第1章 第32節 | 『パーシュパタスートラ(獣主派経典)』を読む




सर्वेषां चावध्यो भवति ॥३२॥


sarveSaaM caavadhyo bhavati ॥32॥


【〔彼は〕何ものによっても殺害されることがない[1]。】






[1]avadhyoは、vadhya(殺害)の否定である。不殺ということである。浄化されたパーシュパタの修行者は何人によっても殺されることがなくなるということである。人は基本的に自己の生存のカルマが尽きるまでは死なないものである。しかし生存のカルマが尽きれば当然死は免れえぬものになるし、また死すべき他者の死のカルマを自ら背負うことにより、他者に自己の生存のカルマを譲渡し寿命が尽きるという例もある(ムガル帝国初代皇帝のバーブルは息子のフマーユーンにそれを実践した)。




    バガヴァッド・ギーターのアドヴァイタ的な勝義諦的観点から見れば、全ての人はアートマンとして不生不滅であり、火や水や風や剣で死ぬことはない。しかし世俗諦的な肉体の観点から見れば誰もが殺される危険は当然あるし、聖者もその例外ではない。例えばブッダボーイの前身やダスカロスの前身、或はミラレパも殺されているのである。そうした肉体的な死の危険があるこの世界で、他者に殺されることがないのは、シッディとして他者の殺意を感知しそれを未然に防ぐあらゆる手段を講じえる能力があるということに他ならない。しかしながら、よく考えてみれば、お釈迦様を殺そうとしたデーヴァダッタのような、聖者を殺そうと企むような愚物は、ほとんどお目にかかることもないわけであるし、またこのような聖者を殺そうとする人々を研究するのは面白みが欠けるきらいがあるので、死の克服という観点から少し範囲を広げて、聖者が他者の死を防ぐ例を以下見ていくこととする。







   先ずは19世紀型ハイダーカーン・ババの例。






 シュリー・ハイダーカーン・ボレ・ババは実際のムリチュンジャヤ、死の制御者である。クマオン地方の人々はシュリー・ババジの恩寵により死から立ちあがったたくさんの事例を語っている。

 聖なる師はシートラーケートの近くのチャンパという村に滞在していた。地元の村長であったタクルの娘がしばらくの間、病床に臥せていた。やがて娘は亡くなった。タクルは娘を火葬にする為に必要なものを買いに隣町まででかけて行った。彼はシュリー・ハイダーカーン・ババの帰依者であったが、その時、ババジが通り過ぎる彼を見かけて声をかけた。彼は喪の期間中にババジと接触するのは不適切と考えて、道を急ごうとした。その時タクルが踵を返してそのまま行こうとすると、ババジが火葬の資材を引ったくて、投げ捨てて言った。「私達は生きているものを火で焼いたりはしない」驚いたタクルが家に帰ってみると、親族の女達が死体に縋り付きながら大声で泣き叫んでいた。タクルは白布を引ったくった。そして彼は娘が息を吹き返しているのを目撃したのだった。驚きに打たれた村人達はババジの下へ駆け付けてその足に涙と共に倒れ伏した。そしてその後、徐々に、ババジの恵みにより少女は回復していったのだった。


 他の小話としてシュリー・ラーマダット・ジョーティヴィンドの弟の死にまつわるものがある。弟のラクシュマンは数日、病に苦しんだあげく突然死んでしまった。慣習として、シュリーラーマダットはプールヴァタールの湖に火葬の儀式の前に沐浴に出掛けた。帰路、シュリー・ハイダーカーン・ババジが明るい笑顔で笑っているのに出くわした。彼はババに弟が死んでしまったことを伝えた。ババジは一緒に彼の家にやって来た。彼が家に入るやいなや、弟が起き上がり、ババジに向かって歩き出し、そして聖なる御足にひざまずいた。ラーマダットはシュリー・ハヌマーンが命を与える薬草であるサンジーヴィニを取ってきてラーマの弟の命を守ったということを聞いたことがあったが、これはそのケースにあてはまらないのであった。シュリー・ハイダーカーン・ババはサンジーヴィニなしに彼の弟に命を授けたのである。



