【from Editor】
遅れた昼食への途中、突然の激しい揺れ。社屋のエレベーターが停止した。ふらつく足で階段を上がる。駆け下りてきた編集局の女性整理部員が「生きてましたか。捜索に来ました」。ギシギシと鉄骨階段の不気味な音、漏れ落ちる水を避けて騒然とした編集局へ。
11日午後、号外!「列島激震」の大見出しが躍る4ページ。怒声の中、走り回る編集局員。わずか数十分で作り上げた。
すぐに新聞本体作成だ。
「グラフ面を作る! 写真でもこの地震を伝えるんだ」。編集局長の声が響く。
間髪入れず、新聞の印刷や輸送などを担当する制作局から「仙台の印刷センターと連絡とれず稼働不能。東京からトラックで運ぶしかない。締め切りを2時間繰り上げできないか」「千鳥(千葉)もだ」「2つのセンターでしか印刷できない。20ページに減らしてほしい」。次々に要請が来る。
この日の予定は28ぺージ。読者に届いてこそ。だが、ニュース面は減らせない。4ページの写真グラフ、全面広告もある…無理か。「全面広告はすべて外したい」と営業局に事態を説明すると、「協力する」の返答。
結局、オピニオン面、テレビ・ラジオ面以外は、すべて東日本大震災ニュース面として特集面を休載せざるを得ない、と決断する。
本紙の1面レイアウトは、左3分の1はコラム、漫画「ひなちゃんの日常」が定形で、これまで崩したことはなかった。だが、未曾有(みぞう)の大震災報道のため、外して最大限に広く使う。
「1面は2段ブチ抜きベタ黒見出しだ(紙面の幅いっぱいの黒いバックに白い文字)」。余震の恐怖や時間に追われながら刻々と入る情報。整理記者それぞれが見出しとレイアウトと闘っていた。
1面「列島 最大激震M8・8」。2、3面に「東北 壊滅的被害」「直後に巨大津波襲う」のベタ黒大見出しがついていく。
「住民の思いだ。命なんだ」
普段は静かな社会面の整理副編集長の声に応えて、「死にたくない」「首都混乱『いつ帰れる』」と臨場感ある見出しが生まれた。
そしてテレビ欄が定位置の最終面は、建物の屋上に避難した人たちが津波に流されたセスナ機や車を見つめる大きな写真が載った。見出しは「街が次々消えた」。
午前2時。何度も襲われた揺れ…記者たちの顔が優しく見えた。
「伝えたい」誰かのために。
今日も続く。(編集局次長 清水敏行)