残した思い  8



*****

 

「夏希さん。綾音もいい子だけど、私と付き合わない? 綾音は身体も弱いし、付き合うのは大変でしょう?」
 夏希に言い寄る女性も多いが、綾音がいるからと遠巻きにしている女性が多い。
 それでも自分の魅力を振りまき誘う女性も多くいた。

「いや、別に…」
 夏希は静かにそう答えるだけで、綾音に関することは必要以上に口にしなかった。
 言葉にすれば、綾音を否定して傷つけることを口にしそうで怖かったのだ。
「否定も、肯定もしないのね。ほんとに好きなの?」
「好きでなければ、付き合わないよ…」

 嫌いであるはずはない。従姉妹で子供の頃から仲のいい、心根の優しい妹だ。
 そう。綾音の両親に頼まれて付き添ってはいるけど、恋人じゃない。妹として大切な少女だ。
 だが彼女が慕ってくれているのはわかっている。
 その命が限りあるものだと言われたら、その手を振り解けなかった。
 こんな思いでは綾音を裏切っているような気はする。
 精一杯彼女の支えにはなりたいが、俺は冬美さんに惹かれている。
 彼女の優しさや強さは、綾音も慕って綾音の友人として支えてくれている。そんな二人の絆も壊したくはない。


***


 綾音を裏切るつもりはないけれど、でも夏希さんが好き。
 姿を見るだけで、声を聞くだけで、心が勝手に喜びの声を上げる。
 でも辛いから、心が辛くて涙を流すから、少しだけ二人から離れるね。二人に心を揺さぶられないようになるまで…。


***


 綾音を挟み、夏希と冬美は互いへの思いを抱えたまま少し距離を置いた。
 心は追いかけるが、心の儘に手を伸ばせば綾音を傷つける。
 綾音の身体は弱くとも、心まで弱い少女ではなかった。
 だが精神状態が身体にすぐに反映され、ショックを受ければまた床に伏せることになる。


 夏希は綾音と居ても遠くを見ることが多くなった。
 最近は冬美が顔を出さず、綾音も気になってはいた。
 そしてその陰を追うように、夏希の視線は綾音を通り過ぎて冬美へと追いかけているのが綾音にはわかっていた。



 ごめんなさい、夏希。冬美。
 抜け殻にしてしまった夏希。
 それでも傍にいて欲しいの…。
 でもそれは、本当に私が望んだ夏希じゃないのに……。
 あなたの幸せは、冬美と一緒に掴んでね。
 ただもう少しだけ、私の傍にいて……。

 我が儘な、我が儘なだけの…私の思い。


***


 冬美が久しぶりに顔を見せると、綾音はほっとした笑顔で迎えた。
「久しぶりじゃない、冬美」
「ごめんね。少し忙しかったの」

 そう言った冬美は少し痩せていた。

 だがそれには触れずに綾音は聞いた。触れれば冬美を傷つけそうで怖かった。
「何が忙しかったの?」
「試験勉強とか、家の手伝いをさせられたりしていたの」

 そう言いながら、視線が少しだけ部屋の中を彷徨う冬美が綾音にはわかった。
 冬美が無意識に探すのは、夏希の陰だと直ぐにわかった。

「そう。今日は試験が終わったの?」
 綾音は学校は休みがちだが、日程ぐらいはわかって訊ねた。
「そうなの。やっと大学も決まりそう」
「冬美は頭がいいから、行きたい大学に行けるでしょ?」
「だといいけど……」

 苦笑いを浮かべながら答えた冬美の言葉が止まった。
 少し驚いたその視線の先には、襖を開けた夏希が立っていた。


「夏希さん。……お久しぶりです」
「……久しぶり。冬美さん、忙しかったの?」


 二人とも笑みは浮かべているが、どこかぎこちない。
 冬美と夏希の僅かの間は、夏希に出会えた驚きと喜びの声。
 こんな風にわかってしまうのは寂しいけど、夏希は嘘を吐けない人だから仕方がない。冬美も一瞬嬉しそうな笑みが見えた。

 久しぶりに冬美に会って、遠くを見ていた目が冬美を見て優しく微笑んでいる。
 綾音にも夏希の気持ちが分かると、夏希の気持ちが分かっていても微かに胸が痛んだ。

「久しぶりに来たけど、二人の邪魔にならないうちに退散するわ」
 冬美が二人との時間に割り込んでいる気がして、自分の存在が居たたまれなくて、早く帰ろうとした。
「そんなことないわよ。夏希も少し久しぶりに来てくれたの。二人ともおしゃべりしましょう? 夏希の時間は大丈夫?」
「ああ、あと、一時間ぐらいなら」
「じゃあ、そのあと冬美を送っていってくれる?」

 私の提案に、二人は一瞬顔を見合わせた。

「だって、それぐらいの時間だと女性を一人で帰らせるつもり? 夕暮れよ?」
「……わかった。帰りは送るね、冬美さん」
「いえ、そんな…いいです。自分で帰るから。一人で…帰ります」


 冬美は下を向いてしまった。
 二人きりの時間は嬉しいと同時に苦しかった。
 綾音はせめて二人の時間をと思った筈なのに、冬美の表情に自分の言ったことが二人を苦しめることになるとは思わなかった。
 夏希は「わかった、送るよ」と言ったが、でもそれは、冬美も、夏希にとっても、誰も見ていなくても針のムシロだったと、二人の表情を見て思った。
 気を利かせたつもりが二人を困らせて、綾音は心の中で手を合わせて「ごめんなさい」と謝った。


 私の時間はあとどれくらい?
 もう二人に面倒をかけさせたくない。
 二人を引き離したくはない。

 ……それなのに、夏希の手を離したくないなんて、なんて我が儘な夢を見ているんだろう…。


 せめて祈らせてください。
 私の我が儘な恋が起こしたイタズラを、私の残した思いが二人を堅く結びつけてくれますように…。


 綾音のアップが映り、手を合わせると自分の我が儘な思いがいつか二人を幸せにしてくれるようにと、綾音は目を閉じて祈った。


*****


「カット!」
 声がかかると同時にスタジオにざわめきが戻り、緊張が解ける。
「さすが百合君。綾音の恋しい切なさが伝わってくるよ」
 監督は百合が特に気に入っているようでべた褒めだ。
「お褒めの言葉をありがとうございます。ですが私だけの力で出来るものではありません。冬美や夏希がいて、自分達の思いで苦しんでいる姿があるからこそ、綾音の思いも自分を責めながら二人に謝罪して先の幸せを祈るんです。二人の演技が生きているからこそ私の演技も生きるんです。そして他の仲間達がいて、切ない恋があっての思い」
 百合は蓮と京子の演技が自分の綾音を生まれさせていくのだと、監督にも自分だけの力ではないと答えた。
「勿論そうだな。綾音だけではこの3人での切ない関係は生まれない。3人がそれぞれの思いを、言葉だけではなく心の中から伝えることで、より切ないラブストーリーとなっていく。綾音の思いは死へと赴くことになってしまうが、夏希と冬美に思いは残される。綾音が自分の分まで幸せになって欲しいという、残された思いだ。ラストまで頼むぞ」

 監督の言葉に3人の「はい」と揃った声が響き、綾音というヒロインのラストへ向けて頷き合った。


                         《つづく》

最後に辿り着きましたので、諸事情(^^;;もありで次からラストスパートの予定です。
              

                  ペタしてね