕の方が書きたいという事なのだろうけれど。

そもそも、ネット上に十分な解説が存在したら僕がこんな手間をかける必要がなかったので、みんなもうちょっと頑張れよ、と思う。

そしてそもそも、鬼頭先生が分かりやすい漫画を書けばそれで済んだので、もはやどうすれば良いのかとか分からない。

ついでに、この記事をどう締めればいいのかもわからない。

そんな感じです。

ではまたいつか。

・追記
『夢判断』の中で落ちる夢への言及を見つけることができたから付録を作った。

参考になるかは甚だ疑問だけれど。

・追記2
補足説明を書きました。