月のしずく…   K-7


 そうして私のアメリカ、ハリウッド行きが正式に決まった。

 夜の貴方からのメールに、私のアメリカ行きを記したメールを送った。次の日は…忙しいのかメールが来なかった。

 そして一日置いた夜…「メールしかしない」と言った貴方からの電話がかかってきた。

『ごめん。…自分から約束しておいて、破ってるね……。元気にしていた?』

 貴方は言葉を選んで…でも言いたい事をどう言っていいのか迷っている。だから言い訳と差し障りのない言葉で詰まっている。

「元気ですよ。蓮こそどう? クライマックスも近いでしょう? スケジュールがハードになってない?」

 私も同じ…。本題から外そうとしてしまう。

『それは大丈夫。俺がリテイクを出す事の少ない役者だって忘れた?』

 自信満々の貴方のセリフ…。久し振りに貴方の声で訊いた。にこやかで麗しい笑顔が目に浮かんだ。

「忘れてないわよ…。でも日本とハリウッドだと、また違うでしょう? だからどうかと思ったの……」

『国が違っても演技する事は同じだよ。でも、監督によって癖があるからね…。その分、今回の監督とは相性がいいからね。リテイクが少なくて済んでいる』

「流石『敦賀蓮』ですか? 日本を代表する俳優の…」

『君にそう言われると、くすぐったいよ…。代表して来ている訳じゃないしね、俺の場合は…。俺の目標だったからね。それに…、今度は君が…日本を代表する女優として……来るんだろ? ハリウッドに……』

 今夜の電話の本題。そこに貴方はやっと触れた…。

「……まだ…、蓮の様に主役クラスじゃないわ…。でも主役を想い、キューピットの役をするの…。嫉妬を押し殺して好きな人を想う役よ。なかなか難しい役でしょ?」

『……もう…、決めたんだね…』

 静かな貴方の溜息が聞こえた。

「私の目標は貴方よ…。貴方を追い掛けて、貴方に追い付く為には……行かなきゃ……」

『……やっぱり君は強いよ…』

 貴方にそう言われて、私は頬を伝うものを感じたけれど、普通に話し通す事が出来た。

「強くはないわ…。でも、私が蓮の事でこの仕事を断ったら…貴方……怒るでしょう? 違う?」

 大丈夫。声は震えてない。

『………そうだね……。俺の存在が君の成長を邪魔する事になったら、悔いが残る…。俺の事を止めなかった…君の様に……』

 静かな物言いの貴方…。また言葉を失っている。

「私ね、蓮…。貴方が日本に居ない間、頑張っていたのよ…。その私の演技が認められたのよ……。『先輩の敦賀蓮』なら、どう言ってくれる?」

『恋人としてではなくて?』

「ええ……」

『先輩としてなら、「良かったね。やったね、最上さん…」そう言って喜んで上げるよ…。でも……、今の俺では…喜んで上げたい気持ちと、寂しさで堪らない気持ちがせめぎ合って、どう言って良いか分からない。……小さな男だよ…、恋人の成長を喜ぶよりも、離れている時間の方が怖い…。君が誰かに浚われはしないか…、君の心が誰かに向いてはしないか……。そして…何よりも……寂しいよ……』

 自信に満ちた蓮の声ではない。もし…私を失いはしないか…本気で心配している。

「私は貴方がアメリカに行っている間、そちらで新しい恋人が出来たりしないか…心配していたのよ…?」

『それは無いよ。俺にはキョーコだけだから…』

「私にも…蓮だけよ……。だから貴方を目標に行くの…」

『…もう…決心は、揺るがないんだね…』

「ええ。貴方と共に生きたいから…だから行くの……」

『……分かった……』

 貴方が溜息と共に言葉を切った。

『でも…少しの間だけ、こちらで一緒に居られるね…』

「二ヶ月ぐらいかな…。でも私はアメリカに慣れるのに必死かも…」

『それは俺が色々教えて上げるよ。俺の生まれた国だし、先輩を…恋人を頼ってくれない? それに、その間ぐらいは一緒に暮らさない?』

「……一緒に?」

 キョーコは、逢える事は嬉しいと思っていたが、一緒に暮らす事までは考えていなかった。

『勿論、ロケが入れば一緒に暮らしていても会えないし、生活がすれ違う事もある。でも、…それでも一緒に暮らしていれば、顔を見ることも出来る。それだけでも充分幸せだ…。…我が儘を言っているかな?』

 貴方は少しばかり強引に話を進めた。

「でも、私のスタジオが離れていたら無理よ!」

『それは大丈夫。俺が収録している撮影所内の別のスタジオを主に使うらしい…』

「……調べたの?」

 蓮の言葉にキョーコは驚いて尋ねた。

『耳に入ってきた。恋愛もので、日本の女の子を監督が気に入って、『京子』を呼び寄せるって…ね…』

「……それって、地獄耳とも言うわよ…」

 私は呆れて言った。

『俺はキョーコの事になると、何でも知りたくなるよ。こちらに居ても、キョーコの事はネットで調べたりしていた』

「そこまで行くと、ストーカーの一歩手前ね…」

『それ、誉めてる? 貶してる?』
「さあ…どうかしら?」
 私は呆れて溜息を吐くと、海の向こうの貴方を思った。


          《つづく》



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