土星と太陽の合は、世間で言われる凶座相ではない? |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
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 占星術研究家として
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 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

elephanさんへのコメントレスです。

コメント欄に書くだけに留めるには、ちと惜しいかなという気もしました。
占星学上、結構重要な要素をはらんでいるからです。

>1988、89年は人生最大の試練の時でした。おっしゃる通り社会生活、個人生活が根こそぎひっくり返されました。
>あれがあるから、もうその後何がきても驚かない、という感じでしょうか(笑)
>81~83年頃はそんなに悪くなかったような気がします。

なるほど。
見直してみますと、88、89年はMCやICという、人生構築上、非常に重要なポイントでハードアスペクトが生じています。
このため影響も大だったのでしょう。

81~83年のハードアスペクトも非常に強いのですが、このとき主体になっているのは進行土星の出生太陽への合です。

このアスペクトは人生上でも、非常に強い試練の時と考えられてきました。

ところが、です。

私もじつは進行太陽が出生の土星に合になるという時期を経験してきました。
このときが不幸や不運だったのか、と問われたら、私も実感としてはそうではないのです、じつは。

これはもちろん、私が占星術師としてこのときがあるのを見越して過ごしてきたこともあるでしょう。

けれど、思うほどの試練はなかった。

たしかにこのとき、睡眠時間を毎日たったの4.5時間、バイトを二つも掛け持ちして、その隙間隙間に作り上げてきた渾身の小説が、出版に至らずに没になったという、ハードないきさつはあります。
でも、自分的にはやるだけのことはやったのだという納得はあります。
納得?
ちょっと違うか。

納得してはいないのですが、その時点で自分がやれることはすべてやってこれだったのだという、一種のあきらめのような。

これで私がぺしゃんこに凹んだわけではないのですが、このときに思ったのが「時が至らないときに何をしてもどうにもならないことがある」という実感でした。
ただ、それであきらめてやめてしまうとかいうのではなく。

どんなに努力しても、逆らえないものが、やはりあります。
当時の自分のやった努力、その小説に込めたエネルギーは、その時点での自分ができるほぼ極限ものだったと、胸を張って言えます。
限界を尽くし、それを超えてさえ。
でも、届かないゴールは、やはりある。

もちろん、運勢的に良くはない。

でも、太陽と土星が合になるときは、宿命的な作用もありますし、自分自身の形成にも役立ちます。

一概に「悪い」運気ではないのですね。

そういったことがelephanさんの解読を通じて、さらに実感できました。
この点については、お礼を言いたいです。

ありがとうございます。

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