『From Age To Age』giridhari lal mishra







 ジョン博士の義理の父G・N・ジョシは、3~4年肺結核を病んでいて、その日病のために亡くなった。家族や親族縁者達は悲しみに包まれ胸のつぶれるような泣き声は空をつんざくようだった、死体は外に運びだされレモンの木の下に安置されていた。
 村人達も集まり家族と嘆きを共にし、死者を荼毘にふす葬列の用意もされた。死体を最後に浄めているとババジが突然姿を見せた。
 ジョシの母はババの足元に伏して次のように祈った。「主よ、このような悲しみのときによくおいてくださいました。どうかあなた様の恵みもて、何とか死んだ息子に今一度命を与えたまえ。私は嫁のことが心配でたまりません。かけがえのない者を失って嫁はどうやって生きていくのでしょうか。私には息子が他に三人おりますが、この若い24才の嫁のことを思うとたまりません。ああ、主よ、どうかお願いです……」
 主は微笑んで「心配ない、おまえの息子は大丈夫だ」と答えた。
 出席していた人達は強い疑いの色を浮かべ、こうなってしまった死体に今更どんな手を施すのかと囁きあった。しかしババジには明らかに考えがあるようだった。
 突然ババジは真剣な様子に変わり、死体が根本に置かれた木の枝を折ると、ジャラを始めた。一分ほど過ぎると彼は歎く母に告げた。「心配ない、体に温かさが戻り始めた」もう一分経つと言った「脈拍が打ち始めたのを感じる」 
 皆は驚き呆れて立っていた。バガヴァーン・ヘラカンは何をしていたのか、ジョシは死んでいるの、どうやってどこから彼を呼び戻すのか。ババジの言葉を聞いている人達にとって理解を超えたことだったが、彼等は目の前の光景をただ見守っていた。
 少し経つと、ババジは誰か婦人から乳をもらうことができるかと尋ねたので、すぐにババジのところへ乳が持ってこられた。彼は乳をジョシに少しづつ与え、彼の手でジョシの目が開いた。
 全員がジョシが生き返り、驚いたように辺りを見回すのを見た。実際のところ皆はババ・ヘラカンが神の顕現であると聞いてはいたが、今それを目撃した。
 ババジはジョシを家に運ぶように命じたが、人々の迷信は捨てがたく、そのときになっても彼等は幽霊のような体に触れると憑依されるのではないかと家に運ぶのを恐れた。
 ババジは微笑んで「心配ない、この男は生きている、おまえたちの考える死んだ者ではない。家に運びなさい。何も悪いことなど起こりはしない」と告げた。
 ジョシはベッドに寝かされ、徐々に回復に向かって少しづつミルクを飲み食物を取るようになった。
 ババジはその後で去ったが、八日すると戻ってきて、家族にジョシを近くの川(ラームガンガ)に連れていくように言った。そこで主は川の水を少しすくって飲み、ジョシにも少し与えるようにと言い、その後彼をうつぶせに寝かせて毛布で包むようにと指図した。三十分もすると汚い悪臭を放つ水がジョシの鼻から流れ出すのを人々は見た。
 それから主がジョシに共に来るように誘うと、驚いたことにジョシが立ち上がり、四キロほどの山道を登り、機嫌よく家に歩いて戻った。
 この出来事は1910年か1911年に起こったことで、ジョシは1950年か1951年に四十年間の新しい寿命を生きて亡くなった。
 










