蝉しぐれ | 愛こそすべて LOVE IS ALL

蝉しぐれ

モリコロ

 「忘れたくても、忘れ果てようとしても、忘れられるものではございません」がこの映画の決めセリフであり、宣伝文句であり、テーマでもあります。映画にとってはとても重要なシーンのセリフなのですが、予告編でも惜しげもなく使われています。

 幼なじみとして育った二人、子どもの頃は無邪気に恋心を抱いていて、きっと二人は少しだけお互いの気持ちに気づいていたのだろう。しかしながら成長するにしたがって、現実が徐々に二人引き裂いていきます。尊敬する父親が反逆者の汚名を着せられ切腹を命ぜられ、惨めな暮らしを余儀なくされる文四郎。かたやふくの方は江戸の屋敷で奉公し、後にめかけとなり殿のお世継ぎを生むまで出世?します。
 なかなか染五郎が出てこないなぁと思っていた映画が約1時間程過ぎた頃、突然青年になった染五郎が登場します。この頃になるとようやく牧家の汚名も回復し、仕事も与えられ安定した暮らしに落ち着きます。時代設定がよくわからないのだけど、江戸時代っぽい。お侍とはいえ江戸時代ってのはきっとこんな感じで平和だったのでしょう。「たそがれ清兵衛」以来つづくサラリーマン侍のイメージな文四郎です。そんな平和に暮らしていた文四郎ですが、父親と同じように権力争いに巻き込まれ、道具として利用されてしまう。しかも出世したふくもからんできます。

 さて文四郎は父の汚名を自らの力で晴らし、生き残ることに成功します。サラリーマン侍とはいえ伊達に鍛えていたわけではなかったようです。危機を乗り越え美しく成長したふくと再会し、冒頭の決めセリフのシーンとなります。長い時間を超え、つらい時期を乗り越え、最後の試練も超えて再会して、やっと相手に伝える事のできた想い。でも結局は、一緒になる事ができないという事を確認しただけで終わります。何十年、何百年に一回接近する惑星みたく、長い時間の中でほんの一瞬だけ近づきまた離れて行く、切ない仕上がりになっています。最後に文四郎が池に浮かぶ船に乗って、ごろーんと寝転がり、傍目には船が池を漂っているだけのシーンに、エンドロールが流れ映画は終わります。文四郎は起き上がろうとはしません、池に漂う船がひたすら映されている。文四郎はきっと船に寝転がり、青空を眺めながらふくのことや、父親のことなんかをぼんやりを考えているのだろう。漂う船の上で、起き上がる事もせずに、青空を眺めながら・・・。
 
 ところで例の決めセリフなのだが、子どもの頃ふくが蛇に噛まれ、文四郎が傷の手当をしてあげた思い出に対するセリフなのです。とても残念だなと思ったのは、そのふくが蛇に噛まれるシーン。凝視せずに見ても、明らかにふくは蛇にはかまれていないし、少しも出血もしてなくて、下手な演技にとても安っぽいシーンになってる。別に揚げ足を取る気はまったくありませんが、映画のすべてが凝縮した大事なセリフに関するシーンが、あんなに適当に作られていたのでは、見ている方は興ざめしてしまう。別にリアルにする必要なんかないけど、大事な場面だと思うので、もっと大切にして欲しいです、残念。