四十九日。 | 山あり谷あり備忘録

山あり谷あり備忘録

2011年お正月。いきなり卵巣癌の告知を受け、日々、手作繰り状態で癌と闘うzeroの、のほほーん日記です。少しでも同じ病で悩む方のお力になれましたら幸いです。。。

大切な友人が亡くなって49日が過ぎました。

もう四十九日を迎えたのですね。。
彼女の訃報にふれ電話口で泣きじゃくる私に

「やっと苦痛から解放されたんです」

と穏やかに言ってくださる彼女のお母様の声が私の脳裏に
いまだ鮮明に残っています。
それまで、お母様とはお話をしたことがなかったのですが、
何度か彼女の病床にプリザーブドフラワーをお送りしていたので
私のことは「お花と卵巣がんのお友達」として覚えていて下さって
いたようです(笑)。



今日は長崎のご実家か、お嫁にいった大阪か、どちらかで法要が
行われたのでしょうか。
愛する方々に見送られ、彼女は穏やかな気持ちであちらの世界に
旅立つことが出来たと信じて...☆


ふと、自分の両親がなくなった後のことを思い出しました。
両親のお骨を抱えてどうしたらいいのかわからなかったとき、近所に住む
母の友人にあたる方から「四十九日を迎えるまでは生きていると思って
接してね」と教えていただき、普段あまりしなかったお料理を毎日朝昼晩
きっちり行って霊前に供えていました。
毎日炊くご飯、お料理を私一人では食べきれず冷蔵庫とフリーザーが
パンパンになり、兄にも引き取ってもらったり(笑)。

しきたりなど全くわかっていなかったので、もう好き勝手し放題。
ケーキを三つ買ってきてみたり...結局私が全部食べることに(笑)。
食後のコーヒーも欠かしませんでしたよ。
ブラック党の母とお砂糖たっぷりの父。ちゃんと区別して、ね(笑)。
おままごとみたいですが、こういうことがかなり楽しかった。
擦れ違いの多い家族だったので、この期間が一番父母を近く感じられた
日々だったのかもしれませんね。^^



そしてこの一ヶ月ほど、闘病記のあり方についても考えていました。

病気になって何十人もの方々の闘病記を読ませていただいたのですが
中には、最後の記事がご家族の方によってあげられていたブログも
何件かありました。
その記事を読むという作業はとても悲しく胸に刃物が刺さるような痛みを
感じるものだったのですが、出会った以上は向き合わなくてはいけないと
思い必死に文字を追いました。

先日他界した友人Hちゃんのブログは現在「ホスピスに転院します」
という記事で止まっています。
彼女のブログは、ブログ村の子宮がんカテゴリに登録されておりますので
読者数やアクセス数が多く、このままにしておいて良いのかどうか、正直
悩んでいました。
悩んだところで、私が彼女に代わって報告できるはずもないのですが。。

彼女は闘病ブログのID以外にもたくさんのIDを持っていたのですが(笑)、
彼女が亡くなった後、闘病ブログのID以外は全て退会処理がされたようです。

闘病ブログだけは残す。
あえて彼女が亡くなったことはお知らせしない。

これが彼女の旦那様のご意志なのだと理解し、すっきりといたしました。^^

闘病記と出会うということは、その人の人生に触れるということ。
最期まで知るも良し。
でも最期を知らなければ、読者の方々の中の彼女はずっと生き続ける
ことが出来るのかもしれない。
それは同じ病気を患った方々の力になるかも知れない。

私のように家族がいない方、ご家族がいても闘病記を書いていることを
ナイショにしている方、様々だと思います。

私は卵巣がんになったとき、自分の身がいよいよ限界だと思えるときが
来るとするならば、ブログ関連の処理を全てをHちゃんにお任せしようと
思っていました。。
闘病記を始めたからには最後まで書かなければいけないと思っていたので。

でも、闘いの結末を記すことばかりが良いのではないですよね。
私がこのブログを立ち上げたきっかけも、ただ、同じ病気の方々に少しでも
情報をお届けできたら、というものでした。

そう。結末が大事なのではなく、過程が大事。
闘う過程で感じたこと、良かったこと、気をつけてほしいことなどをお知らせ
できたらそれで良し。^^


...ということで、この闘病ブログにも迷いはなくなりました(笑)。

現在はどちらにも登録はしておりませんので、アクセス数は少ないブログ
ですが、いつかどこかでどなたかのお力に少しでもなれますように...☆