   次は20世紀型ハイダーカーン・ババの例。




 聖書のヨブ記には人の信仰はしばしば試され堅い信仰はより強く試されるとあり、それはその人のためだけではなく、その出来事を見る人達のためでもあると記されている。
 1975年の春ババジはヘラカンの川原でアーシュラムの大きな宿舎「ボンベイハウス」の完成を祝って大きなヤッギャを行った。その建物は一階に大きなホールがあり二階に八部屋の個室があった。(映画俳優の)シャンミはそのころ「マハートマージ」という名前で呼ばれ、ボンベイからお祝いにやってきた。
 マハートマージはそのころ体調が悪くヘラカンに来る前に定期検診を受けていた。ボンベイで最高の彼の医者は血糖値が危険なほど高いため、マハートマージに砂糖、アルコール、炭水化物抜きの厳しい食養生を言い渡した。
 ヘラカンに着いてマハートマージがババジと座ると、ババジは彼に体調を聞いた。彼が糖尿病であることと食事制限について話すと、ババジは答えの代わりに一キロのお菓子の箱をマハートマージに渡した。マハートマージが「ババジ、これは私に毒です!」と言うとババジは全部自分で食べるように言った。その日遅く二回目に顔を合わせたときもババジはマハートマージにもう一箱お菓子を与えた。マハートマージはまたアーシュラムの通常食、米、イモ、チャパティなど山盛りの炭水化物を取るように言われた。







 この食事を三日間続けるとマハートマージの病気はひどくなった。彼の体温は上がり、新しい「ボンベイハウス」の部屋から出ることもできなくなった。ベッドで寝ている二日目にはマハートマージの様態は悪化して意識不明をさ迷い始め、三日目には一日中意識不明に陥った。 アーシュラムの人達は彼の様態を心配した。ババジの処方は「サーンフ」(ディルの入った口を湿らすもの)を温めてスプーン一杯を数時間毎に飲ませることだった。ババジ自身部屋に見舞うことはなかったが、数時間毎に人をやり様態を見させ、妻のニーラも様態を知らせるように言われた。皆はババジにマハートマージの様態は悪化していると伝えた。義理の姉妹は狂乱して彼を病院に連れて行くよう言ったが、ニーラは自分達二人はババジの処置に絶対の信頼を寄せているから移さないと言った。

 ヤッギャの最終日の前夜、ババジは明朝彼の体を拭いてババジの部屋までチャンダンと日の出の火の儀式に連れてくるようにと伝言した。このメッセージが伝わると、彼の熱は下がり意識不明を脱したが、自分で動くには消耗しすぎていた。それでアマルシンは明け方数人の男が来てマハートマージの沐浴を手伝う手配をした。
 午前三時を過ぎると人々が部屋に行き彼を起こした。彼は、ババジの部屋にチャンダンに行く前に、体を拭くだけでなくちゃんと沐浴したいと言い張った。彼はとても弱っていたので、人々は抱えるようにしてカルクシンの原っぱまで連れて行き、椅子に座っている彼の頭からバケツで水を注いだ。それから体を拭いて服を着せババジの部屋まで支えながら歩かせた。




(20世紀型ハイダーカーン・ババの部屋の前、広大なアーシュラムを建てておきながら質素を旨とする20世紀型ハイダカーン・ババの自分のための部屋は僅か四畳ぐらいの洞窟なみに狭い小部屋でしかなかった。ちなみにラーマクリシュナの部屋は寺院付の祭司だけあって20畳ぐらいあったと記憶している。筆者撮影)




