子供たちの優しい心、がんばる心はなくならない。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【渡波小復興日記】



東日本大震災の津波で校舎1階がのみこまれながら、いまだに2、3階や体育館が避難所となっている宮城県石巻市立渡(わたの)波(は)小学校で13日、子供たちが待ちに待った登校日があった。久しぶりの友達との再会に笑顔を見せたが、友達や先生との悲しい別れもあった。

 《4月13日 久しぶりに友達に会えた。でも転校だなんて…》

 「心配してたんだぞ」。4年2組だった亮哉君(10)は、震災以来、連絡が取れなかった春稀君(10)を校庭で見つけると、肩を組んで笑顔を弾けさせた。震災後、3月24日に修了式があったが、出席できない子も多かった。

 「俊ちゃん転校するんだって」「えー」。3年1組だった尚希君(9)は俊介君(9)の転校を知り、思わず声を上げた。自宅を津波で流され、転居する被災者も多い。

 「フレー、フレー、俊ちゃん」。運動会の応援を思い出し、目を赤くしながら精いっぱいの別れを告げた。「俊ちゃんに会いに自転車で絶対行くから。どんなに遠くても行くから」

別れは友達だけじゃない。先生たちの離任式もあった。渡波小を去るのは先生24人のうち10人。教室は避難所になっているため、校庭でお別れの会をした。

 「まだまだ大変なことがあると思いますが、自分の可能性を信じてください」。5年1組の担任だった千葉優樹先生(29)はこうあいさつした。渡波小にいたのは半年と短い。それでも忘れることができない光景がある。

 《3月11日 真っ暗闇で子供たちの優しさを知った》

 津波から避難してきた子供や近所の人たちでごった返した体育館に5歳の男の子が迷い込んできた。薄着に裸足でブルブル震えている。「大丈夫?」「心配ないからね」。停電で真っ暗になる中、5年生たちがその子の手を握りしめ、代わるがわる励まし続けた。

 自分たちが恐怖で締め付けられているはずなのに。「この子たちがいれば大丈夫」。そう思えた。男の子の母親は見つかった。

《4月13日 「また会おうね」って約束した》

 3年1組の担任だった伊藤純先生(53)も6年間勤めた渡波小を去ることになった。子供たちが駆け寄り、先生を取り囲んだ。「地震でたくさんいろいろなものを失いました。大切な人、おうち、思い出の品…」。伊藤先生は笑顔でこうしめくくった。「でも渡波小の子供たちの優しい心とがんばる心はなくなりません。また皆に会いたい。また会いましょう」



草莽崛起 頑張ろう日本! 復活・大日本帝国!

教師たちの離任、着任式が行われた石巻市の渡波小学校。離任する教師たちは別れを惜しんだ。最後に生徒から手紙をもらう伊藤純先生 =13日午前、宮城県石巻市 (大西正純撮影)