残した思い  7




 高視聴率をキープして、綾音、夏希、そして冬美のそれぞれに分かれて、誰が一番辛く本当の思いでいるか、視聴者の間やネットや週刊誌では記事が絶えなかった。


「流石に切ない役は、気持ちとしては苦しいね」
 蓮が溜息と共に声を漏らした。
「敦賀さんでもですか?」

 キョーコが驚いて蓮に訊いた。
「俺だって人間だよ? 演じ終わった後でも気持ちは残るよ」
 キョーコは蓮のようにいくつもの役を演じてきたならば、気持ちの切り替えは早く、いつまでも引きずられることなどないと思っていた。

「今回の夏希は、演じること、その役になることも難しい。それもセリフが少なく言葉では表せない役は、夏希のように表情での表現は、じっと見つめるだけでもないからね」
 そして蓮にとって、身近にいながら思いを伝えられないキョーコのような存在、冬美の思いや行動を感じれば、同じようにキョーコが自分を思ってくれていればと、そんなことも思わずにはいられなかった。
 今の自分がキョーコに思いを伝えられない理由とは全然違うが、伝えられない恋の気持ちは同じだ。


 蓮の言葉に同じように表現の難しい冬美に、京子も辛かった。
「冬美は視線だけで、表情だけで、夏希への思いを出しますから、私も辛いです。切ない気持ちが余計に膨れて…」
 そして自分の気持ちに重なって、辛かった。好きなのに、伝えてはならない気持ちが、キョーコには辛かった。
「難しい役に同化するほどそうだよ。もう少しで山場だ。頑張ろう」
「はい」
 そう答えながら、キョーコも自分の中で切なく夏希を思う恋に、自分を重ねて演じている心が、胸が苦しいほどに育っていくのを感じていた。


*****


 仲間の中で、儚く美しい綾音に恋をする青年もいた。

「俺では夏希の代わりになれないか?」

 まっすぐな思いに綾音は、
「変わりはいないわ。夏希だけなの…」
と寂しそうに答えた。


 この命の灯火が消えるのは、もうそんなに遠くない。
 だから夏希との時間を大切にしたい。
 そして、冬美にも思いを残さなければいけない。
 二人の為の言葉と思いを……。


 綾音がじっと心の奥で、自分の我が儘で振り回している二人に、伝える言葉を探していた。


 切なく優しい表情に、百合が綾音を演じていることを忘れて皆が切なさを感じた。


***


「ねえ、冬美。今度浴衣を買いに行くの。付き合ってくれない?」
 冬美が遊びに来た日に綾音が声をかけた。
「誰の浴衣を? 夏希さん?」
 最近は体調がいいと、冬美と一緒に選びに行きたいと綾音が冬美をじっと見つめた。
 こんな時の綾音はいつもの儚げな時とは違い、相手に有無を言わせない迫力があった。
「夏希と、もう一人の人は内緒にプレゼントしたいの」
 誰かわからない相手では選ぶ助けになるのかと思いながら、夏希へのプレゼントと訊いて冬美の胸は痛んだ。
「綾音のおねだりには負けるわ。いいわ。付き合うから」
 寂しげな冬美の笑顔は頷いた。

 儚く見える笑みを浮かべて、綾音は残したいプレゼントを冬美と買いに出かけた。

 冬美は買いに行くプレゼントの一つが夏希のものだとわかると、楽しみな気持ちと、胸を締め付けられる気持ちとが混じって苦しくなった。
 浴衣となればまだ今は冬も終わりかけ。まだ季節は早いのに、どうして?

 そしてもう一人は内緒って、誰なんだろう?
 多分綾音の浴衣ね。それで二人で浴衣を着て、デートするのかしら…。
 許嫁だもの、恋人だもの、二人でデートするわよね。
 綾音は私のことを信用しているから、内緒にしたいと言っているだけね。
 二人に似合う浴衣を選んであげよう。
 私の心が痛いのも、蓋をして素敵な浴衣を選んであげたい。


***

 そして買い物の当日は、二人きりなのに冬美が驚いた。
 店までは綾音の親戚が車で送ってくれたが、店に着いても夏希の姿がないことを不思議に思って綾音に尋ねた。
「今日は夏希さんも一緒じゃないの?」
 冬美は珍しいと思ったのだ。
 外に出掛ける時は、殆ど夏希が一緒にいる。体の弱い綾音を支えるように…。
 それに、夏希さんに似合った浴衣なら、彼がいた方がいいのに…。

 そんな心の中でも安堵を感じる冬美がいた。
 でも夏希と綾音の二人を見なくてほっとした。
 仲むつまじく見えるほど、甲斐甲斐しく綾音の世話を焼く夏希の姿を、二人の姿を、静かに見つめられる自信が最近なくなってきた。
 綾音には病弱故に支える人が要る。それが恋人であればなおのこと。
 そんな二人を、見つめれば涙が溢れそうな程に、夏希が好きで止まらない思い。
 人を好きになるって、こんなに切なくなるとは思えなくて、近くで見つめたいのに二人を見つめる自分が嫉妬の炎に包まれないうちに逃げ出したかった。


