第1章 第39節 | 『パーシュパタスートラ(獣主派経典)』を読む




अत्रेदं ब्रह्म जपेत् ॥३९॥


atredaM brahma japet ॥39॥


【ここにおいて、この[1]ブラフマンを[2]唱えるべし。】





[1]atredaMは、atra+idamである。atraはidam「これ」の副詞であり、「ここにおいて」という意味である。idamは「これ」という意味であり、brahmaにかかる、中性の主格及び対格であるが、ここでは中性、対格である。

[2]brahmaは、中性名詞brahmanの主格・対格であり、ここでは対格である。この句におけるbrahmanは梵という意味や祭司としてのブラフマンではなく最も原義に近い、「呪句」という意味である。『ヨハネの福音書』にある「初めに言葉がありき」のロゴスという意味に最も近いであろう。それは原初の振動であり、力である。呪句に力があるのは、それがシャクティの顕れであるからである。我々はカリユガの時代に生きているので言葉はおしゃべりに堕してしまっていて、また、所詮言霊だなどと言ったところでそれほど言葉に呪力があるわけではない。しかし最も浄化された者の言葉は、それだけで祝福にもなり、また呪いにもなりうる。また聖者によって祝福された特殊な言葉によって、無明と欲望に基づく他の言葉や意思及び行為によって生じた汚れを破壊することが可能となる。それがマントラである。


 今回はbrahmanについて自分なりにまとめてそれについて一応概説したい。まずこのブログでよくブラフマンだとかブラフマー神だとかブラーフマナだとか出てきて分けが分からなくなるのでまとめておく。


 中性名詞としてのbrahmanは、動詞語幹bRh(増加する、増大する、強くなる)に第一次派生語を作るkRt接尾辞manが付加されたものである。「神聖な言葉、呪力、聖音オーム」という意味であり、そこからウパニシャッド哲学においては、「絶対者、世界の最高原理、万物の母胎である梵、ブラフマン」を表すようになる。

 男性名詞のbrahmanは、「婆羅門の祭司及びブラフマー神」の意味である。



 braahmaNaは、前述の第一次派生語であるbrahmanに、第二次派生語を形作るtaddhita接尾辞aが付加され、語頭のvRddhi化を伴ってbraahmaNaとなったものである。「ヴェーダに通じた人」という意味である。


 「あらゆるものが波動である」ということと、 『チャーンドーグヤ・ウパニシャッド』の「sarvaM khalvidaM brahma(実にこの一切がブラフマンである)」というのはほとんど同義である。つまり「sarva khalvidaM praNava aum(実にこの一切が聖音オームである)」である。
 プルシャとブラフマンは多少意味合いがことなるにせよ、『リグ・ヴェーダ』の「プルシャ讃歌」において、プルシャのその四分の一がこの世界であり、残りの四分の三が天にある不死者に至ったと言われる。つまり我々の知覚の対象であるところの一切の森羅万象(我々が一般的に知るsarva)は、実際はプルシャの四分の一でしかないということである。




 つまりブラフマンの四分の一の部分が展開したものが我々の知るマーヤーの世界、プラクリティの顕現した部分であり、それ以外の残り四分の三が未顕現の部分として残っているわけである。残りの四分の三の未顕現である部分が、プラクリティであってプルシャではないとか、いやいやそれは多分プルシャなのだとかの煩雑な議論を避ける。聖典によれば我々の知る一切は、ブラフマンの顕れであり、またそれは先程述べた通り、ヴェーダによれば顕現したものの僅か四分の一ということなのである。そしてそれらの顕現・非顕現の一切を「見る者」としてのアートマンは、言うまでもなくブラフマンと異ならない不二のものである。


 ハイダーカーン・ババは、「なぜあなたは神と神の創造との間に相違を設けるのかね?」  と言って被造物を見ることと神を見ることの間に相違を設けることを諌めている。






 またニーム・カロリ・ババも以下のように同じくあらゆるものに神を見るように述べている。




すべての行為が祈りである。
すべての木が欲望の実現である。 
すべての水がガンジス河である。
すべての土地がヴァーラーナシーである。
すべてのものを愛しなさい。 


神を理解しようとするより、
万物の中に神を見るほうがいい。



ニーム・カロリ・ババ





『愛という奇跡』ラムダス編(大島陽子、片山邦雄訳)
 




 以上の言葉は「実にこの一切がブラフマンである」というマハーヴァーキャの現代の聖者による分かりやすい表現である。 またシャンカラ・アーチャーリヤも『ウパデーシャ・サーハスリー』(前田専学訳)でこのように言っている。




 「それゆえに、「私はブラフマンである」。私は一切万有である。私は常に清浄であり、悟っており、不生であり、一切に遍満し、不老、不死、不滅である。」


 



 全てのものがブラフマンから分離したものではない。またあらゆるものが、ブラフマンの顕れであり、アートマンはブラフマンである。これが梵我一如ということである。
 現代においても古来より伝承された「私はブラフマンである」という簡潔なマハーヴァーキャによって悟ったタバコ屋の親父がいる。ニサルガダッタ・マハラジである。





