泣けなかったこと。母の命日のこと。 | 頑張らないで波に乗るゆったり子育てとFXのブログ

泣けなかったこと。母の命日のこと。

まったく個人的な日記なので、興味の無い人はスルーしていただいて結構です。



私は何年か前まで涙腺がとても固い人間でした。

悲しい映画を見たり、感動するような場面にでくわしても涙など出ない人間でした。

職場の同僚や友人たちからも

「あいつは涙腺が枯れてる」「泣くところが想像できない」と言われていました。



それどころか小学校の低学年くらいまでさかのぼらないと泣いた記憶がありませんでした。


「泣く奴は弱い奴だ、泣いてるだけじゃ何も解決しないんだ」


そんな風に思っていたのかも知れません。
実際昔からすぐ泣く人が苦手でした。
(今はそんなことありませんが)


でもさすがに自分でも少しまともじゃないかも知れないなとは思っていました。
内心自分の心には何か人として欠けているものがあるのかもしれないと薄々感じてはいました。

原因は思い当たる節があるのですが、今となっては結構どうでもいいことなのでいずれ気が向いたら書くかも知れません。



今日は私の母の命日です。


私は生前、母とはあまりうまくいっていたとは言えませんでした。

私とは反対にネアカで喜怒哀楽がはっきりしていて、思ったことをすぐに口に出してしまう母。

よく言えば天真爛漫で、悪く言えば空気が読めない母を少し疎ましく感じていました。


思春期に入ってからはよく邪険にしていました。
一緒に暮らしていた頃は喜ばせた記憶がほとんどなく泣かせてばかりでした。



実家を離れて何年か経ったある春に、父から母が末期癌で余命僅かだと連絡があったときも、ショックは受けたものの冷静に受け止めている自分がいました。



私:「告知するのか?」

父:「とても言えない・・・」

私:「(自分が)言おうか?」

父:「待ってくれ。もう少し考えさせてくれ」



そんなやり取りをしたことを覚えています。

結局父は告知しないことにし、ぎりぎりまで母を入院させず自宅で過ごさせることに決めました。



そして3ヵ月ほど経ち、いよいよ最期のときが迫ってきました。

病院のベッドで骨と皮だけになり、何本ものチューブにつながれて苦しそうに息をしている母を見て、私はほぼ覚悟を決めていました。

臨終の際、次第に呼吸が浅く弱くなってきた母の傍でそれまで気丈に振舞っていた父が涙を流しながら、


「死なないでくれよぅ・・・俺を置いてかないでくれよお・・・」


と母にすがったときも、心のどこかで


「もう十分だ。もう楽になって欲しい」と冷静に受け容れている自分がいました。


とうとう母が亡くなったあと、放心状態の父とずっと泣いている弟を尻目に葬儀の手配をほとんどひとりでやることになり、私は自分が悲しんでいるのかどうかもさだかではありませんでした。



母と二人三脚で自営業を営んでいた父は、

「苦労ばかりかけて何もいい思いをさせてやれなかった」と

泣いていましたが、母は息を引き取る間際に最後の力を振り絞って父に


「あ・・り・・が・・・と・・う・・・」


と言い残し、涙をひとしずく流して逝きました。



私はそのとき、母が父に

「自分は幸せだった」と伝えたかったのだと理解しました。



しかしそれでも私は涙のひとつも出ませんでした。




母を亡くしても涙のひとつも流さずに葬儀を仕切っていた自分。
地元の友人やご近所さんの弔問にも冷静に対応していた自分。
親戚から気遣われても「大丈夫」とくり返して普段どおりだった自分。

もう気が張ってて泣けないとかそんなレベルではありませんでした。

母からはさぞ薄情な息子だと思われただろうなと思いながら初七日まで実家で過ごしました。



そして実家に父と弟を残して当時住んでいた大阪に戻ったとき、嫁さんが

「大変だったね」と言ってくれたので、私は自分の心情を話しました。


確かに悲しいとは思ったけど、飲み込まれるほどには感じなかったこと。
自分にとって母がどんな存在だったのか、母にとって自分がどんな存在だったのか、そんなことが少し頭をよぎったりししたこと。
もはや確かめるすべもなく、親子なのにすれ違うような人生だったと感じていること。
多分普通はもっと違う感情を持つんだろうと思っていること。


そして最後に、「薄情な息子に送られて残念だろうなあ」とつぶやいたりしていました。



それを聞いて嫁さんが母の思い出を話してくれました。


「初めてお母さんに会ったときにね。こう言ってたの


 『いろいろあったけど、あの子は私の自慢の息子なの。

  あの子をよろしくお願いします』って」




その瞬間私は、体中から熱い塊が頭に向かって押し寄せてくるような感覚を覚えました。


「私の自慢の息子なの」

「あの子をよろしくお願いします」


その言葉が頭の中で何度もくり返されて、

気がついたら私は泣いていました。

20数年間流したことのなかった涙が溢れていました。


私は声を殺してずっと泣いていました。

私と母は決して他人のようにすれ違ったのではないと分かったとき、記憶の中にあるだけの母の姿、交わした言葉のひとつひとつを引っ張り出しては絞り出すように泣きました。
ようやく涙が止まったとき、やっと私の中で区切りがついた気がしました。





それ以来、以前よりは多少涙もろくなりました。

泣きたいときに自然に涙が出るのはとても素晴らしいと思うようになりました。



母が最期に父に「ありがとう」の言葉を残してくれたように、

私には最期に人間らしい感情を取り戻すきっかけをくれたのかもしれません。









お母さん、生んでくれてありがとう。



子供たちへ、生まれてきてくれてありがとう。





父と母が連れてきてくれたこの世界をとても愛おしく感じます。

そして、ともに同じ時代を生きているすべての人に幸多かれと願っています。





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