皆さん、こんにちは。
トワノアです。



新年を迎えて、
そろそろ1週間がたちますね。

皆さんはどんな時間を過ごしていますか?


私のお正月は毎年、
家族との大切な時間なので、
ただただその時間を満喫しました。


2016年の目標を立てたり、
行動計画を作ったりするのにも
良い時間かもしれませんが、


私の中での第一優先は、
「家族と共に過ごす」ということ。


その中で、ひっそりと、ゆるく、
自分と向き合ったり、今年進んでゆきたい
道のりをイメージしたりするのです。


ひっそりと、ゆるく、ですよ(笑。




そんな、ひっそりゆったり
向きあった時間の中で、
ふと心に留まった一文があるので、
皆さんにご紹介しますね。





それは、どんな一文かというと...





『永久の未完成これ完成である』




これは、宮沢賢治の
「農民芸術概論綱要」からの一文です。





芸術というものは、
どこまでいっても「完成」する
ということのないもの。



しかし、目指し理想とする完成の形は
常に頭の中に、心の中に存在する。


未完成だけれども、
永久に追究していくことそのものが、
すなわちそれが「完成」なのだと。




宮沢賢治先生は、
そうおっしゃっているのでしょうか。


短いこの一文は、特に補足の説明もなく、
多くの事を含んでいるように感じます。



いつもいつも自分が感じていた
未完成感、未達感。

それを、決してダメなものなのではなく、
そもそも芸術とはそういうものであるのだから、
そのまま進め、と言われた様な気がしました。


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私の中にある、未完成感。
昔から、それはずっとあるもの。


完璧主義である一方、
欠落感が常に、心のどこかにある。


芸術だけにかかわらず、
たとえ1番になったとしても、
それで完成を感じる事は、ありませんでした。



今は、歌においてその想いがある。
もちろん、学ぶべき事がまだまだ
たくさんあるということなのですが(汗。



あるところまで進んできても、
完成の形はまだ遠く霞んで見えないのです。



でも、
それこそが芸術の形であって、
追い求め精進する姿、


そこで生み出されていくものこそが
「完成」なのだと。


もしかしたら、
永久に完成することはないのかもしれない。


けれど、
それでも完成を目指して進むことが、
とても大切なんだ。


そんなことを、
宮沢賢治先生は教えてくれた気がします。


安堵感と勇気をくれた、
素敵な一文のご紹介でした。



皆さんもぜひ、自分に当てはめて、
この一文を感じてみてくださいね。


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