世界恐慌で見えてくる資本主義の終わり、または社会主義融合のユートピア未来 | ユマケン's take

ユマケン's take

デビュー作オンリー作家による政治・文化エッセイ。マスコミの盲点を突き、批判を中心にしながらも
世の再構築をインスパイアする健全なメディア空間を目指している。どなたも引用はご自由に、どうぞお立ち寄りを。



パート・2からの続き)


 最近、大統領選中の共和党がオバマを社会主義者だと非難し始めた。このシリーズはそれをキッカケに始まっている。この最終回では、民主主義と共産主義の融合、またオバマ=社会主義者のテーマを掘り下げ、哲学的なアプローチで、ユートピア的な未来像について書きたい。




capital social



 さて、社会主義と言っても、資本主義とハッキリ区別できるものじゃない。共産主義と民主主義にしてもそう。両者は時代がたつごとに、どんどん混じりあってさえいる。

 マケインのオバマ=社会主義非難にも、自己矛盾がある。

 彼は今月の頭、金融危機を受け、7千万ドルもの国庫救済金を出すことを即決し、多くの上院議員に賛成するように説いて回った。これは国民生活への救済でもあるが、同時に国によるAIGなどの巨大民間企業の買収だ。

 なので、明らかに社会主義的な政策だ。このマケインの矛盾について、CNNのジャーナリストがサラ・ペイリンとの対談中に問いただした事もある。が、もちろんまともな答えは返ってこなかった(笑。 また、この莫大な国の買収劇の先頭に立っているのは、ブッシュだ。大きな政府を何よりも嫌う共和党でさえ、今、社会主義に寄りかかっている。



 11月の中旬に、2度目のG8経済サミットがアメリカで予定されている。そこでも世界は足並みそろえて、大企業への大規模な国有化を宣言するだろう。

 1929年の大恐慌では、こういう取り組みがなかったため、長期に渡り世界中が貧困に悩まされた。貧しい時代は人々がいがみ合い、かつ夢を売る独裁者が出るもので、10余年後に第二次大戦が始まる。今もし80年前と同じように国家が金融市場を放置していれば、様々な戦争のキッカケになっていたかも知れない。

 

 80年前と較べると
世界の資本-民主主義国家は、遥かに社会主義化している。今、それらの国を社会主義が救っている、少なくとも左派的な発想が救っていると言える。

 実際、最近は、社会主義国やソーシャリストたちが世界中で勢いづいている。資本主義が社会主義に移ることはあり得ない。 しかし、80年前と同じく大恐慌によって、その2つの主義がより混じりあうことだけは確かだろう。




オバマ 社会主義




 “オバマは社会主義者か?”このシリーズ記事のテーマについて、考えてゆこう。第一にオバマの経済政策を理由に、マケインが彼を社会主義者呼ばわりするのはマチガイだ。オバマが大統領になれば、経済プランの核は富の再配分になる。が、それは基本的に税制改革によるもので、政府を企業買収に走らせるワケではない。


 

 では、根本的なレヴェルで、オバマは社会主義者ではないのか?

 それはもちろん大統領になってみないと分からない。が、少なくとも旧ソ連的なコミュニズムに傾くことはあり得ない。彼がスターリンみたいになるなんて、誰が想像できるだろうwww。

 何しろオバマのライフ・ストーリーそのものが、アメリカン・ドリームだ。ハワイ生まれの貧乏少年が大統領選にまで出たストーリー。彼は自らの最大の政治使命が、それを後世のアメリカ人に託すことだと、度々口にしている。 

 しかしそれでも、彼と社会主義、またはコミュニズムの結びつきを否定できるだろうか? 



