◆長篠の戦で、どうしても残る謎
さて、先日NHKで長篠の戦の番組をやっていました。
バラエティ仕立てでしたが、なかなかきちんとした説明がされていてよい番組でした。
ただ、長篠の戦、どうしても謎が残ります。
それは、武田軍が、取り返しのつかない甚大な被害をこうむるまで、
なぜ集団自殺的な突撃を繰り返したのか?
いくら相手が堀をめぐらし、鉄砲を配備していようが、こちらから突撃しなければ
済む話ですから。
まともで冷静な判断が働かなくなった状況に追い込まれていたのではないか。
ちなみに番組の中では、武田軍は後方の長篠城の包囲を崩されてしまい、
完全に退路を絶たれて、「前に進むしかなかった」と説明していましたが、
実際には、最後の最後で武田勝頼はここからなんとか退却できていますから、
そうとは言い切れないと思います。
私が考える、まともな判断が出来なくなった心理的状況とは、まず、
ギャンブルの心理。
ある程度の損害が出ると、それを取り返そうと、さらに資金をつぎ込む。
あの心理。
「ここまでやったのだから、あとちょっとで、あの柵を突破できるはず。」
「いまここで諦めたら、ここまでの被害はなんだったのか。」
と。こういう心理が働いた可能性があるのではないか。
それとプライド。
この戦場から撤退しようとすると、地理的には相手の本陣から丸見え。
信長に完全に背中を向けて、屈辱にまみれて退却せねばなりません。
それもなかなか辛いものがあります。
武田勝頼は、勝気で、自信もあり、
またそうした強い自分を周囲に誇示せずにはいられない、
弱い自分を出せない性格であったことと、
また、組織的にも、それが出来ない立場にあったと推測します。
勝頼は絶対的な後継者ではなかったですし、そもそも武田軍は、
信長のような絶対君主、中央集権的な組織ではありませんでしたから。
また武田軍自体にも、「自分達は強い」と言う自負があったのではないでしょうか。
さておき、9時間にも及んだこの戦いの、”途中”の状況では、とても勝頼には、
この戦場からの退却するという大きな決断は下せなかった。
これがこの集団的自殺に到った、心理的側面からの理由付けです。
第二次世界大戦での日本軍も、途中でやめられなかった。
そうだとすれば、勝頼の性格、武田軍の性格を読みきった、信長の勝利。
信長の手の者が、武田軍にかなり深く入り込み、こうした情報を的確に
掴んでいたことは確かでしょう。
もしかすると、戦いの途中で、織田軍は、武田側をコケにするような挑発を繰り返した
かも知れませんね。
もちろんこれら推測には何の証拠もありませんが、理屈で考えてどうしても不可解な
行動をとっている場合、やはりその心理面に焦点を当てて考察する必要があると
思います。