餃子愛について | めんぼーのマスター!?の晴れ時々「ブログ」

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はい咲いなぁ〜


「餃子愛について」


今日は熱く語ろうと思います。





その前に、ちょっとしたエピソードを

最近ここ数年間とても大事にしていたモノを失いました。


すごく大切にしていたものです。


壊れてしまったのでもう元には戻りません。


世界に一つしか無い価値のあるモノだったので代わりなどあるわけがありません。


毎日のように欠かさず必要だったモノですから愛着もありました。


とても寂しく思うのですが、振り返ると自分自身が気付かないうちに、それを手に入れた時よりも大切にしていない自分がいたのだと思います。


毎日そこにあって、いつも安心して扱っていたモノだから壊れることなんて考えてもいませんでした。


失ってからしか気付かない事ってあるもので、その重要度の大きさは心の痛みにも比例します。


愛着のあるモノを失うことは、心の一部分が削られることだと実感しました。


そんなエピソードに想いを込めて







はい、さて本題へ


「餃子愛」について


まず、「餃子」と「愛」に分けて考えると、


「餃子」は、小麦粉をこねて薄く伸ばした皮に、ひき肉・野菜等で作った具を包み、蒸す焼く茹でる揚げる手法で調理したもの。



では、「愛」とは、


そのモノの価値を認め、強く引きつけられる気持。


であると辞書には書いてありますが、愛の定義があまりにも広くて確信的な表現は難しいと思います。


では、愛の反対を意味する対義語は何だろう?


調べてみると、無関心、無干渉、憎しみ、険悪、軽蔑と色々な表現があり、こちらも確信的な表現は難しいようです。




「好き」の反対は、「嫌い」です。


これは一択です。



簡単には表現できない「愛」とは奥深い意味を持ってるのでしょう。



では、「餃子愛」とは


私の言う餃子愛は、餃子を作るための創造力であると表現したいと思います。


もうひとつ表現すると、


自分なりの答えが、求めるよりも与えることが「愛」であり、いままで沢山の餃子を作ってきましたが、自分よがりで作った餃子より、誰かの為に誰かを喜ばせる為に作った餃子の方が愛着もあり、完成度も高いです。



そんな単純なことが、実は一番大切な事だと思います。


沢山の創造力を発揮し、沢山の愛を包んだ餃子作りをこれからも続けて行きます。


それが今の自分にできること。



そう、この「愛」を失くさないように。


壊さないように大切に。


枯れないように情熱を注ぎ続けたい。


愛を込めて餃子に包んで行こうと思います。




これは最近、作った餃子です。


餃子は皮の色、カタチにも変化を加えれば可能性は広がります。





⬆︎

(ハート型の餃子は結婚式とかでも需要があるかも)





包み方ひとつ工夫すれば可能性は無限大です。




⬆︎

(肉包み餃子は、牛肉や豚肉以外でもジビエを使ってみることもできる)







まだまだ未公開の餃子を含めて、自身の描く餃子像は奥深いです。




それをどんな風に広げて行くか、それがどんな風に広がって行くのか、一番ワクワクしているのは他の誰でもなく、自分自身であります。




餃子愛とは餃子バカでもあーる。(笑)




ん。jah


















大切な「モノ」を大切な「コト」や大切な「ヒト」に置き換えてると、今までの自分には足りないものばかり。


求めることが多過ぎると壊れてしまうからと知っていながら与えるより多くを求めていた自分がいます。


思い返すと恥ずかしくなります。(苦笑)



必要なのは大切なモノ、コト、ヒトに、どれだけ継続して情熱を注ぎ続けることができるかだと思う。


それが愛することの意味なんだ。って、


「愛」について語るほどロマンチストじゃないし、もうそんな歳じゃない。

正直言うと少し照れ臭いσ(^_^;)


でも誰かに伝えていくことなら恥ずかしいことじゃないかな。って、


たとえ愛のカタチを見失なった時が来ても

あなたが覚えている

その感覚

この想い

あの香りを愛し続けることはできるから


日常にある

この全ての報われない想いに光と愛を