というと、「はあ?」と思われる方も多いと思いますが。
でも、このブログの読者の方々はそうでもないかな?
昨日、我が家にDVDが届きました。
先月、取材を受けたケーブルテレビの番組のDVDです。
「私の一冊」というタイトルで受けた取材なのですが、我が家は田舎でケーブルも来ていない。
それで番組用に編集されたものをコピーして送ってもらえるようになっていたのですが、冒頭にいきなり取材の最後のほうで私が語っていたことが出てきました。
「プロの作家とアマチュアには、大きな差がある。
アマチュアの方は、つい自分が書きたいように書きたいことを書いてしまう。
しかし、それでは自己満足にしかならない場合も多い。
他人が読んだときに面白くないと感じられることもある。
プロ、あるいはプロに準ずる書き手は、つねに自分がストーリーを書きながら、同時に読者の目線も持っていて、これを読者が面白く感じているか、この一文を読んだとき、読者がどう思うか、この時点まで書き進んだときに読者がどのように感じ、この先ストーリーがどうなっていくと想像しているか、など、つねにフィードバックして考えている」
といったことが、冒頭に出ていました。
これはほんっっとうに大きな差で、ここを理解できるかできないか、実感して実践できるかできないかで、作品の出来不出来は大きく違ってきます。
皆さん。
たとえばファッションなら、自分が世間的に見て「恥ずかしい格好」かどうか、判断できますよね?
お葬式や法事の日に、真っ赤な派手派手ファッションで行く人はいません。
友達の結婚式に、ジャージで行く人はいませんよね、普通。
そういうことをやったら受け入れられないだろうとか、共感を得られないだろう、ということは、じつは大多数の人が、日常の中で普通に判断していることなのです。
小説家は、小説創作という技巧の中で、それを見極めているのです。
ということは、逆に。
プロの小説家の多くは、一般的な読者の感覚を理解しているということでもあります。
たとえば、
「このフェラーリ、かっこいいわね」
「そうだね」
「値段は?」
「一千万円」
「安いわね」
「じゃ、買おうか」
というような会話を、中流の夫婦にさせる馬鹿はいませんが(何らかの必然性があれば別)、
「このフィット、かっこいいわね」
「だろう」
「値段は?」
「×××万円」
「うーん。ちょっと高いけど。でも、ハイブリッドなんでしょ。だったらいいわ」
「じゃ、買おうか」
という会話なら、中流の夫婦にさせても受け入れられますよね。
これは極端な例ですが、経済感覚に則した部分ですよね。
それだけじゃなく、小説家のプロは人間の情緒面に至るまでも、こういった判断を行っているということです。
その人間が言っても不思議ではないセリフや行動。
不思議に思えるセリフや行動でもあえて言動させる必然。
読者が納得できないような人の言動、そしてストーリー展開は必然性があって、なんらかの論理的裏付けが取られなければ難しい。
当然なことながら、基本的には多くの人が共感できるストーリー構成と言動になっていく。
こういうと、登場人物をつまらないレールの上を歩ませるのが小説か?と誤解されるかも知れませんが、そうではありません。
人の情緒パターンや感情表現は多種多様で、一人の人間でも状況に応じていろんな顔を見せます。
つまりバリエーションは無限に近くある。
これを違和感なくやってみせ、なおかつストーリー的にも読者に納得させる。
こういったことができなければ、プロにはほど遠いのです。
この感覚がまったくずれていると、どうなるのでしょう?
「なんでこの主人公は、ここでこんな行動を取るんだろう」
「このセリフ、ぜんぜん共鳴・共感できない」
といったことが積み重ねられ、読者が人物に感情移入できなくなります。
感情移入できなくなれば、これは致命的で、「まったく面白くない」と受け取られてしまいます。
どのような人物描写が面白く、どのようなストーリー展開が面白いのか。
こういったこともつねにフィードバックして考えています。
注 この場合の「面白い」は、たんに娯楽的な要素ではなく、人として興味をかき立てられる情動とお考えください。
これは詰まるところ、読者のことをいかに考えているか、ということで、私が冒頭に述べていることにつながります。
「自分の書きたいことを書くだけじゃない」
「自分の書きたいことを書きながら、読者のことも考え、彼らの面白さを考える」
それがじつは、プロだったりします。
これはほかのいろんなアーティストにも通じるものだと思います。
自己満足の仕事では、人は満足しない。
お客さんの立場になり、その気持ちを考えて、はじめて十分なプロの仕事となる。
人生も同じようなものかと感じます。
多くの人が、幸せになりたいと考えています。
なのに、なぜ、なかなかなれないのか。
それは自分のこと(幸せ)しか考えないから。
そんなのは自己満足の人生です。
人はまわりの人を幸せにして、はじめて幸せになれる。
人として成長したら、まわりのことはより見えてくる。
そうしたら他人のことにもっと配慮できるようになるし、人間としても優しくなれる。
困っている人がいたときに、その人が何を求めているか理解できるから、すぐに親切にしてあげられる。
こういったことができるようになって、初めて人は自分自身、幸せになっていくのかも知れません。
本当の意味で。
なぜなら、まわりを幸せにする人間を、人は放っておかないから。
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