日本人はアニメと漫画で出来ている | ゆみりのへたれ人生カルテ
國府田マリ子「雨のちスペシャル」

あまり音源が良くないが見られるひとは御覧ください。



先日5月、TEDX TOKYO2013で、天才画家、会田誠が話をした。
まあ、内容とか話し方は置いといて(私は彼をますます好きになったが・笑)、
その中で彼が「自分も日本のアニメを普通に見てきた。だからそれがなかったものとして作品を作ることは出来ない」とかいうことを話した。

だから彼の作品の中にはアニメチックなものがあふれるときがある。



村上隆が婦人雑誌VOGUEで「僕の作品の原点は映画銀河鉄道999だ、と海外のインタビューで答えているのに誰もそれを取り上げたり書いたりしてくれない」と言っていた。

もう好感度100%アップ。
わたしの原点も間違いなく999だからだ。いまでもそう思う。




わたしは小さい頃から筋金入りのおたくで、絵さえ書いてりゃよかった。
わたしはそれで生きてこられたのだ。
それが無くなったり現れたり消えたり復活したりしている。
でも今はおたくは卒業した。自分の漫画だけで暮らしている。


ついこの前まで「日本の漫画ばかり読んでいるから、この国はいつまでたっても新しい漫画が現れないんじゃないか」と思ってきた。
ジャンプばかり読んでもジャンプのような漫画しか描けないひとにしかなれない。

漫画以外のものから影響を受けて、そうしたひとたちが漫画を書くと大作家になりそうだ、と思ったのだ。

日本にいては、でっかいひとにはなれないんだぜ!と思っていた。
(これは間違いなく自分自身への言葉なのだ。悲しいことに)



でも会田誠、村上隆などを見るとそうでもないのかな、と思うようになってきた。
きっと日本人の心の奥底、にアニメと漫画がベースとして働いていると思うようになった。



それでだ。
冒頭の「雨のちスペシャル」だが
これは國府田マリ子だからアニメの歌かな、と思っていたが「みんなのうた」であった。



絶対に晴れるって天気予報
ひとりとっておき おまじない
にゃんこたち 肉球で顔洗うしぐさ
ムリに止めた それなのに

のきでゆれてる てるてる坊主
雨のしずくが キラキラして綺麗
くやしい程 いつもの小鳥 みつからない
しけたおせんべい おいしくない
前髪 キマラナイ
晴れるかな 窓を見てる

”ま、いっか”青空をあきらめて
あくびして のびして のんびり
こんな日は 雨にしか出来ないスペシャル
ひみつ ひとり 楽しもう



(中略)


探してる みんな 夢見てる
待っているだけじゃ つかめないよね

雨にそっと包まれてゆく
雨に合わせて唄っているよう
なみだ 忘れるまで
草が元気をとりもどすよ
街の空気があらわれてゆく
ファイト! 今日のワタシ
もう少し ぬれていよう

晴れたら 靴をはきかえよう
電車に乗って ゆられてみよう
晴れたら ずっと歩いてゆこう
ナップザックと にゃんこを連れて


(中略)


晴れたら そうさ七つの海
水平線に しぶきあげよう
晴れたら 向こうとこ敵なし!
海賊から お宝もらおう

晴れたら 宇宙に出かけよう
宇宙船では 水着着よう
晴れたら つばさが現れる
晴れたら きっとなんでも出来る!

晴れたら つばさが現れる
晴れたら そうよなんでも出来る!




詞は國府田マリ子。曲は松原みき。


かねてから「みんなのうた」は独特のなににも寄らないジャンルだと思っているが、
このような曲って、日本だけのような気がする。


ポップスでもない、ロックでもない。
アニソンというか、そういうもの。
この手のジャンルってなんだろうか・・・


日本人はこういうジャンルにもしっかりと支えられてきている。
漫画、アニメで出てくる「絶対いそうもない」キャラに支えられてきて育っている、そう思うようになった。






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↑無防備にあくびをし、ぷうっとふくれっ面になることを恐れない。でもいつも元気に明るく笑う。このようなキャラがわたしたち日本人の心には住んでいる、とわたしは思う。



「雨のちスペシャル」もそういうキャラクターを描いている。
いつもは元気いっぱいの女のコが、ちょっと悲しい出来事を雨になぞらえ、
晴れを願い、雨の中、こころが前向きに切り替わっていく過程が涙が溢れるくらいに伝わってくる。
後半の晴れたら宇宙に出かけよう!あたりなどはまさしく日本人らしい感性。




こんな女のコ、本当はいない。



知っているのは林原めぐみだろうか。
めぐたんはそういう女性でした(今は知らないけど)。



元気、ポジティブ、夢や可能性を信じている、時々泣いたり、感動したり、笑ったり。真っ直ぐな女のコ。でもなぜかいつも失恋しちゃう(笑)。




それでも時折はっとしたものを魅せる。
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↑バックには夕陽がそびえ、僕は一瞬で君に恋をした・・・みたいな?



このような女のコ像は日本人はアニメと漫画で植え付けられている、と思われる。
漫画、アニメのストーリーとキャラクターが、小さい頃からそれらを読んでいるわたしたちの心に住んでいるのだ。


アニソンはときにキャラクターソングとして、その主人公やサブキャラの歌を発表する。
こんなのは日本以外ありえないのではないか。



それだけわたしたちと漫画、アニメは深く浸透しあっている。
いま、アニメは良作、とは言えないけれど。
わたしたちの心の中には数々のアニメ、漫画のキャラのセリフやシチュエーションが、まるで隣にいるようにふっと現れる。



大人になって平気な顔をして会社に行って仕事をしてる。けれど漫画やアニメと共に生きている、そう思ったりもする。


それ無くして自分は語れないし、それを隠して生きていくことはしなくていいのである。
恥ずかしがらないで、もじもじしないで(偽ムーミンか)。
おもいっきりかっこつけて高尚なことを話さなくてもいいのだ。
海外でも日本の漫画でこんなに立派になりました、と言えばいいのだ。

でっかいひとになれるのだ!


わたしたちと同世代の会田誠、村上隆があのように世界に通じる芸術家、になったのも日本の漫画、アニメのおかげだというのは面白いなあ、と思う。





むちゃくちゃ褒めてますが、次回そうかよ?!という展開に続く。

(続きが多いなあ・・)