私のクレド(信条)①『愛』 の続きです。
今日は、二つ目のクレドをご紹介します。
私のクレドの二つ目は『希望』です。
希望を失うと人は死に向っていく。
これは私がうつの時に、治る見込みも持てずにただ息をしているだけという生活を送っていた時に感じた感覚です。
ということは、わずかでも人は希望があれば生きていけるということじゃないかと思うのです。
クライアントさんは勇気を振り絞って、その希望を掴みたいとカウンセリングを受けてくださるのだと思います。
解決はできなくても、何か一つ希望となるようなものを持ち帰っていただきたい。
そんな思いでカウンセリングをさせていただいています。
最近になって気づきましたが、うつになる前から私にとって「希望」という言葉はとても大切なものだったようなのです。
小学校6年生の時に卒業アルバムに一言メッセージと名前を書くというページがありました。
何を書いたらいいのか、まったく思いつかなくて、締め切りギリギリで何でもいいから、書こうと思って書いたメッセージが「希望を持とう」だったのです。
自分でもどうしてこんな言葉が出るのかわからないし、とっても恥ずかしくて誰かに指摘されたらどうしようとそればかり心配していました。
おそらくは、その頃から生きづらくて生きていくのがイヤになっていたのだろうと思います。
それでも生きていくより他に道はなかったので、何とか生きていけるよう、希望を自分の中に見出していたのかもしれません。
希望さえあれば生きていける。
その頃からそう思っていたのかもしれません。
他にも「希望」が私にとって大切だというエピソードがあります。
私はフォークデュオのゆずのファンなのですが、ゆずのどこが好きか、ゆずのどこに惹かれるのかというと、サウンドも好きですが、一番はメッセージ性の強い歌詞なんです。
そのメッセージも一言でまとめるなら「希望」なのです。
ゆずの曲の歌詞には私が卒業アルバムに書いたように「希望を持とう、希望を持っていいんだ、希望はあるんだ」
そんなメッセージが込められているのです。
最近はゆずも進化していて、歌詞から伝わるメッセージは「一人一人が本気で自分の人生を生きて欲しい」というものに変わってきているように感じます。もちろん「希望」もベースにはありますが。
私がはじめてゆずの曲を聞いたのは、うつ病発症当初に総合病院の神経科に入院していた時でした。
その頃、出たばかりの「アゲイン2」をよく聞いていました。
アゲイン 誰もがみんな一人ぼっちを抱きしめながら生きている
アゲイン 泥だらけの靴だって何度でも歩き出せるさ
アゲイン 人は誰も癒えない痛みを胸の奥に抱えてる
アゲイン ひび割れてるグラスの中にも希望を注ぎ込もう
君が君である為に わずかな光を頼りに
僕と共に行こうアゲイン
新たな旅立ちへアゲイン・・・
アゲイン・・・
↑は歌詞の一部です。
あの頃はまともに母と会話ができずにいました。母と話そうと思うだけで精神的に不安定になってしまい、一時外泊をしようと思いはするものの、どうしても家に帰れず、孤独な入院生活を送っていました。
泥だらけの靴どころじゃないんだよ!
って思ってましたね。
本当に歩き出せる時なんかくるのかなぁと。
それでも、そんな絶望の中でもやっぱり私は希望を持っていたかったようで、その歌詞にどんどん惹かれていったように思います。
人に希望を持ってもらうこと、希望を与えられるような自分であること。
これは私の人生の目的の一つなのです。
生まれた時から(生まれる前からからだと思いますが)自分で決めたテーマを人はこんなふうに生きているようです。
私の人生、どこを切っても金太郎飴のごとく「希望」という文字が出てきます。
カウンセリングでお話しを聴いていると、お悩みの中、違和感の中、好きな人や惹かれる人の中、その方が経験されてきたこと、何気なくやっていることの中などにその方特有のテーマがみつかります。
お聴きしていると、そのことがとても興味深いのです。
今はまだ悩みの渦中にあって苦しくて出口も見えないけれど、その課題を乗り越えてその人だけの輝かしい人生を生きられる日が来るのだろうと想像できるのです。
大きなことはできないですが、何か一つ希望となるようなものを持ち帰っていただけるようなカウンセリングを目指してこれからも活動して行こうと思います。どうぞよろしくお願いいたします
今日も読んでいただき、ありがとうございました
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