【一筆多論】論説委員・乾正人
さすが、菅直人首相だ。まずは、彼の粘り腰を絶賛したい。
小紙は2日付朝刊最終版1面で、「不信任案可決の公算」の大見出しを掲げた。
民主党の小沢一郎元代表率いるグループが1日夜に70人を集めて内閣不信任案可決へ向けて気勢をあげただけでなく、鳩山由紀夫前首相も賛成票を投じる意向を示した。さらに、記者たちの夜回り取材によって、小沢グループ以外の菅首相に批判的な議員の一部も棄権する意思を固めていることがわかり、あわせれば可決に必要な過半数ラインを超えたからだ。
普通ならここで一巻の終わりとなる。平成5年、当時の宮沢喜一首相は、不信任案可決を粛々と受け入れて衆院を解散した。結果は自民党が敗北し、非自民政権が誕生した。その故事を反面教師にした首相は、粘りに粘り、可決を否決にひっくり返した。もちろん、策略家としての腕も一級品だ。
東日本大震災の被災地は選挙どころでないのは百も承知の上で、側近を使い「不信任が可決されたら首相は解散の腹を固めている」という情報を流した。これに、選挙基盤の弱い多くの若手議員が浮足立った。
交渉術もなかなかのものだ。
不信任案賛成の意向を示したものの、衆院解散・総選挙を恐れるグループの側近連中から浮いていた鳩山氏に目をつけ、「震災の取り組みに一定のめどがついた段階で」退陣を約束する代わりに寝返らせることに成功した。この「一定のめど」がくせもので、鳩山氏は今月中ととったが、首相にはさらさらその気はない。それが証拠に2人が交わしたという覚書には、「退陣」の「た」の字もない。
お金持ちで坊ちゃん育ちの鳩山氏はもともと詰めが甘いので有名だが、この場面でも遺憾なく発揮された。「嘘も方便」を信条としている(と思う)首相の一本勝ちである。
鳩山氏を寝返らせたことで、小沢元代表を孤立させ、今回の反乱劇の「首謀者」である小沢氏の行動を封じ、欠席せざるを得ない状況に追い込んだのも見事な技である。おかげで結束を誇った小沢グループも不信任案への対応は、賛成、反対、欠席の3つに分かれ、内部に深い溝を残した。
粘り腰が強く、策略家でもある首相は、交渉術にもたけている。そんな政治家としての美点が多い菅首相が、なぜ支持率が2割台で低迷するほど人気がなく、与党が全員一致して不信任案に反対しなかったのか。
理由は星の数ほどあるが、首相として「歴史に名を残したい」という意欲があまりにも強すぎるからだろう。
しかし、もう心配には及ばない。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故への対応ぶりは十分、世界史に残るものとなった(どちらの意味でかは、賢明な読者ならおわかりだろう)。
あとは一刻も早く見事な出処進退を示すだけだ。そのときは、「ありがとう、われらの菅直人」と書いてみたい。まあ、それはオーストラリアで鯨肉を買うほど難しいだろうが。
(論説委員)