共和・民主、両政党の大統領候補2人による3回のTV討論が終わり、2016年アメリカ大統領選挙まであと2週間弱となった。
いよいよ佳境に入ったワケだが、レースは実質的に終わっている。共和トランプと民主ヒラリーの支持率は42:48で6%の大差がつき、国内の大方のメディアが大統領選勝利の目安となる各州の選挙人獲得数270人をヒラリーがすでに手中にしていると報じ、NYタイムズ誌はこのタフな元大統領夫人の勝率が92%にもなるとはじき出した。
ということで、来る11月にトランプ一家がホワイトハウスに引越し、そのイカれた主人が核ミサイルの発射ボタンを常時携帯して世界の命運を握るようになるという、サイアクの悪夢はほぼ確実にさけられたというワケだ。
トランプ逆転の可能性はほぼなくなった。世の中に100%絶対というものはないが、トランプ勝利のシナリオはもはや空想の域に達している。例えば今後、連日に渡ってウィキリークスによって暴露され続けているヒラリーが隠蔽した私用メールの中に、クリントン財団からISに莫大なカネが流れている記録があったり、あるいは今後2週間以内に彼女が無実の人を殺害したりしない限り、勝敗は動かないだろう。来る11月、アメリカ史上初の女性大統領が誕生することはほぼ確実である。
過去、2回の大統領選挙ではオバマがいずれも歴史的な大差で共和党候補を破ってきたが、今回はそれをも遥かに上回る民主の大勝が予想される。
大統領選挙、本番まで2週間に迫り、ヒラリー・クリントンはようやく安全圏に入れた。一方でトランプ転落は当然の結末であり、あまりにも遅すぎたという見方もできる。なぜ、多くのアメリカ人がここまで長期間に渡り正気を失っていたのか。なぜ、あれほどバカげた男がアメリカ大統領の椅子にこれほどまでに近づくことが出来たのか。
だが、その存在は決して笑い飛ばせるものではなかった。国際テロ時代や08年の大恐慌を予想し、時代の預言者の異名を持つフランスの思想家、エマニュエル・トッドでも、日本でのシンポジウムでこの1年続いた世界的なトランプ現象はまったくの想定外だったと口にしている。
ドナルド・トランプの正体とは、破壊的なニヒリストである。
そこにはゴーマンな自己顕示欲以外、何の理念も思想もない。その根源には何らかのやっかいなコンプレックスがあり、それを権力や名声、または暴力によって埋めようとしている。一方のトランプ支持者たちも同様で、自分たちで祭り上げたトランプに自己投影することで自己満足に浸っているに過ぎない。彼らは希望や変革の臭いがするものを片っ端から破壊することで自らの力を過大に誇示しようとする。
それがここまで世界的に拡散したのは、世の多くの人にこういう存在――暴力的なウィルスとでも言えるもの――に対する免疫や抗体がなかったというだけの話には止まらない。ネットとSNSの現代には、人のこころの闇を顕在化させたり、ごく少数の悪人を結束させて、その悪をむやみに拡散させたりするという根源的な負の側面がある。それによってトランプの支持者が増幅したのは事実だが、それだけでここまでの現象は起こせはしない。
トランプ旋風とは第一に、現代を生きる多くの平均的な市民の
こころの奥にあるニヒリズムが引き起こしたものであるハズだ。
この1年、トランプは日本を始めとした世界中のメディアからも熱烈に歓迎された。今年、2016年の世界の顔はまちがいなく、このカツラヘアーの不動産王であったハズだ。
経済で全世界をひとくくりにしたグローバリゼーション。大恐慌以降に顕在化した格差拡大によってそれが破綻し、99%の持たざる者たちはそれぞれ多かれ少なかれ怒りを抱えるようになった。トランプ旋風とは、そんな無数の庶民が極端なポピュリストと異様な共振を示したことで起こったものではなかったか。
トッド同様、僕にとってもこれは完全な想定外だった。つまり、それは特に現代アメリカにおける平均的な市民の絶望の度合いを過小に見ていたということなのだろう。
原因は他にも考えられる。ポスト資本主義への過渡期にある現代のエアポケット状態が、トランプに象徴される虚無と同調したのか。あるいは論理では片づけられない何らかの意思が働いたのか。とにかく、トランプ現象は予期せずして起こってしまったのだ。
3回目の大統領TV討論で最も取りざたされ問題視されたのは、トランプが選挙戦の敗北の受け入れを明言しなかったことだ。その理由は、偏重メディアがヒラリー支持一色に染まっていることや数万人の死者が有権者登録されていることなどで選挙が不正に行われる可能性があるというものだった。
つまり、崖っぷちに追い込まれた末に
陰謀という暴論を持ち出したというワケだ。
ネットの闇には、このようなアメリカの伝統的な選挙不正疑惑の他にも、無数の陰謀論が渦巻いている。それらの大半はアホらしい都市伝説に過ぎない。そして、トランプのコアな支持者たちの多くの出所もまたそこにある。