 ババジはマハートマージが自分の小さな部屋に入れ様態を尋ねた。優しく愛をこめてババジはマハートマージの額にスッキリと感じられる黄色のチャンダン(白檀)の練りものをつけ、他の人達がババジのところへ順番に来て額にチャンダンを受ける間、彼を部屋に座らせていた。皆がチャンダンを終わると、ババジは部屋を出て日の出のハヴァンの儀式を始め、マハートマージを自分の横に座らせた。儀式が終わり他の人達が去ってから、ババジはマハートマージと五分から十分話をして、その朝の川原であるヤッギャに参加するように言った。マハートマージがヤッギャの間体力が持ちそうにないと言うと「私が連れて行こう。今は行って休みなさい」とババジは話して聞かせた。
 チャンダンとハヴァンの儀式の間、ババジはよく空を見上げていた。誰も雲が集まって来たことに気づかなかったが、マハートマージが「ボンベイハウス」にたどり着くと雨が降りだした。二時間に渡って激しい雨が来て、川の水が氾濫を始めた。数百人の人達が広い川原にテントを張ってキャンプをし、数百キロの食物なども大きな火の儀式やそれに続く祝宴のために川原に用意されていた。川の氾濫の警報が出ると人々は高台にあるアーシュラムへと逃げたが、テントや大量の物品は流されてしまった。ハヴァンカンド(火の炉)だけは辛うじて川原の最も高いところにあり流されなかった。(その日は後になって人々が下流に行き財布、時計、宝石類まで含めて流された物を回収した。誰も無くした物はなかったと言われている。)
 朝のアーラティは普段通り寺院で行われ、その間アーシュラムの倉庫から改めて物を運んで火の儀式の用意も整えられた。アーラティの後でババジはヤッギャへとマハートマージを連れて下って行った。雨は上がり太陽が明るく輝いていた。
 ヤッギャの儀式は二時間かかり、マハートマージはその間ずっと座って参加していた。ヤッギャの間にまた雲が出て雨が降り皆は濡れたが火は消えなかった。ババジがまた空を見上げていると太陽が顔を出した。
儀式の後ババジはマハートマージをゆっくりとアーシュラムの「108の階段」の下まで歩かせた。そこでマハートマージは自分は体重があって普段でも、二、三度休みながら十五分ほどかけて登るので、自分はゆっくり行くからババジは先に行って欲しいと頼んだ。ババジは「私がお前を連れて行く」と答え彼の手を引いて何とか一分間で階段の上まで着いた。そこでマハートマージの家族が二人を見守りながら待っていた。健康な人間はこの階段を一分以内で上がるが、かなりの体力を要する。



(108の階段、筆者撮影)



 次の日マハートマージと家族はボンベイに帰ったが、ババジは彼に再検査をして結果を知らせるようにと話した。検診をすると血糖値には何の異常もなく医師達は驚いていた。彼は以前の食生活に戻り飲酒もしたが、糖尿病は再発しなかった。








   次も20世紀型ハイダーカーン・ババのカオスな小話、しかしここに死から甦らせる必要条件が隠されているので重要である。




 カナダ人のカルクシンが最初にヘラカンのアーシュラムに来たのは1977年で、ババジはアーシュラムの建物の川向こうにある洞窟にいるプレムババと共に暮らすように言った。プレムババは70才くらいの頑強な男で、とりわけ彼の吸うかなりの量のチャラ(その地方のマリファナ)で知られていて、カルクはプレムと同様に吸い始めた。何でも試してみる23才のカルクはチャラに耐えられず、いつも現実感覚を失った状態になり、間もなく病気になった。そこでババジはカルクをアーシュラムの「医者」にして洞窟の側に草で小屋を作らせ、それを病院と呼んだ。カルクは誰が来ても関係なくアスピリンを与えたていた。
 ある日プレムババの足が化膿し、二日ほどの間に腫れて膿を持ちひどい痛みとなった。ババジはカルクに化膿した腫物を切るようにと言った。ババジはカルクに、プレムを洞窟のそばの「食堂」のテーブルの上に箱を置いて座らせれば、プレムの足がちょうどカルクの目の前の高さになると指示し、ババジは立ち去りカルクは「手術台」の用意にかかった。







