【正論】学習院大学教授・井上寿一
被災地発で過疎と格差是正せよ
≪先の大戦でいえば今は戦時中≫
東日本大震災後の日本はどうなるのか? 不確実な未来に向けて少しでも見通しを立てるために、人は歴史的な類推を試みる。関東大震災との比較はすぐに思いついたに違いない。戦争になぞらえる人もいた。
戦争からの類推は、今が戦後の復興期というよりも戦時中であることを示唆する。なぜならば、戦後の解放感はなく、予断を許さない状況の原発問題をはじめとする、社会的な緊張状態が続いているからである。
戦時中と比較する議論の中で、世間の注目を引いたのが石原慎太郎東京都知事の発言である。石原知事は3月29日の記者会見において、「今ごろ花見じゃない。同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感ができてくる」と指摘したうえで、「戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」と語った。
以下では、この石原発言を手がかりとして、戦時中(1937=昭和12年=7月~45=昭和20=年8月)との歴史的な類推から、私たちが学ぶべきことは何かを考えてみることにする。
石原発言は(その是非はともかくとして)、戦時中の国民精神の一端を言い当てている。「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」-。国民の多数はこれらの標語を自発的に支持した。戦時体制が社会的な格差を是正することに期待したからである。
戦争の前から日本社会の格差は拡大していた。格差是正は政党政治が取り組むべきだった。ところが、党利党略と政争に明け暮れる二大政党体制では、ままならなかった。
≪社会階層横断した国民一体感≫
政党内閣の崩壊(32=昭和7=年5月)をきっかけとして、時代は自由主義から全体主義へ転換する。日本社会は私的利益を抑制して、公的利益の拡大を目指す。
その途上、戦争が勃発する。戦時体制は、たとえば配給制度がそうであるように、富の再分配の機能を持っている。国民は戦争を支持する。戦時体制が社会的な格差の是正をもたらすかもしれないことに賭けたからである。
賭けは吉と出たかにみえた。戦時体制の下で、資本家は労働者とともに、軍需工場で汗を流さなくてはならなくなった。地主も同様に、農民が食糧増産に努めるために、小作料の減免に応じざるをえなかった。出征した男性の職場に女性が進出する。戦争協力は社会階層を横断する国民の一体感を生んだ。
他方で戦時下ではあっても、社会は自粛一辺倒ではなかった。国民は急速に普及し始めていたラジオに娯楽を求めた。浪花節や歌謡曲、あるいは落語、漫才などの番組の聴取率が高かった。戦時下だからこそ娯楽が必要だった。
当時のある雑誌の記事は、つぎのようにラジオの娯楽番組を擁護している。「国民は国策遂行のためには増税も物価の騰貴も欣然(きんぜん)と負担する。節約も貯蓄も励行する。そのあらゆる物資生活に対する緊張は、精神生活で慰安されなければならぬ」。メディア統制にもかかわらず、ラジオからはジャズ音楽すら流れていた。
戦時下のイメージと異なることはほかにもあった。女性の服装である。銀座の街では、最先端のファッションに身を包んだ上流階層の女性たちが闊歩(かっぽ)していた。そこには戦時体制によっても容易に是正されることのない、社会的な格差があった。
≪社会是正に賭けて夢は破れた≫
戦時体制の下でも社会の階層差別はなくならなかった。軍部による権力の恣意(しい)的な行使は、国民に不平等感を与えた。ひいては社会の道義と士気の低下につながった。国民は戦況の悪化にともなう生活の困窮も、平等にそうならば甘受する覚悟だった。ところが実際には違った。民心は軍部から離れる。格差是正の夢は破れた。
以上の戦時中の経験から私たちは何を学ぶことができるのか。
それは要するに社会的な格差の是正である。
今回の大震災前から格差社会は問題化していた。今や問題はいっそう複雑になっている。地域格差の問題の深刻さが誰の目にも明らかになったからである。すでに過疎化が進んでいた東北地方の被災地の復興は、二重の苦しみをともなうおそれがある。
政府の復興構想会議はどのような青写真を示してくれるのだろうか。期待と不安が交錯する。被災地発の新しい地域再生のプロジェクトが成功してほしい。しかし構造化された過疎の問題はどうなるかわからない。大震災を奇貨として、格差の中でもとくに地域格差の是正が問題解決の突破口となるように願う。
そのために私たちは各自の持ち場で持続的な努力を傾けなくてはならないだろう。別の言い方をすると、戦時中になぞらえることのできる社会的な緊張感を日常生活の中で保持しながら、この先、何年も続く復興を通して日本社会を作りなおしていくべきである。(いのうえ としかず)