子は親を選んで生まれてきている |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

近年、欧米で科学的なアプローチで研究が進められているあの世や生まれ変わり(退行催眠被験者や臨死体験者の証言に基づいたもので、前世記憶や死後のプロセス、また前世と今生の間に存在する中間生《=一般的にいうあの世》などが存在し、人間は肉体だけの存在ではなく、魂が不滅であると証明するもの)。
その研究の中で、人は生まれる前に自分の次の人生のアウトラインを計画するというものがあります。中でも興味深いのは、子は皆、親を選んで生まれてくるという報告です。
そんなことがあるのでしょうか?

普通の感覚では、親の性行為によって卵子と精子が結合し、たまたま生まれ出てきたものがその子である、という認識です。
多くの場合、親の性欲行動の果てに生じた結果で、物質的観点に立てば、その誕生にはあまり貴さは感じられません。

占星術の研究を行っていると、この部分についても欧米で進められている生まれ変わりの研究報告の方が正しいという印象を強く抱きます。
たとえば、離婚する夫婦というのは、たいがいお互いに離婚の星をもともと持っています。そしてお互いにそういう運気の相手をわざわざ選んで結婚し、そしてやがて離婚していきます(驚く方もいらっしゃるかも知れませんが、事実そうなのです)。
私は運命が決定づけられたものとは思っていませんが、無自覚に生きるとホロスコープに示されたとおりの人生を、素直に生きるようです。
そしてその夫婦の間に、三人の子供がいたとしましょう。
彼らが生まれたときは、まだ夫婦仲は良く、円満でした。が、やがて両親は離婚してしまいます。
この子供たち三人のホロスコープを調べると、三人が三人とも「家庭運」が壊れています。壊れるという言い方が妥当でなければ、傷ついた家庭運とも言い得るかと思います。
当然です。
両親が離婚してしまうのに、その子の家庭運が良好で、傷一つない状態であるはずがありません。

これは今までに何組ものそういう家庭を見てきた結果報告で、今のところ私が確認したかぎりにおいて、例外はありませんでした。

子は誕生した瞬間に、すでにある程度の未来も含んだ基本形態を持っています。
これは地に出た芽が、そのDNAに沿って、タンポポになったり、ヒマワリになったりするようなものです。
そこまで厳重に定められたものでなくとも、人はある程度の未来傾向を携えて生まれてきます。

この考えには反撥する人もいます。
運命が定められている、という考え自体に拒否反応を抱くのでしょう。私も実は同感です。
ただ、これは他者から強要された形で、運命が与えられ、定められている、というのを嫌がっているのです。
事実はそうではなく、運命を与えているのは自分自身だというのが、生まれ変わりの科学的研究です。それは自分自身が望んだこと。

「次の人生では片親に育てられる体験をしたかった」
「この人の元に生まれると苦労することは分かっていたが、それでも生まれようと思った」

だからこそ、離婚する夫婦とその子供たちの間には、運気的なジグゾー・パズルが見事に合致するのでしょう。
子供のホロスコープを解読すれば、その子が育った家庭環境というのがだいたい見えてきます。
おおざっぱな、おおらかな家庭。
厳格な家庭。
母親の影響が強い。
父親の抑圧が強い。
風変わりな家庭。
そういうものが見えたときに尋ねてみると、やはり事実、そのような家庭に育っていて、
「どうして分かるんですか」
と、びっくりされることも多いものです。

私は個人の出生ホロスコープは、その人が誕生する前、計画した人生の青写真だと考えています。
だからこそ、よくできているのです。
それは、親や生まれる環境さえも、その子が選んでいることを暗示しています。
そして、それは他人に強要されたもの、神や天が与えたものではなく、自分自身が選択したもの。

最後にうちの子供の話をしましょう。
西洋占星術ではないのですが、東洋にはこれに匹敵する素晴らしい占いがあります。
四柱推命です。
四柱推命と西洋占星術は、思想の根底は違っていますが、似た部分も多く、個人を占うとだいたい同じ結論に達します(そうでないとおかしいのですが)。

その四柱推命では、十干と十二支の組み合わせが基本で、年・月・日・時それぞれの干支を出すのです。
干支は60種類あります。たとえば丙午とか庚申とかいうやつです。
この十干と十二支は、それぞれに反撥したり、結合したりする作用のものが定められています。
丙に対しては辛が「合」だとか、そういう思想です。
「合」は文字通り、合うので、人間関係でもいい関係になれるといわれます。
ということは、逆算すると、その人の干支に対して、確実に良い相性になる干支の組み合わせも存在することになります。
たとえば丙午の干と支に対して、どちらも合となるのは、辛未です。
丙午の日に生まれた人は、辛未の日に生まれた人が最高に近い相性と言えるのです。

干支は年月日時、それぞれに配当します。
ということは、年も60種類の干支、月も60種類の干支、日も60種類の干支……があることになります(ちなみに還暦というのは、生まれ年の干支が60年後にまた巡ってくることを言います)。

私は壬子月、壬辰日の生まれです(年と時は一応無視しておきます)。
私の長女は、丁丑月、丁酉日生まれ。

これは、月と日に関しては、それぞれの干支が完全に「合」になる関係です。
月と日にそれぞれに該当の干支は配当される確率は、60ですから、
60×60=3600
ですね。
つまり、3600日に1回しか、起き得ないのです。約10年に一度です。

10年に一度しか巡ってこないその日に娘が生まれたとき(もちろん自然分娩でした)、私は喜びと共に、生命の深い神秘の一部をかいま見た気がしました。
「なんて素晴らしくできているんだろう、この世は」
そう思いました。
二人目の長男は、この長女ときっかり三年後の一日違いの日に生まれました。
これもまた信じがたい思いでした。

子は親を選んで生まれてくる。

この世は素晴らしい。