Democracy is the Road to Socialism
 そこで、カール・マルクスを交えて考えてゆこう。共産主義のシンボル、いわずと知れた経済学者、哲学者だ。

 しかし、僕は彼について書かれた本(カラタニさんとかの)を幾つか読んだに過ぎず、飽くまで基本的なイメージを借りるだけという事を前置きしたい(笑。

 

 マルクス的な目で見ると、極端に言えば、今は民主・資本主義の晩年であり、社会主義革命をはらんだ時と言えるだろう。その先には、ソ連や中国では果たせなかった、1つ次元の高い共産主義がある。僕自身のマクロな現代観も、こういう流れになる。

 

 カール・マルクスはさらに、カネに格差、国家さえもなくなる未来を信じていた。彼の時代を超えた人気は合理主義者の反面、こういうロマンスを持っていたとこにあるだろう。

 マルクスは共産主義が強まるにつれ、権力は弱まり国家も消えると信じた。 

 バラク・オバマ。僕が彼に魅かれる最大のポイント。それは、このユートピアが彼の中、その考え方や政策に感じられるからだろう。彼が8年の任期を得れば、アメリカの中に初めて明確に共産主義が混じ入るのでは。そんな想いさえある。




 資本主義。それは人と人との間、交換に損得が出ることを基準にしたシステムだ。売る側は得をして、買う側は損をする、資本家と労働者の間でもそう。カネがそれを絶対的に義務づけている。

 そのカネの正体、その本質は人間の優越欲だ。

 もちろんそれも大切だ。大勢の中で1番になりたい、または特定の個人へのライバル心だって大切。物欲だっていい。Wii欲しさに中間テストの猛勉強をする学生の姿は微笑ましい。そういうものが今、資本主義型の世界を進化させている。


 しかし、理想や夢はそれに劣るのか? 向上心というマインド・ウォー、個人の心の中の戦いが、人のモチベーションになり、文化の進化を促す事もある。それこそが1番に大切なものだ。

 それを優越欲や物欲が超えたり、競争心が情熱を超えたりした所、そこにこの世の地獄が存在する。そこから、あらゆる悲惨なニュースが生まれる。9.11や今月起きた大恐慌は、資本主義の終着駅と言える。




Karl MARX
john lennon illustration




 資本主義のカネ、それはまた、人間同士の不信感のシンボルだ。もちろん疑いも大切だ。より深い理解は、人や物事への疑いで得られる。しかし人間間の本質に、疑いがあっていいんだろうか。

 無数の他人同士が心の底から信じあっていれば、マルクスのいう友愛で結ばれていれば、カネは必要ない。果物屋で、カネをはらわずにバナナをバッグに入れた男がいるとしよう。しかし店主が、彼はその分働いているのだと思えれば。また男が実際、その通りの人ならば。2人は笑顔で別れることができ、社会全体も機能する。

 

 そんなバカな!と思う人の気持はよく分かる。
しかし、これをファンタジーと言えるだろうか?人がモラルや倫理を自然と身につけ、それを実行にうつす意思の力を合わせ持てば、世界は変わる。

 すべては心の問題だ。資本主義は、不信と優越欲、つまり人間間の断絶を第一原則にして出来ている。絶望を前提にしたシステムとも言えなくはない。

 

 人の心が飛躍すれば、民主・共産主義といったイデオロギーさえ風化する。それが混ざり合って空気のように満ちる。

 そこには、カネも権力も軍隊もない、生活のための労働もない。と書けば、タイクツな世界のように想われるだろう。しかし最もシンプルな人間性、つまり純真さこそが、文化的な自由、多様性の元である。友愛の世にも、快楽やゼータクや興奮は共存される。
 

 もちろんそれは夢だ。僕にしたって、そんな世界の1員になれる資格などどこにもない。

 しかし、カール・マルクス、ジョン・レノンにジム・ジョーンズ。彼らはこんなユートピアを持ち、そして人類が存続する限り、いつか叶えられる世界だと信じていたのではないだろうか。

 beautiful kids


 しかし、実現されたとしても遠い。あまりにも遠い未来の事だろう。

 ドラえもんがいる。人の寿命が千歳まで延びる。光の速さで銀河系を旅行できる。そんな科学的進化を遂げた未来でも、このユートピアだけは達成されてないのかも知れない。 

 が、よく見れば、それは今の世界にも存在する。

 5歳くらいまでの子供達。彼らの中には、今書いてきたような世界が垣間見える。

 幸運にも僕には小さな小さな友達がいる。最近も3人で遊んだが、彼らはどんなものも先ず真実として、それが自分に友好的なものとして受け取る。どんなに醜く汚らわしいものでも、

 最初のステップは友愛だ






にほんブログ村 ニュースブログ 海外ニュースへ
オモシロいと思ったら、CLICK ON PLEASE!