宮中祭祀のひとつ、新嘗祭(にいなめさい)をご存じですか?
来週、11月23日の新嘗祭を迎える前に、ご存じない方にぜひ知っていただきたいお話をシェアします。

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 9月末に、伊勢の公益財団法人 修養団、寺岡賢先生の「美しいこころ 日本のこころ」講演会に参加してきました。戦争責任に関しては、ここで敢えてふれませんが、負戦後の日本の状況下で置き去りにされてきた最も大切な「日本の和のこころ」に関して、「日本に生まれたもの」としてあらためてしっかりと理解をし、次世代のために多くの子どもたちに伝えていくべき義務があると深く感じました。感動いっぱいの講演内容より、先生の教えで唱和した大切な言葉たちとともにご紹介します。


 今の子どもたちはどれだけ「建国記念の日」を知っているでしょうか。諸外国のなかで詳しいことがこれほど知られていない国はありません。源氏物語、枕草子といった千年前の書物が読めるということはとても凄いことです。日本は世界で最も古い国で、2千年続いている国は日本のみです。たとえば中国は4千年続いているといっても歴史としての一貫性が全くありません。日本人は、誰もが伊勢に行ったら必ず手を合わせる。これを続けてきた日本は本当に素晴らしい国、国民なのです。

天孫降臨(てんそんこうりん)』。総氏神様、ご先祖様として最も大切にされてきた神様、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」様から始まり、「みんなが手を取り合って、温かい徳の高いりっぱな心の息づく国にしていけば、子どもたちも暮らしやすい国になって、きっと世界の国からも見本と仰がれる国となるはずだから」と国づくり、建国をした初代「神武天皇」。その時代からのたくさんの素晴らしい神話が現在の教育ではあまり語られていないことは本当に残念です。ぜひ多くの人たちに知ってもらいたい。伝えていきたいと思います。


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 自分の両親とその両親たち・・とずっと遡って27代までいくと、何とその総数は一億人を超えます。私たちは先祖からずっと大切に繋がって、今ここにかけがえのない大切な命があるのです。
 現在の明仁天皇まで125代続いてきた大事な教えがあります。神話にもある『三種の神器』鏡・剣(つるぎ)・勾玉(まがたま)は総て「磨くもの」。「みんなの中心に立つ者は絶えず自分の心を磨くことを忘れてはならない」と大切に受け継がれてきました。


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「余」とは自分のこと。世の中が悪いという前に自分自身はどうか。まず、自分がよくならなかったら、世の中、国はよくならない。とにかく国民を大事にしていくように、と受け継がれてきた深い思いで、今でも天皇は国民のことを大(おお)御(み)宝(たから)と言って、国民こそが一番の宝物として、五穀豊穣の祈りなど、国民の命を守ることを一番に考えていらっしゃいます。


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 伊勢神宮には、外宮と内宮があります。外宮は縄文文化の神様といわれ、魚や獣を捕らえて暮らす文化で、その勢力を大和朝廷が打ち破ったのですが、治める人が変わっても迎え入れて大事にしました。その後、出雲の勢力に勝った後も出雲の神様も大事にしました。そして、仏教やキリスト教、儒教などが伝わってきても、小さな戦があっても調和して総て受け入れました。そうすることによって、私たちの国は一つになってきたのです。新しい政権が起きた時にまず最初にしてきたことは、前の政権の弔い。過去のいかなる戦いも、打ち負かした相手を敬って大事にしてきました。伊勢神宮では、外宮先行といって、天皇陛下でも、自分の神である大切な内宮よりも相手の神様である外宮から参拝されます。このように敵を祀る文化は、世界的にも例がありません。


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 多国籍軍としてイラクに派遣された世界中の人たちで、現地の人を使う学校の再建の作業などのなか、夕方5時に、あとやっといてよと帰る他の国々の人たちの中で日本の自衛隊だけはその反対で、あとはやりますから、どうぞお帰りくださいと作業を続けたそうです。そのことで地元の人たちは日本の人たちに心からの親愛の情を持ったそうです。
 部族の長と面会する時、他の国の人たちは銃を離しませんが、自衛隊の人だけは、いつも刀剣類の総てを置いて丸腰で入っていくため、地元の人たちにとってその信頼の度合いは全く違ったのだそうです。受け継がれている素晴らしい大切な思いです。
 

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『偶然の偶然の偶然は必然である』数千億年も続いてきているから今がある。そして、命がけなどと大袈裟にいわなくても、今していること総てに自分の命がかかっている。「今をどう生きるか」。そう考える時、喜べることを喜ぶことは誰でもできるから、喜べないことや辛いこと、悲しいことがあった時、どう生きるかということを私たちは問われています。


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 本当は避けたいが、もしそうなった時、何が変えられるか。事実は変えられないから、自分の思い一つしか変えられない。もしかしたら何か意味があるのかもしれない。自分にとって、何か教えがあるのかもしれない。そう置き換えて受け入れた時、そこに日の光が当たって風が吹いてきます。


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 大事なことは小さなことに感謝の気持ちを持てるかということ。自分の目の前に起きてくる小さな事の一つ一つを、特に苦しい時、辛い時こそ、感謝の気持ちで受け止めて、思いを、気持ちを立て変えていくことです。


