運転で性格が変わる、変わらない? | 結月美妃の“あれアレこれコレ”

運転で性格が変わる、変わらない?

 結月です。

 

 自動車を運転すると、性格がガラリと変わってしまうひとがいるらしい。

 

 普段は大人しくて控えめなのに、ハンドルを握ったらスピード狂で、割り込みを平然とやってのけ、強気の運転をするといったもの。

 

 自動車というのは、自分の力を何百倍にする。

 

 世界一の陸上選手だって、時速120キロは出ない。しかし、自動車はちょっとアクセルを踏むだけで、誰でも人間以上のパワーを出すことができる。

 

 そうなると、気持ちよくなってきて運転するのが楽しいわけだけれど、それは自分が急に偉くなったわけではなく、自動車がすごいだけの話で、自動車の性能による。

 

 ともかく、人間の肉体とは比較にならないほどのパワーがあるから、ハンドルを握ると性格が変わるほど躍動してしまうひとがいるのだろう。

 

 さて。

 

 免許を取ってまだ一年経っていないわたしは日光街道をホームとしていて、イニシャルDをもじって「日光街道最速」なんて言っている。

 

 そんなわたしはハンドルを握ると性格が変わるタイプかどうか考えてみたら、自分は変わらないタイプで、性格そのままの走りだと思う。

 

 何事もスピーディーに進まないと気が済まないから、前に遅いクルマがいると、

 

 「どけよ、コンキクショ」

 

 と、思っているし、道路が空いていて前がガラ空きだったら、アクセルを踏んで最速モードになり、法定速度とか他人が決めたことに従うつもりがない。むしろ、自分がどこまで踏めるか行けるとこまで行こうとする。

 

 ところが一転して住宅地など入り組んだところでは、仮免許さながらに慎重で法定速度を超えることはないし、歩行者や自転車をかなり気にして走っている。

 

 そういうところは自分の性格そのままだなと思う。

 

 おそらくは性格そのままの運転をするひとのほうが多いと推察する。

 

 しかし。

 

 そもそも自分の性格を自分でちゃんと把握できているのか怪しい。

 

 概ね理解はしているつもりでも、ときどき他人から、

 

 「結月さんって、こうですよね」

 

 なんて言われて、それが自己認識とは違いすぎていてびっくりすることがある。

 

 さらに自分で自分はこんな人間だからと話すと、他人から、

 

 「えっ、そうなんだ。そうには全然見えないけど」

 

 と言われて、これまた驚くことがある。

 

 図星であるときに逆上するのは安倍晋三を見ればわかりやすく、指摘がグサリとくると逆上によって否定し、防御する心理というのはある。

 

 わたしは性格を指摘されて、あまり逆上することがなく、

 

 「ほお~ そんなふうに見えるんだ…」

 

 と、落ち込むこともあれば、呆れることもある。

 

 そもそもそのひとがちゃんとひとを見る目があるのか疑わしいし、でもひとからの評価は他人がやることだから、そう見えてしまえば仕方がない。

 

 運転するとひとが変わるひとは、平均的な他者評価とはあまりにも異なりすぎる運転をするわけで、でもそれを自己認識しているかはこれまたわからない。

 

 こういうことは突き詰めていくと、だんだん哲学になってきて、いわゆる認識論に達しそうな気がする。

 

 総じて運転でひとが変わるというのは、

 

 「静→動」

 

 「繊細→横暴」

 

 というように大人しいものが粗っぽくなる、つまり音楽でいうクレッシェンドの方向性にあたる。

 

 普段は横暴で雑なひとが、自動車を運転したら臆病で繊細になるというのはあまり聞かない。

 

 やはりそれは自動車というものが、人間の力以上のパワーアップをさせるからであろう。

 

 あとはクルマ選びも性格が出るものだと思う。

 

 何よりも軽自動車を選ぶひとは、安全性は気にしておらず、ひたすらに燃費と税金というカネの安さを考えるひとだと思う。

 

 FRよりもFFを選ぶひとは、クルマの居住空間の広さを好むのかもしれない。

 

 今はSUVが売れていて、セダンが売れないことを見ると、どういう性格が主流になっているかがわかってくる。いわば、クルマの消費動向で心理的なマーケティングをすることができる。

 

 そんな社会の傾向がわかりそうなものなのに、自分の性格は自分で把握できているのか、できていないのか?

 

 それがわかりにくいのは、性格は日々、少しずつ変わっているからかもしれない。

 

 10年前のわたしと今のわたしは結構、別人じゃないか?と思えるほど変わっていると思う。

 

 そうなると、自動車の運転も日々、変わっているのだろうか。自分がわからないほど少しずつ、少しずつで。