「夏希にも内緒にしたいの。それともう一人の人にも」

 綾音は儚げに恋人を思って微笑むけど、いつからか綾音の笑みが変わって見えた。
 それは綾音が自分の身体の変化を感じていたからだった。


 ……こんな風に出掛けられるのは、多分最後。
 この身体とも、もう少しでお別れ…。
 夏希と冬美に、残さなければいけない。
 二人の為に。
 だから今日が最後なの。
 もう少し頑張って、私の身体…。


 冬美は意味が分からなかったが、綾音のどこか思い詰めた思いを感じて素直に同行した。
 しかし綾音はすでに体が弱っていて、長時間の外出は控えた方が良かったと、店の前で車から降りた時には分かった。

「綾音。無理しないで! また今度来ましょう?」
 車から降りた途端にふらつく綾音に、冬美は心配して声をかけた。
「大丈夫。お店に連絡して、見る時間も少なくなるように用意してもらったから。二人分でも直ぐに決まるわ」

 綾音の言葉通り、店員が見やすいように何点かに絞って用意してくれていた。
「こちらが今年の新作でございます。優しい風合いをお好みとのことでしたので、こちらに女性用を。あと男の方は背の高い方だそうですので、外国の方にもお勧めできるものをご用意しておきました」

「ありがとうございます」
 綾音は用意してもらった中から数点を選び、「モデルになって」と冬美の肩に掛けて女性用を選んだ。
 店員も、「お似合いですね」と、他の人へのプレゼントの筈が、冬美をモデルにして色や柄を選んでいった。
 冬美は不安に思いながらも、綾音が静かな笑顔で選んでいく様子に、そのまま付き合うことにした。

「後は夏希の分ね。ねえ、冬美は右の方と左とどちらがいいと思う?」
 綾音が選んだ最後の二点を冬美の両腕に掛けて、男物の夏希の浴衣地を綾音は冬美に見せた。

「私は、夏希さんなら背が高いからこちらの大柄の方が似合いそう。日本的な紺地に、深い緑で真っ直ぐな線が入って、落ち着いた感じもいいと思う」
 冬美は求められた感想を素直に答えた。
「やっぱりそう? 私もそう思ったわ」
 冬美の意見と同じだったのか、合わせて答えたのか、今になってはわからないが、綾音は眩しそうにその浴衣地を見ていた。

「じゃあ、こちらを夏希用に、こちらの女性用を別に仕上げてそれぞれを包んで私の家に届けてください。お支払いは一緒に、こちらで精算を私がしますから」
「夏希さん、喜ぶでしょうね」
 冬美は浴衣が出来上がる姿を想像して呟いた。
「そう思う?」
「だって恋人からの素敵なプレゼントだもの…」

 綾音は静かな笑みを見せる。
 今日の綾音はいつもよりも静かな笑みだった。儚げなものとは違う笑み…。


 冬美は好きな人へのプレゼントを選ぶ役目に、断りきれずについては来たが、胸が痛かった。

 夏希さんには綾音が居る。
 少しだけ距離を置こう。
 二人が一緒にいる姿を見るのは、心が潰れそうに痛い。


 苦しい胸の内に、冬美は暫くの間は綾音の元を訊ねるのを止めた。


*****

 

「カーット!」
 カメラは最後に憂いを感じさせる冬美を映していた。
「今の表情はいいね。冬美が綾音を思いながらも自分の切なさを感じさせるよ」
「ありがとうございます」
 監督の誉め言葉にキョーコは大きくしかし綺麗なお辞儀をした。
「その綺麗なお辞儀も冬美らしい感じだ。控えめでいて礼儀正しくて、だがその中には通った芯がある」
「私の場合は、昔身に付いただけの癖のようなものです」
 キョーコは謙遜して言った。
 キョーコには、子供心に必死に習って身に付いてしまった呪縛に感じることもあるが、今はそのお陰で誉められることもあるのは皮肉にも感じた。
「癖でも良い癖ならそのままでいいと思うが違うか?」
「良い癖ですか?」
 お辞儀を綺麗と誉められても良い癖と言われれば悪い気はしない。
「それだけの綺麗なお辞儀なら、心根の悪い人が教えたとは思えないがね。お辞儀は挨拶の基本だ」

 監督は京子にそう言って休憩を出して行ってしまった。
 キョーコはこのお辞儀のお陰で始めはナツに苦労したことなどを思い出したが、女将さんなりの思いがあったことは感じている。
 そして今になってわかるのは、身に付けたことでわかった空っぽの自分も、知らず知らずに出る身に付けた過去も、全部自分だと言うこと。
 冬美の感じる寂しさも、自分が感じてきた寂しさで、夏希を思う気持ちは敦賀さんへの思い。

 人を思う気持ちは色々あるけど、夏希は冬美の何を思ってくれたのかな?
 少しだけ離れてみると、見えるんだろうか?
 私は冬美の様に寂しいんだろうか?
 辛くても近くに居られる方を喜ぶんだろうか?

 ドラマの収録は放映の順番通りではないが、それでも冬美の収録は間が空き、蓮には少しばかり寂しい収録になった。キョーコには別のシーンでの収録があっても蓮とは顔を合わせず、そこに居て欲しい人が居ない寂しさを感じた。
 お互いにどこか隙間を感じることは、その存在を当たり前に感じていた証拠だ。

「冬美も、同じように寂しさを感じたのかな」

 敦賀さんのようなスターといえる人と、いつも一緒にいられるなんて、その方が間違いなのに…。


                  《つづく》

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