前回、四柱推命の話をしたので、今回も引き続き。
西洋占星術で、その人の「運気の強さ」を見るのには、かなりの熟練が必要なはずです。おそらく、ですが、非常に高度な占術体系である西洋占星術の中でも、もっともウィークポイントと言えるのが、この運気の強弱を判定することかも知れません。
たとえば、
「自営業で独立したい。やっていけるか?」
「父親の会社を引き継ぐことになったが、自分にそれだけの器量があるだろうか」
こういった質問に対して、西洋占星術でも十分な解答は用意できます。その人の職業や社会活動を示す星を探り出し、そこへかかるハードアスペクトやイージーアスペクトの具合を判定すればいいのです。
が、それによって見えてくるのは、その人がある職業に対して縁があるかどうか、また本人にとって有利に働く職で勝負しようとしているかどうか、才能があるかどうか、といったことがメインです。
しかし、縁がある才能がある、といったこと以外に、仕事には大きく命運を左右する要素があります。
それが運気の強さです。
じつは西洋占星術には、この点を単純に読み取る方法がないようなのです(私が知らないだけかも知れませんが)。
これについては、私も今後の研究材料としたいのですが、出生ホロスコープのみの解読では、まだ明瞭かつ有効な判定方法というものを見極めておりません(つまり出生図のみではない方法でならあるのですが)。
しかし、そんな回りくどいことをしなくても、四柱推命なら運気の強弱は非常に単純に命式に表れたのを見ることができます。
四柱推命の根本は陰陽五行です。五行とは世界を構成する五つの観念上の元素で、木火土金水のことを指します。この五行はそれぞれが生み出す関係と、阻害する関係になっています。たとえば木→火は「木が燃えて火を生育する」という相生の関係です。土→水は「水の流れを土がせき止める」といった相剋の関係にあります。
そしてこの五行に、それぞれ陰と陽の性質を与えています。
たとえば、火の陽は「丙」で、陰は「丁」です。甲乙丙丁……の十干はここから来ているのです。
また十二支にも五行と陰陽が配当され、子は水の陽、丑は土の陰、寅は木の陽……といった具合です。
四柱推命と西洋占星術は、根本思想はまったく異なりながら、システムとしては非常に似通ったところがあります。たとえば十二支は、年回りにも月にも配当されます。つまり一年で十二支があるのです。これなど、一年のある期間を12星座に区分けしている西洋占星術と、きわめて似ています。
そして占星術が太陽星座である12星座を重視するのと同じように、四柱推命でも月と日の関係を重視します。四柱推命をはじめてやられた方は、なぜその占術が月柱を重視するのか、ピンと来ないかも知れません。日の方が重要ではないのか? と。
しかし、西洋占星術との関係で考えれば、それも理にかなっているということが分かります(おっと、ちょっと脱線)。
あまり専門的なことはともかく。
四柱推命では、生まれ日の五行と生まれ月の五行がどういう関係であるか、これを優先的にチェックします。たとえば私のように子(水)の月に生まれ、壬(水)の日に生まれた者は、「月令を得ている」といい、生まれの背景に自分と同じ要素の後押しを受けて、「運気が強く」なるのです。
これは基本的に強すぎてもいけませんし、弱すぎてもいけないと言われます(ごく少数の例外はあります)。
また月令以外にも、生まれ日のみの運気もあります。
十二運というものを、年月日時の柱に配当していくのですが、たとえば甲寅の日に生まれた人は、その日柱の十二運は「建禄」という強いものになります。適当にピックアップしますが、丙午は「帝旺」、辛巳は「死」、壬午は「胎」など。
十二運は「長生」→「沐浴」→「冠帯」→「建禄」→「帝旺」→「衰」→「病」→「死」→「墓」→「絶」→「胎」→「養」という、人間の生命サイクルの流れを象徴化した記号(漢字)で表されます。
この中でも、「冠帯」「建禄」「帝旺」が強く、「死」「慕」「絶」あたりはもっとも弱いエリアです。
この「建禄」の日に生まれている人は、自営独立にうってつけです。
そういう人生を歩み、とくに組織の中で上に立つには、「月令を得る」か「冠帯」「建禄」「帝旺」などを持つことは、一つの目安になりそうです。
たとえば私の属するK配ぜんを興したN所長は、日が冠帯、月が建禄です。長たる人物には、やはりそれなりの裏付けがあるようです。
では、運気が弱い人間には会社経営、組織の上に立つだけのものはないのか? というご質問に対して、私は四柱推命を専門にしていないので、簡単にはお答えしかねます。ただ運気上の不利をはね返すには、多大な努力が必要だろうということは申し上げられると思います。
中途半端な姿勢、遊び半分では絶対に無理だろうと思われます。
その職に関わる知識や技術、発想力、交渉力、指導力――のみならず、人望や人徳、全人格的なものをトップには求められます。
運気の強い人間が結果的にそういう立場になりやすいという事実は(これは実際そうです)、運気の強さはそのままそうした全人格的なものを表していると見ることも可能ですし、またそのような努力ができる人間であることを物語るのかも知れません。
経験的に言えるのは、私が多数の人間を鑑定して感じることの一つに、運気の強い人間は人格的に安定し、落ち着きがあるということです。これは勤め人をされて、平凡に生きていらっしゃる方でさえ、そうです。余裕があるのです。
性格的な現れ方の問題もあるので、かならずしも一概には言えません。
しかし、一般的な思い込みとしては「運気の強い人間はさぞかし性格的にも激烈だろう」というふうに傾きがちですが、実は逆であることの方が多いのです。これは意外です。プロセスとしては若い頃は激しいが、ある年齢を境に落ち着くというようなこともあります。これなど、やはり全人格的なものが徐々に身に付いていくことを証明するのかも知れませんね。
生まれたときから完成された人間などいませんから。
とまあ、今日の記事は「野心のある人向け」のものでしたね。
でも、私は組織のトップに立つことや独立することが、かならずしも人の幸せにつながるとは考えません。普通に生きて、普通に配偶者や子供を愛して生きていくことの方が、はるかにその人の心を豊かにします。
社会的成功=幸せではないのです。
bikgeさん
そうです。が、正確には「当時の最年少」です。その後、神山裕右さんに記録は破られましたので。
私はと申しますと、その後、中央ではパッとしません(笑)。ミステリー・イベントの原作小説などを書いておりました。
最近、刊行されたものとしては「ノー・ソリューション」とミステリー論考の「デウス・エクス・マキーナ」などがあります。どちらも「ふくろう出版」より上梓しております。
しかし、この先、何があるかかりませんので、ちょっぴり期待しておいて下さいね。ふっふっふ。