【ロシア文学の深みを覗く】
第43回:『絶望』
絶望 (光文社古典新訳文庫)/光文社
¥1,092
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今回紹介する本は、ナボコフの『絶望』(1936)です。前回紹介した『カメラ・オブスクーラ』(1932)の次に執筆された長編小説です。
ナボコフの後期作品には、様々なトリック、言葉遊び、引用など散りばめられていて、ストーリーよりも細部に目がいってしまいます。ナボコフ自身がそういう読み方をして欲しかったんだと思うのですが、その全てを理解するのは非常に難しい。研究者や一部を卓越した読書人を除くと、その一端を理解できれば、上出来という感じではないでしょうか。
前回紹介した『カメラ・オブスクーラ』では、まだ難解とは思いませんでしたが、本書『絶望』では、ついに後期ナボコフが顔を出してきた感じがします。ただ、一般的な読者でもまだ大丈夫。
ストーリーだけを取り出せば、一種の犯罪小説といえます。
ドイツで妻と二人で暮らす工場経営者のゲルマンは、出張先のプラハで自分そっくりの浮浪者フェリックスに出会う。そのときゲルマンには、フェリックスを利用した犯罪計画が思いつく。そして、その計画を実行に移すのだが・・・
ゲルマンはその犯罪計画が天才的な芸術作品と思い込み、その犯罪の一部始終を小説して書いたものが本作という設定です。
ゲルマンは自身の才能に絶対的な自信を持っていて、小説論や芸術論などを随所にちりばめ、あるときは実践してみたりしながら、物語は語られていきますが・・・とこれ以上はネタバレだからやめておきましょう。まあ、ネタバレしてもいいのだけど。
で、なにが言いたいかというと、本書は犯罪小説の形を借りたメタ・フィクション、つまり小説論的な小説だってことです。
ですので、そういったものに興味のない人には、とっつきにくい作品かもしれません。それでも犯罪小説として読んでも十分面白いと思いますので、手にとってみてください。
次回もナボコフの予定です。