日常は痛みと共に | けせらせら! 膵炎生活

けせらせら! 膵炎生活

2012年、26歳の時に膵臓に嚢胞が見つかり、嚢胞肥大による急性膵炎を発症。

仮性嚢胞と診断されるも、よくよく検査をしたら粘液生腫瘍だったことが判明。
タヴィンチを使用して腫瘍摘出した。

 痛みで目が覚め、痛みを抱えたまま眠りにつく日常は疲弊する。

 意識ある限り痛みから逃れられないという現実は、肉体的にも精神的にも、私を追い詰めた。

 腎炎と診断された翌日からは抗生物質が効いたのか、目の前が真っ暗になってしまうような痛みはなかった。けれど、全く痛みが無かったわけではなく、我慢できるけれども断続的に訪れる鈍い痛みに悩むことになってしまった。

 我慢ができるのなら我慢してしまえば良い、そのうち痛みはどこかへいくさ、と、思ったのが間違いだったのかもしれない。

 目が覚めて、伸びをするとズキンと痛い。

 仕事中、お客様からお話をしている最中にも継続的に痛い。
痛みに気を取られている場合じゃないのに、痛い。

 通常だったらお客様がご来店したあとに、立ちあがってにっこり笑い「いらっしゃいませ」と言いながら誘導しなければならないが、

立ちあがれない。
ひどい時は、笑顔が作れない。

 夜、やっと一日が終わったとベットに潜り込むと、やっぱり痛い。

  眠らないわけにはいかないので、意識が遠のくまで辛抱強く、痛みと共に布団の中にくるまっていた。
いつ、この嬉しくもない厄介な痛みというパートナーと解散できるんだろうと思いながら。

 抗生物質がなくなってからも痛みだけはひかないので、職場近くの町医者に受診する。
「腎炎は治っているのだから、痛いはずがない」と言われてしまう。
 そんな事言われても痛いものは痛いので、ブスコパンを処方してもらい、胃腸を整える薬を大量にもらった。
 腎炎は治っているということは、後はストレスなんだろうか。
 いまいち腑に落ちないながらも、やっぱり痛みをごまかす毎日を過ごし続けた。

 免疫力が低下して体調が本調子ではなく、相変わらず腹痛続きでむかえたある日。
 朝会で、上司に「体調管理はしっかりましょう」と釘を刺されてしまう。

 会社を休職された先輩へのフォローもある。
倒れている場合じゃないというのは、十分すぎるほどにわかっていた。

 体調管理も仕事のうちだなんて、わかっているのに。
 薬だってちゃんと飲んでるのに。

 鎮痛剤が効かずに、ただただ痛みが追いかけてくるというプレッシャーで、頭がおかしくなってしまうかと思った。

 どんな薬を飲んでも、安静にしていても、痛い。痛い。痛い!!

 一体どうすれば治る? 教えてくれよ! と、
誰かに食ってかかりたい衝動を宿す肉体は、
職場の仲間に迷惑をかけて、体調管理もできないと思われている自分の姿なのだ。

ただただ、惨めだった。




 翌日(腎炎と診断されて三日目)40℃の発熱。

 とにかく腹痛、下痢、めまいが酷く、立ちあがれない。
自力で病院へは行けないだろうな、と思った。
 トイレの床の上で大の字になって、深呼吸をしながら、必死でつかんだ携帯電話の時刻だけを見てやりすごす。
  朝一番で職場に電話をすると、 上司は、週末を使用してよく休む事、月曜日には大学病院で正式できちんとした検査を受けなさい。お大事に。と、言ってくれた。

ごめんなさい、ごめんなさい、と、
涙が止まらなかった。



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