陰謀論とは大抵の場合、根本的に何か極端な考えを持つ者たちが、明らかな誤りのある自分の立場を強引に正当化するために持ち出すものである。例えばユダヤ系富裕層の巨大資本が世界を不正に動かしているという有名なトンデモ陰謀論もまた、ユダヤ人差別主義者たちによって捏造されたものだ。
一方で、ヒラリーは討論会でこの陰謀論に対し、みごとな反撃を見せた。
トランプはいつも自らの過ちや負けが明らかになっても
決して反省や謝罪をしない。それどころかその過程に
不正があったとして現実を受け入れない。
それが彼のマインドセットだ。
毅然とした物言いでそんな指摘をし、トランプという狂人の本質をえぐりだしてみせた。つまり、彼は過ちを犯しても、それを強硬に否認する。さらに妄想や暴論によって自己正当化する。そういう男であり、それはまさにニヒリスト、悪の極致と言える。あらゆる点で間違った者が、自らの殻、あるいは自らと同類たちが作る殻の中に閉じこもり、悪の度合いを極限まで強めてゆく。それは人間の7つの原罪の核にあるプライド、ごう慢にも重なるものだ。そこには一切の救済はない。
3回の討論会を通じて、ヒラリーは最善をつくしたと言える。日本でも大方のメディアにはトランプの挑発にのらず、もっと冷静に政策議論を深めるべきだった、という彼女への批判も目立つ。だが、トランプが相手では中傷合戦はさけられない。彼は1回目こそ大統領候補らしく振舞ったものの、支持率が伸び悩んだことで2回目の討論会では本領発揮。何と、ヒラリーの夫、ビル・クリントン元大統領の愛人4人を引き連れ、討論会場の最前列に座らせた。そんな場で、一体誰が冷静に議論できるのだろうか。
仮にバラク・オバマが民主党候補だったとしても、中傷合戦になっていただろう。何しろ、トランプは討論会自体を破壊するような言動を続けているのだ。一方が破壊者であれば、もう一方も暴力的にならざるを得ない。
また、このトランプの態度は、この8年オバマ政権下で議事妨害によって政治を破壊し続けた共和党自体にも通ずるものだった。一方が乱暴な破壊者であれば、どれほど穏健で賢明な人物でも――たとえガンジーやマザーテレサであっても――議論や政治を成り立たせることは出来ない。
敗戦濃厚の中でも、 トランプは残り2週間、大統領戦に全力を注ぐだろう。だが、それは敗北を見越した上でのポーズに過ぎないものになるのではないか。3回目の討論後、深夜のTVニュース番組『ユアタイム』の解説者であるモーリー・ロバートソンが興味深いコメントをしていた。
それはトランプが選挙後に極右系のTV局の開設を目論んでいるウワサがあるというものだった。それは現実味のあるシナリオだ。その線で考えると、今トランプはその新たなビジネスの宣伝キャンペーンとして、世界中に注目される大統領選挙を通じて大々的な集客パフォーマンスをしていると言える。
3回目の討論における、彼の暴論――選挙結果への否認や選挙陰謀論――もそれにピッタリと当てはまる。それらはどちらも民主党や政治を超えた、アメリカという国自体に対する破壊的な発言である。アメリカは歴史上、合意と平和の元で権力をリレーしてきたが、トランプは敗北を拒む可能性を示唆した。さらに討論の翌日には選挙で自分が敗れれば訴訟を起こすかも知れないとも語った。またそれに呼応してNBCテレビの世論調査によると共和党支持者の45%もまた、敗北への否認に賛同の意思を示している。
選挙に関する陰謀論もまた、これまでの歴代アメリカ大統領が不正な大衆操作によって生み出されたものだというアメリカへの根源的な非難につながる。
これらのトランプの暴論は、もはや共和党という立場を超えている。
大統領選挙での敗戦が濃厚になった今、
トランプは自身が愛してやまないアメリカをも破壊しようとしている。
破壊的なニヒリストの攻撃対象は無差別であり
自身の最も愛するものや自分自身でさえ、その例外ではないのだ。
そして、こういった過激なパフォーマンスは、極右系のTV局開設のウワサが真実であれば、大きな宣伝材料となる。いずれにせよ、それはポスト選挙後のトランプの支持基盤をより強固にすることになるだろう。
すでに結果が見えた大統領選挙後に、トランプ現象は一気にしぼむだろう。だが、それは極右系TV局なり何なりのベースに集約され、今後もアメリカという国におけるブラック・ホールとして長く生き続けてゆくハズだ。それがじょじょにしぼんでゆくか、あるいは先進国における初の白人系国際テロ組織にまで発展するかどうかは、今は誰にも分からない。
だが、とりあえず世界はほぼ確実にサイアクの事態をさけられる運びとなった。あの男がホワイトハウスの主となり、核ミサイルの発射ボタンを常時携帯するようになれば、ISや北朝鮮よりも遥かに大きなリスクを世界全体が背負うことになっていただろう。
一昔前、「You’re Fired(お前はクビだ)」という大ブームを巻き起こした決めゼリフと共に、TV番組で彼の会社に志願する若者たちを次々にクビにしてきた男は、来る11月、全米の大多数の有権者から「You’re Fired」という言葉を浴びることになる。因果応報とはまさにこのことだ。■