ディフェンス(河出書房新社):ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・ナボコフ | 夜の旅と朝の夢

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【ロシア文学の深みを覗く】
第41回:『ディフェンス』

ディフェンス/河出書房新社

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あけましておめでとうございます。本ブログでは、昨年の4月からロシア文学を取り上げていますが、新年になってもまだ続きます。が、あまりダラダラと続けて嫌気が差しても困るので、端折ってでも3月中には終わらせたいと思っています。

さて、新年最初に紹介する本は、ナボコフ(1899-1977)の長編小説『ディフェンス』です。

作者のナボコフは、生まれはロシアですが、ロシア革命後に西欧に亡命し、そしてアメリカ合衆国に帰化。さらにその後スイスに移住します。本格的な作家活動は、亡命後に開始し、当初は、ロシア語で執筆していましたが、途中から英語に切り替えます。

このような経歴を持つナボコフをロシア文学の枠組みで捉えることは困難ですし、そもそもアメリカ合衆国に帰化したのですから、アメリカ人作家といってもいった方がよいかもしれません。

ナボコフ自身もおそらく自分の文学をロシア文学の枠内に押し込めようとする態度には我慢ならなかったのではないでしょうか。本書の主人公ルージンについて小説の中でこう書かれています。

『一般的な意見では、革命があらゆる人生航路に影響を与えたし、作家は主人公に無傷でその時代を過ごさせるわけにはいかないし、それを避けるのは不可能だという。これは要するに作家の自由意思の完全な侵害につながる。しかし実際のところ、革命がどうやって息子(ルージンのこと)に影響を与えられるというのだ?(P79)』

これは社会的・政治的な問題と共にあったロシア文学に対する決別の言葉のように僕には思えます。

そして、ナボコフ流美学の表明でもあるでしょう。

少し考えてみてください、ロシア革命のような祖国を根本から揺るがす大事件から全く影響を受けない人がどれだけいるでしょうか?

主人公のルージンは、そんな大事件からも全く影響を受けない稀有で天才的な人物の代表者なのでしょうか? 僕は違うと思います。

ルージンは、背後に現実の人間が存在する「生きた人間」や「リアリティのある人間」と呼ばれているものではないのです。恐らくルージンの背後に人間はいないのです。ルージンは、ナボコフによって人間の似姿が与えられたチェスの駒であり、ルージンの人生はチェスの記譜です。

ルージンは、鬱屈した日々を過ごしていた少年時代にチェスに出会い、その才能を開花させる。チェスの神童としてもてはやされるようになったルージンは、各地を遠征しているうちに、チェスの達人となったが、その一方でチェス以外何もできない奇妙な大人にもなった。そんなルージンはある女性と出会って・・・と、そんなストーリーは恐らくは表層的なもので、その背後での棋譜にしたがってチェスの駒たちが踊らされている。そんな気がしてきます。

ナボコフの小説は、小説を現実よりも明確に現実を映す鏡として捉えるのでは理解できないでしょう。ナボコフの小説は、現実でないものから現実の似姿を作る錬金術的・魔術的な美の謂いです。

しかし、ナボコフ自身のまえがきでも語られているように、本書には不思議とやさしさに溢れています。現実の人間がいない世界にやさしさがあるのは奇妙なことですが、そのやさしさは読み手の中に、人間の想像力の中にあるのではないでしょうか。

次回もナボコフの予定です。