明けましておめでとうございます。
本年もご贔屓にしていただければ幸いです。

2012年1月1日の朝刊に新潮社の「ドナルド・キーン著作集」の広告が掲載されました。
「日本人よ、勇気をもちましょう」というタイトルです。
ドナルド・キーン氏は高名な日本文学研究者で、昨年の3.11の地震の後に日本への帰化を決意しました。キーン氏は今年90歳、卒寿(そつじゅ)です。そのお歳で母国アメリカを離れて日本で暮らそうというのです。
広告文でキーン氏は主張します。日本人は勁(つよ)い、日本人は地震と津波と「原発の災禍」から立ち直ると信じています、と。

とても素晴らしい文だったのでツイッターでお知らせしようかと思いましたが、新潮社のサイトにはまだこの広告がUPされていませんでした。リンクが貼れないなら、自分で全部タイプしようかと考えましたが、それはちょっと新潮社さんに悪いだろうかと思い、「日本的な勁(つよ)さ」という言葉についてツイートするにとどめました。

ところが、今日(1月2日)、溝口健二監督の『雨月物語』を観ているさいちゅうに、考えが変わりました。
『雨月物語』(1953年)はモノクロームの映画ですが、映像は美しく、脚本も配役も非の打ち所がありません。特に、京マチ子の妖艶さは鳥肌ものです。目の動き、顔の傾き、背中のしなり、AKB48AKB480になっても敵わない(←どういう例えじゃ(・・。)ゞ)凄みがあります。
この映画は、ヴェネツィア国際映画祭(イタリア)の銀獅子賞を受賞しました。また、エディンバラ映画祭(イギリス)においてデヴィッド・O・セルズニック賞を受賞しました。文部省芸術選奨も受賞しています。

キーン氏は広告文でこう書いていました。

「私がいまだに感じるのは、この日本人の、「日本的なもの」に対する自信のなさです。違うのです。「日本的」だからいいのです」

1日前にこの文を読んだ時には意味がピンと来ませんでした。それが『雨月物語』を観て、ピンと来たのです。
『雨月物語』という映画こそ「日本的なもの」そのものであり、かつ、「日本的だからいい」というそのものである、と。そのようなものが『雨月物語』以外にもあるのだ、と。

以下に、ドナルド・キーン氏の文章を全文引用します。
お読みください。

 かつて川端康成さんがノーベル文学賞を受賞したとき、多くの日本人が、こう言いました。「日本文学が称賛してもらえるのは嬉しいが、川端作品は、あまりに日本的ではないか」。

 日本的過ぎて、西洋人には「本当は分からないのではないか」という意味です。分からないけれど、「お情け」で、日本文学を評価してくれているのではないかというニュアンスが含まれていました。

 長年、そう、もう七十年にもわたって日本文学と文化を研究してきて、私がいまだに感じるのは、この日本人の、「日本的なもの」に対する自信のなさです。違うのです。「日本的」だからいいのです。
昨年、地震と津波に襲われた東北の様子をニューヨークで見て、私は、「ああ、あの『おくのほそ道』の東北は、どうなってしまうのだろう」と衝撃を受けました。あまりにもひどすぎる原発の災禍が、それに追い打ちをかけています。

 しかし、こうした災難からも、日本人はきっと立ち直っていくはずだと、私はやがて考えるようになりました。それは、「日本的な勁(つよ)さ」というものを、心にしみて知っているからです。昭和二十年の冬、私は東京にいました。あの時の東京は、見渡すと、焼け残った蔵と煙突があるだけでした。予言者がいたら、決して「日本は良くなる」とは言わなかったでしょう。しかし、日本人は奇跡を起こしました。東北にも同じ奇跡が起こるのではないかと私は思っています。なぜなら、日本人は勁(つよ)いからです。

 私は今年六月で九十歳になります。「卒寿」です。震災を機に日本人になることを決意し、昨年、帰化の申請をしました。晴れて国籍がいただけたら、私も日本人の一員として、日本の心、日本の文化を守り育てていくことに微力を尽くします。新しい作品の執筆に向けて、毎日、勉強を続けています。

 勁健(けいけん)なるみなさん、物事を再開する勇気をもち、自分や社会のありかたを良い方向に変えることを恐れず、勁(つよ)く歩を運び続けようでありませんか。



勁健 けい‐けん【×勁健】
[名・形動]強くすこやかであること。また、そのさま。
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