 用意が整うとプレムはテーブルの上の箱に座り、カルクは、ドキドキしながらもナイフを殺菌し、腫物を突くとプレムの体が傾き痛みで気絶した。傾いた拍子にテーブルから箱が落ちてプレムも頭から地面に落ちた。仰天したカルクがプレムを助け起こそうとしたがグッタリしたままで脈もなくなっていた。カルクは助けを呼ぼうと叫び声をあげた。
 デリーから来ていた医師が近くにいて走って来ると、専門家らしく落ち着いてプレムを調べ脈がないことを確かめた。カルクは叫び声を上げてヒステリックに走り回った。デリーの医師はプレムの心臓マッサージを始め、カルクを黙らせプレムの足をさすらせた。
 フーカムシンは別名を国際的な写真家というが、彼もまた洞窟わきの「病院」のそばにいてその光景を観察していた。彼はババジを探しに走る程度の正気は保っていた。ババジがアーシュラム側の川岸でスワーミー・ファキラーナンダと話しているのを見つけたフーカムは息せき切って見て来た話をババジに伝えた。ババジはいたって穏やかに話を聞いてから立ち上がり、スワーミーに熱心に話しながらぶらぶらと川原を渡って行った。
 ババジとスワーミーは「病院」に着くと中に入り、ババジは新しく作ったわらの屋根を見上げて、屋根の木材とわらを縛る「ロープ」に不適当な木の皮を使っているとカルクを叱り始め、プレムの体の周りで繰り広げられているドラマに何の注意も払わなかった。一、二分してフーカムがババジに早く何とかしてほしいと懇願した。
 やっとババジはカルクに向かってチャンダンシンの茶店に行ってギー(精製バター)をもらいプレムの頭に擦り込むように、五分もそうすれば大丈夫だと言った。カルクが茶店から戻るとババジは立ち去っていた。
 そのころにはプレムは体液を失い始め、目や耳や鼻や口から白っぽい液体が流れ出ていた。それでもカルクはプレムの頭を自分の膝にのせ、ギーを頭に擦り込みはじめた。ババジが言ったように五分ほどもするとプレムは起き上がった。彼がすぐにチラムを用意しろと言うので、イギリス人でアーシュラムの店番をしているフラクシンが何とかチャラを土器のチラムに詰めて火をつけてプレムに渡した。
 プレムはチラムを一息吸うと、やおら座り直してカルクを怒鳴りはじめた。プレムが言うには、彼は「解脱」を得て、魂は肉体を出て狂気の光景を見下ろし、自由を得ていた!それからババジがやって来てカルクの涙と叫びに応え、プレムの魂に体に戻り生き返れと命じた。プレムは腹立ちまぎれに腕を振りあげカルクを殴ると、その反動でひっくり返り完全に消耗した。

 その後、三日間はプレム・ババはベッドで寝たきりで、ミルクを飲むときだけ目を覚まし、また倒れて寝ていたが四日目に起き上がり仕事に戻った。





『ババジ伝』ラディシャム著(はんだまり・向後嘉和訳)より








   続いてクマオン三大聖者の一人、ソンバリ・マハラジのエピソードを再掲載する。




 かつてアルモーラから仕事でハルドワーニーに向かおうとしていた男が、途中、彼のアーシュラムに滞在したことがあった。この男は、足に骨肉腫を患い、その痛みは非常に激しいものだった。男は心の中でソンバリ・ババにこの痛みを癒してくれるように祈った。ソンバリ・ババは彼の思考を察して声をかけた。
「足を見せなさい」
 男は傷ついた足を見せ、もう数年に渡るであろう痛みを訴えた。ソンバリ・ババは、神聖な火(ドゥーニー)から灰を少しつまむと、男の病んだ足にそれを塗り込んだ。すると骨肉腫は消えて、男は嬉しそうに歩きだした。
 しかしながら、その後しばらくしてソンバリ・ババの足に骨肉腫が現れ、それは非常に痛みだした。男は、しばらくの間、痛みによる叫びを聞かされたのだった。それからまたしばらくするとソンバリ・ババの骨肉腫は治ってしまった。こうした方法で、ソンバリ・ババは自己の身体に男の病を引き受けて、癒したのである。











   最後はクマオン三大聖者のニーム・カロリ・ババの例。





 母が病気になりました。どの医者に診せても、敗血症なので、病院に通わなくてはならないといわれました。しかし母は、とても古風な人だったので、病院には行きたがりませんでした。私はマハラジに手紙を書きました。マハラジはあるホメオパシー医の名前をあげて、そこに連れていきなさいと言いました。母は元気になりました。
 しかし、一度もマハラジに会ったことがないという年配のホメオパシー医は、こう言ったのです。「そのマハラジという人からとてもたくさんの人が私のところに送られてきますが、どんな薬を処方しても、みんな治ってしまうのです。慢性の病気でもです。どうして治るのか、私にはわかりません!」



