人間って脆いんだよなぁ・・・

 

そんなことを、昨日思い、うーんと考え込んでしまいました。

 

というのも、ザ・ノンフィクションというドキュメンタリーで『孤独の後始末請け負います』を見たから。

 

簡単な説明をすると、孤独死をされた方の家の掃除・・(特殊清掃)を生業となさっている高江洲さんのドキュメンタリー。

 

現場は死後発見されず、数週間たったところが多く・・・

 

死因も病死であったり、自殺であったり・・・

 

テレビを通してであっても堪える現場です。

 

ネットで探して頂ければ、まだ見れるところもあると思うので、気になる方は是非一度見てほしいです。

(とても素晴らしいドキュメンタリーですが、落ち込みが酷い人や苦しい時はご覧にならない方がよいかもしれませんあせるあと感受性の強い方も・・・)

 

 

このドキュメンタリーの中で、私がうーんっとなってしまったところは、37歳の女性が自殺した部屋を清掃する場面。

 

私も叔父を自死で亡くしました。

 

様々な外的要因はありましたが・・・

 

心の孤独死だったと思います。

 

見つけたのは私の母親でした。

 

もう8年前になります。

 

今でも過去のことにはできていません。

 

自殺というキーワードだけで、少し敏感になってしまうところがあります。

 

 

ドキュメンタリーの中で高洲江さんは、こう言います。

 

「自殺でなくても案外死のうと思えば、ピタッと止めることができるんじゃないかって、自分の命の火を・・・」

 

私も、叔父の死を通して、同じようなことを何度も何度も思ったことがあります。

 

叔父の直接の死因は自殺でしたが・・・

 

叔父自身、もう何カ月も前から生きることをやめてしまったのではないか。

 

それも、いとも簡単にピタッとやめてしまったんではないか、と。

 

 

人間って、本当に脆いって思います。

 

自殺は事故のようなもの・・・

 

そう言われた方もいました。

 

生きる気力がないところで、自殺行為をしてみたら本当に死んでしまった。

 

そんなことも多いのではと・・・。

 

 

お客様の中で・・・稀にですが、自殺を考えているというようなことをおっしゃられる方がいます。

 

状況やお客様の心境から考えて、自殺はないとわかっていても、ヒヤッとします。

 

なぜなら、覚悟を決めた者だけが自殺するというわけではなく、フッと(どうなってもいい)と思った瞬間、本当にそうなってしまったということもあり得るからです。

 

 

ドキュメンタリーの中でもありますが、人は人に必要とされていないと生きる希望を失ってしまいます。

 

お客様が「死にたい」とおっしゃるとき、現状が辛いというよりも、人に必要とされていない孤独感が、そういう言葉を言わせるのだなと感じます・・・

 

 

だけど、傷つけられ、憎しみでいっぱいになって、もうこの世から消えてしまいたいと思うほど孤独と絶望を感じたとしても、人に必要とされる生き方を模索すれば、生きる意味が見えてきます・・・。

 

口で言うのは容易いですけれどね・・・。

 

 

ちょっと思ったのですが・・・

 

世の中は、セラピーやらなんやら、心に優しそうなものが色々溢れていますが・・・

 

もしかしたら、それらは表面だけの慰めで、人をダメにしている側面あるかもですね・・・

(すみませんあせる一部しか見ないで言ってるところ、あるかもです)

 

いつ、誰がどこでポキッと折れてしまってもおかしくない脆い現代人の心に必要なのは、未来を創る力、創造力なのではないでしょうか。。。

 

創造力というと、素晴らしい未来を創る!みたいな究極のキラキラ人生を想像しちゃう人が多いと思うのですが、私の思うものは、そんなキラキラじゃなく、もっと地味なものでいいと思うんです。

 

年を重ねたら、自分の限界がわかってきます。

 

理想と現実も身に染みてよくわかります。

 

だからこそ、若いころより、ピッタリ合った自分のできることが見つかると思うんですよね。

 

 

プラスかマイナスか、白か黒かだけの成功や幸せだけでは、ほとんどの人が脱落してしまいます。

 

プラスもマイナスも、白も黒も、織り込んで、納得できる人生が大切なんじゃないかと思います。

 

キラキラしたものは結果としてついてくるものであって、あってもなくても、どっちでもいいんじゃないでしょうか。

 

 

こういったテーマは、色々お話したいことがありすぎて、まとまりがつきませんね(^^;

 

少しずつ整理して、これからも触れていきたいと思います。