道化師と詐欺師 7

 騙す相手を本当に懐に入れてしまえば、その先には結婚詐欺という仕事は成り立たない。手懐ける為に、本当でない”結婚詐欺師の蛍”の中に入れて、大切にされているように思わせるだけならいい。詐欺師の顔で紗英を騙すだけだが、俺は知らない間に紗英に隙を見せても何も思わなくなりかけていた。
 紗英の微笑みを見られるなら、紗英好みのネックレスも、ささやかなプレゼントも…俺自身が嬉しくて選んでいた。
 共に暮らし初めて、また更に紗英の良さを知って、平和な時間が流れることに頭が平和ボケしてしまった。紗英との時間が心地良すぎた。
 紗英の優しさ、素直な笑顔、そして心も満たす手料理も、全てが俺を虜にした。
 こちらが優しくしてみせれば優しく返すだけではない、本当の優しさや暖かさが…俺の詐欺師としての気持ちを萎えさせてしまった。
 このまま、紗英との平和ボケした時間に浸りたくなって、「結婚指輪を買いに行こう」と口走ってしまった。
 詐欺師の俺なら、此処で指輪の代金を半分立て替えておいてくれと言って、「ハイ、さよなら…」と、金をいただいてカモから去るだけが、紗英の幸せな笑顔に俺の胃は痛くなった。
 本当に幸せに出来るなら…こんな気持ちになりはしない。
 俺のような男に引っかかった、紗英の運が悪かったんだ。でもまだ引き返せるなら、紗英は自分で幸せを掴めばいい。

 翌日、蛍は別れ話を切り出して、紗英を手放した。
 大切だと思った初めての女の幸せを願って…。
 その夜は酒の手を借りて、軋む胸の痛みに紗英を思い出して泣いた。こんな気持ちは初めてだった。
 振った筈の俺が、紗英に振られたように…家のあちこちに残る紗英の面影を目が追って泣きながら眠った。

 翌日の蛍は、腫れた目では外を歩けないと、情けない顔で家で過ごした。
 そして次の日は紗英を忘れると心に決めて、軽いナンパを肩慣らしとして始めてみた。
 紗英と暮らした2ヶ月は、詐欺の仕事どころかナンパもしない、紗英だけを見ていた時間だったのだ。
 我ながらそんな時間が今まであったのかと思うほど、紗英との時間は今までと違った。だからといって紗英に縛られていた訳でもなく、紗英の笑顔に癒されていた。
 だがその紗英はもう居ない。
 蛍は外に置かれたカフェのテーブルから、女性を見つめては笑顔を見せた。その中からにっこりと微笑んで、蛍のテーブルに近付いて来る女に「引っかかった!」と視線を向けたままにした。
「テーブルに、同席してもいいかしら?」
 その女は一目で金目だとわかった。ブランド服を身に纏い、ネックレスや纏う香りもブランド物で、蛍にとっては上等のカモだった。
「勿論どうぞ。君のような綺麗な人と、こんな風に同席出来るなんて、先に帰った同僚が可哀想だな」
「お仕事の途中なの? 休憩?」
「ええ。営業もあるので休憩時間はバラバラなので。ただ、今日はついてないな。直ぐに行かなければいけないので。でも、上手く時間を使えばまたこの時間に…会えますか?」
 極上の営業スマイルで蛍が微笑めば、女性は嬉しそうに微笑んだ。
「嬉しいわ。今日は偶々買い物に来たところなの。明日は貴方に会いに来るわ」
「それは光栄。俺はそろそろ仕事に戻らなければいけないけど、明日の楽しみが出来ました。明日はもう少し早く来て待っていますから。このテーブルで…」
「あの…お名前は?」
「蛍です。…蛍と書いて”ケイ”」
 そう言って、顔合わせがすんで、名前だけを教えて謎めいた男として、笑顔だけ残して消えてみせた。
 蛍は暫くはその女性をターゲットとして、少しだけ謎めいたサラリーマンを演じた。
 見た目が魅力なら、そこに謎めいた部分をスパイスにして、女性の気を引くのが蛍のやり方だった。
 昼日中から動く詐欺師も少ない。顔を見せて、笑顔で気持ちを煽り、さり気なくテーブルの上で手を重ねてみる。
「あなたはサラリーマンなのに何処かミステリアスね。何処かつかみ所がないわ」
「それは俺が名前のように、ふわふわ飛んでいるからじゃないかな?」
「それなら、私が捕まえて、私のモノだけにしたいと言ったら?」
 それは彼女の当たり前のモーションだが、蛍からしたら捕まったのは彼女の方だ。
「君にならどんな男も捕まえられるよ。君のように素敵な女性は、簡単には手に入らないからね」
 蛍からは彼女の手に落ちたと思えるセリフが出れば、翌日の夜に二人で会う場所を決め、互いに相手を手に入れたとばかりに肌を重ねた。
 女はホテルのベッドで眠りについても、蛍はシャワーを浴びて溜息を吐いていた。
 前なら当たり前の詐欺の行為が、単なる仕事の手段だと思えば虚しくもなった。

 …紗英と愛し合った時には、こんな事を思いもしなかった。それ以前に、紗英と出会う前は、なんて事無い当たり前の事だったのに、俺は…今まで何をやっていたんだ?

 ふと思い出すのは紗英の笑顔で、その笑顔が眩しかった。でもいつまでも見ていたかった。
 本当に欲しいのは紗英だったのか?…と、やっと気付いた蛍だったが、汚れた自分を改めて感じれば、もう戻れないと思った。
 紗英の素直で汚れない優しさは、自分には遠すぎると…。

 その夜は女を残してホテルを出た。
 そしてその女には再び会わないように、昼間のデートの場所には近付かなかった。携帯の番号も変えて、いつものように全ての痕跡を消した。
 ただ、紗英と連絡を取った番号だけは消すことが出来ないままだった。
 女々しくとも、それがお守りだった。

 思い出すのは紗英の笑顔。
 女を騙す結婚詐欺なんてのは、幸せなフリをして騙すだけのごっこ遊びだ。詐欺師が作る笑顔も、幸せも偽物でしかない。
 本当に幸せだったのは、紗英を好きになり幸せになりたいと思ったからだ。
 本物の幸せには偽物の笑顔はかなわない。

 虚しくなった蛍は、気付けば紗英に声をかけた場所に立っていた。
 初めは素直そうな紗英が、いいカモだと思ったんだ。屈託のない可愛い笑顔に、いい人を装えば直ぐに信じて金を巻き上げるのも簡単だと思った。
 ところがいつもの簡単な嘘が出てこなかった。紗英の素直な笑顔に、つい本当の事を話しそうになって、慌てて話を合わせて…。
 紗英の前では繕った嘘は見えてしまうようで、怖くて言葉に出来なかった。
 たったひとつ……結婚詐欺師だという、俺の仕事以外は…。

 俯いていた蛍が顔を上げて、驚いた。
 何故ならそこには、紗英が立っていた。蛍に気付いて笑みを浮かべ、紗英はゆっくりと近付いてきた。

              《つづく》

あら?ドラマ編だけで、ドラマもまだ終わってない?(;^_^A