きっかけの痛み | けせらせら! 膵炎生活

けせらせら! 膵炎生活

2012年、26歳の時に膵臓に嚢胞が見つかり、嚢胞肥大による急性膵炎を発症。

仮性嚢胞と診断されるも、よくよく検査をしたら粘液生腫瘍だったことが判明。
タヴィンチを使用して腫瘍摘出した。

通勤電車内に足を踏み入れたその瞬間から、腹部の凄まじい痛みで視界が歪みました。

左腹部を中心に「激痛」としか形容できない痛みが背部へと突き抜け、痛さのせいかショックのせいか、貧血の前兆のように視界が暗転し始めます。

 痛みをやり過ごそうと常備している市販のブスコパンをこっそり飲みましたが、治まりそうもありません。
 
 会社まで約一時間。
 優先席はもちろん満席の、モーニングラッシュでの出来事でした。

 仕方なく、つり革をきつく握り締めて、薄暗くなった視界の中で車内の広告を片っ端から読みながら、痛みから意識を反らそうとした事を覚えています。

 2012年の5月中旬。

 私は転勤したての人員足りていない職場で、以前のキャリアが全く役に立たない、ほぼ新入生のような状態で仕事をしていました。

 周囲の人達もどんどん体調を崩し、退職をしたり休職をしたりという、自身も周囲もストレスてんこ盛りの環境にいたわけです。

それが原因なのか、それとも発症因子が私の中に眠っていたのかは定かでありませんが、一番はじめの異変に向き合わざるをえなかったのはこの時でした。

 なんとか職場に到着した時、痛みは治まるどころか酷さを増しており、とても仕事ができる状況ではないように思えました。
 
 しかし、何しろ現場には人が居ません。

 私も辛いですが、私以上に辛い人なんて沢山居るのです。

体調を崩して辞めていった社員の方やパートさん達の悔しそうな顔が瞼の裏に蘇ります。
ロッカーで着替えている隣の先輩だって、間違いなく私より思い責任を追っています。

 ブスコパンを二錠追加で飲み(まねしないでくださいね)とにかく朝の開店準備を終えました。
 が、頭で分かっていようが身体がついてゆきませんでした。

 あとは、朝の打ち合わせをした後にお客様をお迎えする、というところで、おなかが痛くて痛くてとても立っていられず。
その日は出勤されるパートさんの数が多いことを幸いに、上司に事情を話して、トイレに行かせてもらうことにしました。

 ブスコパンを追加で飲み干してからトイレに駆け込みますが、痛みは強くなる一方。

次第に視界を黒点が蝕み、徐々に意識が遠のいてゆきます。

とにかく呼吸を確保していつもの視界を取り戻さねばと、トイレの床で横になり、海老のように丸くなっていました。
そんな恥も外聞もない状態を、遅れて出勤してきたパートさんに発見され、近所の内科へ行くことになりました。

下された診断は、腎炎。

尿の値に異常があり、背部に痛みが有るという事から下された診断でした。

処方された薬を飲み、鈍痛を抱えながらも耐えられないほどではなかったので業務に戻り、一日を終えました。

しかしそれから、毎朝毎朝、この鈍痛で目が覚める羽目になるのです。




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