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 どんな状況であっても、感謝できることは必ずあるはずです。たとえ、辛く苦しいことがあったとしても、その感謝できることに目を向けていくことが大事です。そうすることで辛いこと、苦しいことは止まるはず。反対に、それに感謝できないと、辛いこと苦しいことの状況は悪くなります。私たちは、その「感謝する」ということを一生かけて学ばなければいけません。私たちは、日々のいろんな出来事の中で、ただできることは、自分の思いを立て変えていくこと、そして、感謝と喜びの心で受け止めようとした時に、最後にもう一つ大切なことは、「総てを絶えず祈る」ということ。
 敗戦の昭和20年は出兵のため稲作をする若い男手の労働者が少なく、そのうえ不作で、さらに内地からも多数の引き上げ者があり、一千万人の餓死者が予想されたそうです。衝撃的な写真が公開された昭和天皇とマッカーサー元帥との会談。マ元帥は、昭和天皇が命乞いに来たと思いましたが、そこで天皇は、自らの命の覚悟を示し、何より日本の国民への衣食住のご高配をと懇願されたのでした。そして後日、皇室の御物の目録も差し出しました。マ元帥は天皇のその真摯な姿に大変に驚き、できる限りの食料の支援をしたと後に語られています。そのことのお陰で私たちの両親、祖父母たちが命を繋ぐことができたのです。


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 伊勢の神宮は、二千年に渡ってずっと祈りが捧げられてきた場所。
 私たちの先祖がお正月と位置づけた、命の糧であるその年の「お米」を神様に奉り、御神徳に感謝申し上げる最も由緒あるお祭りが、神宮で10月15・16・17日に行われる『神嘗祭(かんなめさい)』。神様が初めてその年の新米を召し上がる日で、昔はそれまで新米は食べなかったそうです。天皇陛下は、伊勢の方を向いて深く祈りを捧げられます。(その日だけでなく、必ず毎朝祈られているそうです)
 そして、天皇が新穀の収穫を神に感謝し供え、自身も食するという宮中儀式が、11月23日の『新嘗祭(にいなめさい)』です。この日は1947年までは同名の祝祭日でしたが、翌年より勤労感謝の日となりました。天皇は広く国民一人一人に等しく新米が行き渡って食べてもらったあとで、この時初めて食するのだそうです。

 日々常に国民の平安を祈る陛下。先の大震災では、深く心を痛められ、関東各地で停電が起きていることを聞くと、体調がすぐれない時期であったにもかかわらず、停電の起きなかった皇居において、まだ寒い3月に、電気を消され、暖房を止めて、ろうそくの火で生活をされていたそうです。

 天皇陛下と皇后陛下で全国に植樹祭などでお出かけの際に、必ず聞かれることがあるそうです。それは、「この土地の今年のお米のできはどうか」ということで、お付きの方もあらかじめ調べてあって、「今年のできは大変良いようであります」とお伝えすると、陛下は本当に喜ばれたというお話を聞かせていただきました。もう一つ必ず聞かれることがあって、「伊勢の方向はどちらか」とお尋ねになられて、伊勢の方に決してお尻を向けて座ることはないそうです。

 昭和天皇様が昭和63年、病状が非常に悪くなって、最後輸血でしか命を繋げなくなった時、最後に民間の方でお会いになった宮内庁の藤森長官のお話をご紹介します。長官が病室に入られた時、陛下は「藤森、今年は雨が多いね。今年の稲は、お米のできは大丈夫であろうか」と尋ねられたそうです。意を察した藤森長官は、「陛下、今年もお米のできは大丈夫であります。どうかご安心ください。」そう申し上げると陛下は安心したご様子でじっと窓の外を眺めて、国民の皆さまに深く思いを寄せていられるご様子だったそうです。

 私たちは皇室を中心としてこうした深い「思いやりの心」で育まれてきた国民です。いま、「心の時代」だといわれますが、人を大切にする、思いやるためには、自分を大切にすることができなければ、人を大切にできない。そういう意味で、自分の生まれてきた国に誇りを持つ、日本人として生まれた喜びを心から分かち合っていくということが、決して忘れてはならない大事なことですが、我々は戦後、その大切なことを置き忘れてきたようです。私たちが祖先からずっと二千年かけて育んできた、豊かな心、美しい心、それが大和の心であり、大和魂といわれる、何かの時にはみんなで団結して大切なことを成していこうとするその素晴らしい心に、戦前日本に来た外国の人はみな驚き、貧しいけれども心の非常に豊かな国だと賞賛していました。そして、実はその美しい精神性が一番、形として現れたのが先の東日本大震災です。

 大きな震災や災害があると、普通は暴動や略奪があると思っていたので、アメリカの海兵隊は緊張して入国したそうですが、その海兵隊のみなさんが東北の地で見たものは・・・・。どんなに辛く苦しいい状況であっても泣き言を言わずみんなで助け合って生きようとする姿、たった一つのお握りを分け合って食べる姿に涙したそうです。 関東から物資を持っていった人が、荷物を下ろそうとすると、ここは大丈夫だからこの先に行ってと言われ、次の場所でも同じように言われ、何と13箇所も回ってようやく荷物を下ろせたという、こんな話は、我が国日本でなければあり得ないお話です。

 私たちはいま、日々の暮らしの中でそういった大切なことを忘れてしまっているのではないでしょうか。私たちがこれから、もう一度新しい国をつくっていこう、次の世代が本当に喜べる社会にしていこうとする時には、どこかから新しいものを引っ張ってくるのではなく、過去に学ぶこと、そして、もう一度その大切な根っこに立ち返っていくことこそが、私たちの国をより素晴らしいものにしていく大切なことだと思います。私たちは、もう一度日本人の誇りを取り戻していかなければなりません。それを家庭から、地域社会から、ぜひみんなで協力して取り組んでいきましょう。

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 以上、感動にあふれた講演会より、ご紹介させていただきました。長文を最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。日本の和の心、ぜひ大切に伝えていきましょう。最後に先生の動画をご紹介します。

寺岡先生の美しき「手水を取る作法」について伊勢内宮の手水舎にてプレゼンテーション