
本日夜勤

仮眠出来るか出来ないか…

行けばわかる

さて…
一つずつ出すのがもどかしい程、画像が少ない城跡があるのでまとめてアップ


秋月城跡

形式は平城。延徳年間(1489~1492)、日前宮を保護するために第64代紀伊国造紀俊連が築城し、飯垣周防守が城主を務めた。戦国時代に至ると太田党の支城となり、天正13年(1585年)の羽柴秀吉による紀州征伐の際、城兵は城を放棄して太田城に集結したという。現在の日前宮の北側にあったとされ、県道145号(通称宮街道)沿いの農地に堀と曲輪跡があるのみ。

見た目畑です(笑)
土地の方が農作業をされていました

県道の歩道から撮ったものですが、右側の土盛りあたりが本丸の北東部になり、中心にある小屋あたりまでが堀跡、奥は曲輪跡だと言われています

城跡に関する碑や案内板は無いですが、スーパーエバグリーンと焼鳥屋の間あたりです

続きまして…

中野城跡

形式は平城。貴志氏の居城であったが後に雑賀衆の支城となり、織田信長の紀州攻めの際は前線基地となるも天正5年(1577年)2月に落城。交通の要衝であったこともあり、落城後は織田軍の本陣となった。現在は貴志南小学校とオークワ(旧称パームシティ)の間にある住宅地に石垣のみが現存しています。

土入川の堤防から住宅地に入ります



かつては堀跡もあったそうですが今は埋められて田んぼになっています

表に回れば碑と案内板がありますが、住居は住まわれていますので散策の際は一声掛けるといいかと思います

3ヶ所目…

木本城跡

鎌倉初期に木本宗保が築城。宗保は平安末期に紀州最大の武士団を率いた湯浅宗重の孫で木本荘を領したことから始まる。現在の警察学校の南西にある城山にあたりますが南側は宅地造成で切り崩されています。

北東側から撮る



北側から撮る

城山の北側を通る道は大阪の岬町多奈川まで続いている旧道のようです

この木本城も交通の要衝を抑える役割を果たしていたのかもしれません

4つ目…

岡山城跡

形式は山城。紀伊守護畠山高政の築城と伝わる。三年坂の切り通しを挟んで向かい側にある和歌山城築城の際に取り込まれたため、廃城時期はそれ以前と思われる。現在は大半が和歌山大学付属小・中学校の敷地となっているが北側は奥山稲荷神社や岡山時鐘堂、県立近代美術館、県立博物館等がある。
写真は1枚しか無いのですが、和歌山城天守閣から撮りました

市内が一望できます

変なタワーから見るよりここからの眺めが一番良いですね


明日は夜勤明けなので、寝落ちする可能性あり


期待しないでください(笑)
