私の営業の原点 | 営業改革コンサルトの活動日誌!

私の営業の原点

華茶道の師範であった。



私の祖母。大正生まれ。未だとても健在^^


ずっと二つの高校で教えてもいたし、自宅で教室を開いていた。




そして、徒歩3分とほど近くに名鉄鳴海駅(名古屋市)があり、


その駅の構内に、ずっと花を生けていた。



でも、そこには、何の宣伝もせず。無償で。


通勤通学で駅を使う皆さんのためにという気持ちだけで。


でも、まあそんな気負いもなく、淡々と。


ずっと、それこそ何十年と。




周りからは、宣伝しないなんてもったいないとしょっちゅう言われていたし、


実際、いろいろな駅で見かけるプロが生けた花には、


ほぼ100%看板がかけられている。


それは当たり前のことであるとも思うのだが、


祖母はそれはしたくないと頑なだった。


私は子供心に(もったいないな~)といつも思ったものだ。




宣伝は何もしていない。


でも、お弟子さんはいつも紹介や口コミでやってきた。



そして年を重ねて祖母が引退した後も、


無理にでもと言って稽古に来てくれるお弟子さんがいる。


もちろんお弟子さんと言ってもいい年齢で、それぞれ、師範として活躍されている方たちだ。



今にして思えば、祖母は、究極の営業をしていたのだと思う。


そして、師匠でありつづけた。


営業とはこういうものではないのかと、思う。