 彼は中年まで平凡なタバコ屋の店主であったが、彼のグルであるシュリー・シッダラーメシュワル・マハラジに会い、彼は僅かな教えを受けて、そしてそのグルも間もなく亡くなったにも関わらず、僅か三年で悟ったと言われる。ニサルガダッタ・マハラジの言葉を『アイアムザット(私は在る)』(福間厳の英語からの重訳)より引用する。



 「私の運命は素朴な庶民として、僅かばかりの教育を受けた質素な商人となるように生まれることだった。私の人生は、ごくありふれた欲望や恐れをもった平凡なものだった。私の師への信頼と、彼の言葉への服従を通して、私は真の実在を悟ったのだ」



(シュリー・シッダラーメシュワル・マハラジ )


 「私の師が「私は在る(ahaMbrahamaasmi)」という感覚をしっかりつかまえ、一瞬でさえ離してはならない、と私に言ったのだ。私は彼の助言にしたがって最善を尽くし、比較的短期間で彼の教えの正しさを実現した。私がしたことといえば、彼の教え、彼の顔、彼の言葉を絶えず思い起こしていたことだ。これがマインドに終焉をもたらした。マインドの静寂のなかで、私は束縛から解放された。あるがままの私を見たのだ」


(シュリー・シッダラーメシュワル・マハラジ )


 「私自身の体験から知っていることだけをあなたに話そう。私がグルに出会ったとき、彼は私に言ったのだ「あなたはあなたが自分自身だと見なしているものではない。あなたが何であるのかを見出だしなさい『私は在る(ahaMbrahmaasmi)』という感覚を見守り、あなたの真我を見出だしなさい」と。私は彼に服従した。なぜなら彼を信頼したからだ。私は彼が言ったとおりにし、許すかぎりの時間を、沈黙のなかで自分自身を見つめることに費やした。そして何という変化をもたらしたことか!それもこんなに早く!三年という短い時間で、私は真我を実現したのだ。私はグルに会ったすぐ後、彼は死んでしまった。だが、それは何の違いももたらさなかった。私は彼が私に言ったことを、たゆまず覚え続けていたのだ。その成果は、私とともにここにある」



 質問者:あなたの真我の実現がどのように起こったのか、尋ねてもよいでしょうか?






 「どうしたものか、私の場合それはとても簡単で、やさしいものだった。私のグルが亡くなる寸前に私に告げたのだ。「私を信じなさい。あなたは至高の実在なのだ。私の言葉を疑ってはならない。不信感をもってはならない。私は真実を伝えているのだ。それに基づいて行動しなさい」と。私には彼の言葉を忘れることができなかった。そして忘れないことで、私は真我を実現したのだ」



(シュリー・シッダラーメシュワル・マハラジ )



 質問者:しかし、実際にあなたは何をしたのでしょうか?

 「何も特別なことはしなかった。私は私の人生を生き、商売に励み、家族の面倒を見、時間の許すかぎり、私のグルと彼の言葉を覚えていたのだ。じきに彼は逝き、私は記憶に頼ることしかできなかった。それで充分だったのだ」







 【ブラフマン瞑想】




①座ってであれ歩いている時であれ、「私はブラフマンである(ahaMbrahamaasmi)」という感覚を捉え、それにひたすら沈潜する。その場合、ハートのチャクラあたりで念想するのが適当であろう。

②「いやいや、そんないきなり言われてもブラフマンとか何だか分からないし、できないし」という困った御人の為に、もう少し具体的に念想していくことにしよう。自分の視界なり意識なりの限界まで意識を広げよ。

③「いやいや、そんな意識を広げよと言ってもよくわからない」という困った御婦人の為にもう少しだけ具体的に念想することにしよう。あなたのいる場所から最寄駅までを半径とする球を意識せよ、できないなら「意識した」と決定決心決意せよ。次に一番近い大きな主要都市までの距離を半径とする球を意識せよ、その球を自分のいる都道府県まで拡大せよ、さらに自分の地方まで拡大せよ、さらに日本列島まで拡大せよ、順次、アジア、ユーラシア大陸、地球、月、水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星、太陽系まで拡大せよ。




   さらに天の河銀河系、宇宙の中心、過去のビッグバンの発端、未来の宇宙の終焉まで意識を拡大せよ。



④前述までの意識の球体がブラフマンの四分の一であると念想せよ。

⑤それを倍にしてブラフマンの四分の二を念想していると信じよ。

⑥さらに上乗せして四分の三を念想せよ。

⑦最終的にこの世界の四倍であるブラフマンの全体を念想していると信じよ。

⑧ここまで意識を拡大したら、それこそが私であると感得して自己のハートにその全体を感得せよ。

⑨自分のハートに感得できるようになったら、歩いている人でも近くの塵でも壁でもなんでも一切合財全てにそのブラフマンの四分の四があると感得し観想せよ。

⑩かくてそのように完全に意識が遠のくぐらいの高波動をもって世界を眺め、それを「見る者」を感得せよ。それが【ブラフマン瞑想】である。





 このような瞑想によって学問と言葉による概念的定義を超えたブラフマンの直覚的定義が下されるであろう。かくてブラフマンの理解に頭の良さなど不要であることが分かるであろう。