被災者の過去・現在・未来 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





「夕刻の備忘録」 様のブログより。




西のほうでは「自粛を自粛する」という。「過ぎた自粛」は経済を疲弊させるという。「自粛ムードに終止符を」ともいっている。ところが、その一方で、「節電ブーム」は留まることをしらない様子である。駅に繋がるエスカレータを間引き運転して、一体どれほどの節電が出来るのか。老人や怪我人、障碍者など不便を感じる人は山ほど居るだろうに、こちらは「自粛を自粛」とは誰も言わない。即応出来る準備さえ整えば、現在は電力不足の状態ではないのだから、何もインフラに関わる所まで節約する必要はないのだ。

節電しなければならない所は、他に幾らでもある。先ず民放テレビなど日替わり一局で充分だ。新聞も、公然と選挙違反をするタブロイド紙とやらも、土日に一週間分をまとめて出せばそれでいい。

四十九日も経たぬ間に、自粛を「敵視」するのは如何なる理由か。あれだけの人が亡くなって、ここまで無能かつ日本人差別に熱心な自称政府を抱えて、誰の気分が晴れるというのか。自粛は当然のことである。それと経済活動は全く別問題である。喪中だからといって、食事をしない人が居るだろうか。むしろ、外食が増えるのではないか。気分を変えたい、疲れを取りたい、との理由からついついお金を何時もより使ってしまうものではないか。

自粛しながら、静かに慎ましやかに、動けばいいだけの話ではないか。被災地からも「自粛は止めてくれ」との声があるという。東北以外の人達は、普通の生活をして、経済を回し、それによって被災地を助けてくれ、との意見が多いと聞く。

しかし本音は違うはずである。被災者の方がこうした発言をされる真の理由は、即時に義捐金が手元に回ってこないからである。当座のお金が入り、少なくとも三ヶ月程度は、仕事がなくとも遣り繰り出来るくらいの余裕があれば、そんな発言は出ないはずである。被災者に他の地域の経済の心配までさせる、こんな異常なことはない。

被災企業も、立て直しに必要なお金の目途だけでも政府が示せば、経営者も落ち着いてものが考えられるだろう。何時まで待っても、少しも金が回ってこず、先の保証も何も無い状態では、「このまま日本中がお通夜状態では堪らない」という気分にもなろうかというものである。

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津波は被災地の、被災者の歴史を、過去を全て奪っていった。想い出は波の彼方に消えていった。そして未来は未だ闇の中である。復興構想会議などという、腹の足しにもならなければ、一夜の夢のネタにもならない、愚にもつかないものが提示されただけである。

被災地には過去も未来もない。あるのは厳しく辛い現実、現在だけである。その現在を少しでも明るく、未来への第一歩となるように途を開くのが政治の役割のはずである。日本中が、世界中が義捐金を送っているにも関わらず、それは被災地になかなか届かない。「現在」しかない被災者の、その現在さえ奪おうとしているのが、時の政府だというのだから、もはや言葉もないのである。

被災者の今を救うのは、仮設住宅と一時金である。本来なら、どちらも直ちに出来るはずのものである。所詮は資材と金なのだ。所詮は「物」なのだ。心の無い政府でも出来るだろう。気働きのない閣僚にでも、物の手配ぐらいは出来るだろう。誰もがそう思ったはずである。ところが、それさえ出来ない、それが民主党政権の実態なのである。


旧来のビジネスモデルを変えようともせず、「自粛は自粛を」などといっている経営者は落第である。大災害時にはそれに応じたビジネスモデルを編み出して、「喪中日本」の経済を回してみろ。それが経営者の才覚ではないのか。

膨大な義捐金を頂戴した台湾への恩返しの意味もある。向こう一年間、台湾の人に限って「宿泊料無料の旅行プラン」でも立てれば如何か。空き家を嘆くよりは、その方がいいだろう。周辺の地域や観光で、宿泊料以外のお金を落として頂けるだろう。政府が感謝の意を伝えないなら、民間でやるまでだ。感謝広告もいよいよ台湾の新聞に出るそうである。二千万円に届くかという大金が、ホンの数日で集まったのだ。台湾の人に喜んで貰えて、そして被災地の未来にも繋がる企画が必ずあるはずだ。

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左翼には人の心が無いと書いてきた。今、人々は日々痛感しているだろう。その何よりの「証拠」は、亡くなった人達への敬意も、配慮も微塵も無いところにある。昨日もまた、「二正面作戦」などとバカ総理が得意気に語っていたが、そこには遺体の回収を急がねばならない、という決意は全くなかった。左翼の無宗教性は、「人間は死ねば物になる」という発想に現れている。生きている人間達の権力闘争だけが人生で、死ねば敗北、死者には何もやるな、という発想である。左翼の歴史が惨殺の歴史、仲間割れの歴史であることが、これを示している。

「最後の一体まで絶対に諦めない」と自衛隊の隊員は自らを鼓舞しているという。それこそが日本人であり、それこそが人間ではないか。早々に防災服を脱ぎ捨て、福島沿岸が未だ手付かずの状態だというにも関わらず、御遺体の回収を政治課題の筆頭として挙げない連中に、何もしていない癖に、既に復旧から復興の段階に切り替わったなどと嘯く連中に、人の心などあろうはずがない。

過去はもうよい。現在も諦めた。
しかし、この政府の未来だけは絶対に奪わねばならない。
被災者の未来のために、日本の未来のために!