 私はマハラジといっしょに上司の弟を訪ねて、療養所に行ったことがあります。その弟は精神に異常があり、鎖につながれて部屋に現れました。眼の焦点が定まらず、ギョロギョロと動いています。マハラジは彼の前に立って話しかけました。
 すると彼は、突然マハラジの足もとの床に崩れ落ち、すっかり正気を取り戻したのです。質問すると、すべてに答えることができました。精神病の発作はそれが最後ではありませんでしたが、彼はのちに自由の身となりました。



 ダダの甥が天然痘で死にかけました。からだがベッドから床に落ち、どうやら最期の時を迎えたようでした。マハラジが足を洗ったガンジス河の水を喉から一滴入れたらどうかという話になりました。水を入れると甥は起き上がり、翌日に天然痘は消えていました。
 その頃、何キロも離れた丘陵地で、シッディ・マーはマハラジのそばにいました。すると突然、彼の身体に斑点が広がったのです。この丘陵地では天然痘はあまり見られなかったので、天然痘がどのようなものか誰も知りませんでした。人びとはアレルギーの一種だと思い、ローションを塗って手当をしました。すると翌日までに斑点は消えていたのです。マハラジは「すばらしいローションだ。いったい、この斑点は何なのだろう。きっとアレルギーにちがいない」と言いました。
 しばらくあとで、ダダの甥の治療とマハラジの「アレルギー」が、同じ時刻に起きていたことがわかりました。




 手術するために入院していた人がいました。医師は、彼が癌で余命いくばくもなく、助かる唯一の可能性は手術しかないと言いました。病人の家族がマハラジに祝福をもらいに訪ねました。
 マハラジは「手術をしなさい。癌ではないが、手術後に回復する」と言いました。
 二、三日のあいだ、病人は生死の境をさまよいました。マハラジはマザーを見舞いにやり、病人にプラサードをあたえ、枕元に二日間付き添わせました。
 手術では癌が見つかりませんでした。検査のときに、はっきりと見えていた癌は消えていたのです。





 マハラジは、病気の人や治癒を願うすべての人を治療したわけではありません。なぜ、ある人が癒されて、ある人が癒されないかは、マハラジにしかわかりませんでした。ときおりマハラジは病気を軽くしながらも、多少の苦痛を残しておくように見えました。このようなとき、マハラジは癒しの行為が個々人のカルマと密接に関係し、ときにはある程度苦しむことや、場合によっては苦しみ尽くすことが必要であると示唆したのです。ほとんどの人は苦痛を望まなかったので、彼はときどき、苦しみによって、神へと近づくことを思い起こさせました。




 ナイニータールからそれほど離れていないブミアダールの寺院の道端で、マハラジと私は深夜に座っていました。そのとき、ぼろきれと灰でからだを覆った、とても奇妙な姿の男が、道の向こう側からやってきました。男はマハラジを大声で罵りました。私は酔っぱらいにちがいないと思いました。彼は、マハラジが帰依者たちにたくさんの保護をあたえすぎると非難していたのです。
 「今回は」と男は怒鳴りました。「おまえはずっと遠くへ行くんだ!六日たったら、俺があいつをいただくからな」
 マハラジはとても興奮しているように見えました。寺院に行って、その見知らぬ男のために食べるものをとってきなさいと言いました。私が戻ってくると、男は道を横切って。空中に浮かび、消えたように見えました。
 「どこへいったか見ていなさい。どこへいったか見ていなさい!」マハラジは叫びましたが、私には見えませんでした。
 マハラジは、その男は「死に神」だったと言いました。六日後に、マハラジのもっとも近しい帰依者のひとりが亡くなりました。






『愛という奇跡』ラムダス編(大島陽子、片山邦雄訳)