【石平のChina Watch】
中国に茅于軾さんという著名な経済学者がいる。以前は中国社会科学院の研究員で、定年後には民間研究機関である天則経済研究所の所長を務めている。
彼は時々、経済や政治問題に関する大胆な発言で注目されるが、去る3月25日、茅氏が自らのブログで発表した一通の小論文がまた人々の度肝を抜いた。
彼は何と、中国軍が進めている航空母艦の建造計画に批判の矛先を向けたのである。
「私たちの税金を使って空母を造るな」というタイトルの文章で、茅氏はコストと効用の点から独自の「空母無用論」を唱え、中国は軍拡ではなくむしろ軍縮を推進することによって名誉ある地位を勝ちとるべきだとも提言している。
その中で茅氏は、「私も納税者の一人だ。私の払った税金を使って空母なんかを造るな」と大胆不敵な一喝で抗議の意思を明確に示した。
茅氏の個人ブログで発表されたこの論文は直ちに多くのウェブサイトに転載され反響を呼んでいる。私自身も、これをネット上で読んだときには驚きを禁じ得なかった。政府の経済政策などを批判する意見は中国国内でも時々目にすることがあるが、政権が進める軍拡路線に異議を唱えて泣く子も黙らせる中国軍の空母建造計画を正面から批判するとは、まさに驚天動地の出来事である。
さらに注目すべきなのは、茅氏は「納税者」の立場から批判を行った点である。それにはおそらく、「納税者の立場からの批判なら政権からの迫害が避けられやすい」との判断があるだろうが、その背景にあるのはやはり、現在の中国における「納税者意識」の増進であろう。
「Yahoo!中国」で「納税者意識」の中国語単語を入れて検索すると、出てきた検索結果の件数は50万件以上にも上っていることから、中国で「納税者意識」の概念が徐々に浸透していることがよく分かる。最近では、たとえば3月に開催された中国政治協商会議の席上、政治協商委員を務める弁護士の馬虎成氏が納税者の「知る権利」の視点から政府の「財政透明化」を求めた例や、中国新聞週刊の2011年1月6日発売号が「わが国における納税者権利意識の目覚め」と題する記事を掲載して「納税者権利の保護」を提唱した例など納税者意識の高まりを示すような具体的な動きも見られている。
この国における納税者意識の増進は実に大きな意味を持っている。今までの中国史上、「官」が上で「民」が下、権力が「主(あるじ)」であって民衆が「僕(しもべ)」であるという考え方が根強くあって、それが専制政治の思想的支柱ともなっているが、今、「われわれ納税者こそが主だ」との意識が台頭してくると、中国数千年の政治体質を根底から変えていく可能性があるのである。
どこの国でも、納税者意識の確立こそが民主主義が成り立つ根幹であるから、中国における納税者意識の成長は当然民主化推進の一助となろう。前述の中国新聞週刊記事は、遼寧省撫順市財政局が「業務用」と称してIT機器を大量に購入しようとしたところ、ネット上の反対の声に押されてそれを断念した実例も紹介しているが、それは、「納税者の民主主義」が中国で小さな一歩を踏み出したことのしるしであろう。
そしていずれか、学者の茅氏が「納税者の権利」を盾にして空母建造に反対したのと同じように、中国国民の多数が納税者の立場から共産党政権の政策やその独裁的体質に「NO」を突きつけて自己主張を始めたときには、われわれもようやく、中国の民主主義の夜明けを見ることができるのではないかと思う。
◇
【プロフィル】石平
せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。
中国遼寧省大連港で修復が進む空母「ワリャーグ」(共同)