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はーたんの補聴器スタートを機に
頑張ろうという気持ちを忘れないように
生後0~7か月の出来事を
少しずつまとめてみることにしました。
出産からずっとメモをとっていたので
それをもとに思い出してみました。


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はむ太は生まれた直後

一過性多呼吸の症状があったので
NICUに入院していました。

そこでは、たくさんの赤ちゃんが
さまざまな理由で入院しており
赤ちゃんたちの両親や祖父母が
朝から晩まで、

時には夜中も付き添って
様子を見守っている光景がみられました。


はむ太より先に退院した私も
毎日搾乳して冷凍したミルクを持って
会いにいっていました。

そして、ようやくあさって退院というときに
医師から耳の検査(ABR)結果の説明を

夫とともに受けました。



そこで医師から
お子さんの耳は聞こえない可能性があります
とはじめて告げられました。
あまりのショックで泣き崩れてしまいました。


まだ生まれて間もない赤ちゃんだから
という前置きはあったのですが
100dBという大きな音に

反応が見られなかったというものでした。
生後間もない赤ちゃんは

まだ耳の発達が未熟で

よく音が聞こえないこともあるから

これから発達する可能性もあるし、
もし仮に耳が聞こえないとしても
早期に分かったことで
早く対処することができるとも言われました。
それと、近親者に

耳の不自由な人がいますかと聞かれました。

私たちの知る限りの近親者には

難聴の人はいません。
もし遺伝ではなかったら
その原因はなんですか?と聞いたところ
今の段階では分かりませんと言われました。

しばらく涙が止まりませんでした。



病院からの帰り、
夫と二人で神社に寄り
はむ太の耳は聞こえていますようにと
すがるような思いでお参りしました。

家に帰ってから
疲労と悲しみで会話もせず
各々部屋で過ごしたのを覚えています。


あとで聞いたところ
夫は難聴について部屋で

ネットで調べていたそうです。


私はその夜、胸が苦しくて
ずっと泣いていました。
今までの人生の中で
苦しいことはいろいろあったけれど
そんなものとは比較できないくらい

苦しくて苦しくて
なんで、なんで、なんで。。。。

と考えることしかできませんでした。
妊娠中、病気もしなかったし、
何も薬を飲まなかったし
つわりの他はずっと体調もよかった。
遺伝でもないなら
検査の間違いできっと聞こえるんだわと。
そう思うことしかその日はできませんでした。


つづきます