レフチェンコ事件
レフチェンコは、1941年にモスクワで生まれ、モスクワ東洋学研究所で教育を受けた。GRUに2年間勤務した後、KGBからの初任務を1968年に行った。1971年には諜報部の正規職員となり、1975年には日本での諜報活動のため、ソ連の雑誌「新時代」(Новое Время)のジャーナリストとして東京へ送り込まれた。
1979年10月にアメリカへ亡命。1980年代前半にアメリカ議会などで、KGBによる日本のスパイ組織網に関する証言を行い、さらにKGBの日本人エージェントおよそ200人の名前を供述した。
リストには、自由民主党の元労働大臣石田博英や日本社会党の元委員長勝間田清一、サンケイ新聞編集局次長の山根卓二氏(コードネーム「カント」)、読売新聞の外山四郎記者(トマス)、テレビ朝日の三浦甲子二専務(ムーヒン)。実名は不明ながら、サンケイ新聞東京版記者で山根編集局次長と別人のコードネーム「デービー」、東京新聞記者「カミュ」、共同通信記者の「アレス」、大手新聞元モスクワ特派員の「アギス」、フリージャーナリストの「ドクター」の存在が明記されている。
ミトロヒン文書
元ソ連国家保安委員会(KGB)要員ワシリー・ミトロヒン氏が1992年の英国亡命の際に持ち出した大量のKGB資料から成る。大部分は99年に英国の学者との共著で刊行された。またアフガニスタン関係の文書は米ウィルソン・センターの「冷戦国際歴史プロジェクト」に寄贈された。今回出版されたのはアジア、中東、中南米、アフリカに関する部分。同氏は22年生まれで、48―84年KGBに勤務し、機密文書の保管などを担当。2004年に死去した。
ミトロヒン文書ではKGBによる日本のスパイ組織網に関して、東京新聞記者の「コーチ」、朝日新聞の「BLYUM」、読売新聞の「SEMIYON」、産経新聞の「KARL」(あるいは「KARLOV」)、東京新聞の「FUDZIE」、社名不詳大手新聞の「ODEKI」、社名不詳ジャーナリストの「ROY」の存在が指摘されている。
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いやはや、日本はスパイ天国という話を聞きますが、すごいですね。マスコミがスパイを禁止する法案に反対するのは、自分たちがやっているからかもしれませんね。テレビ朝日の専務が旧ソ連のスパイだったって、シャレになってません。結局、これらの人々は、逮捕どころか、何の取り調べも受けなかったようです。
ミトロヒン文書では、旧ソ連の諜報組織KGBが日米関係を悪化させるために、東京湾で原子力潜水艦を爆破する計画をしていたことがあったことも暴露しています。それでも、マスコミはスパイの取り締まりに反対するのでしょうか?
また、旧社会党は旧ソ連から工作資金を受け取っていたことも、発覚しています。憲法9条を平和憲法と呼び、自衛隊を縮小して廃止し、日米安保も反対するという非現実的な政治姿勢は、これが原因なのでしょうね。ちなみに旧社会党の議員の多くは、民主党に合流しています。しかし、当時大騒ぎにならなかったのは、本当に不思議です。
戦前のゾルゲ事件で旧ソ連のスパイが発覚し、処刑された尾崎秀美は、近衛文麿元首相のブレーンでした。近衛首相は、当時中国問題の専門家として知られていたスパイ尾崎の発言を採用して、日中戦争の停戦交渉をやめてしまった経緯があります。もし、尾崎が早期にスパイである事が発覚していれば、日中戦争は早々と停戦し、310万もの犠牲者を生んだ太平洋戦争は無かったかもしれません。
ミトロヒン文書(Web東奥/ニュース百科)
http://www.toonippo.co.jp/news_hyakka/hyakka2005/0920_14.html
スタニスラフ・レフチェンコ(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B3
参考記事
ミトロヒン文書とレフチェンコ・メモ(黒井文太郎の「スパイ&テロ」)
http://wldintel.blog60.fc2.com/blog-entry-41.html
レフチェンコは、1941年にモスクワで生まれ、モスクワ東洋学研究所で教育を受けた。GRUに2年間勤務した後、KGBからの初任務を1968年に行った。1971年には諜報部の正規職員となり、1975年には日本での諜報活動のため、ソ連の雑誌「新時代」(Новое Время)のジャーナリストとして東京へ送り込まれた。
1979年10月にアメリカへ亡命。1980年代前半にアメリカ議会などで、KGBによる日本のスパイ組織網に関する証言を行い、さらにKGBの日本人エージェントおよそ200人の名前を供述した。
リストには、自由民主党の元労働大臣石田博英や日本社会党の元委員長勝間田清一、サンケイ新聞編集局次長の山根卓二氏(コードネーム「カント」)、読売新聞の外山四郎記者(トマス)、テレビ朝日の三浦甲子二専務(ムーヒン)。実名は不明ながら、サンケイ新聞東京版記者で山根編集局次長と別人のコードネーム「デービー」、東京新聞記者「カミュ」、共同通信記者の「アレス」、大手新聞元モスクワ特派員の「アギス」、フリージャーナリストの「ドクター」の存在が明記されている。
ミトロヒン文書
元ソ連国家保安委員会(KGB)要員ワシリー・ミトロヒン氏が1992年の英国亡命の際に持ち出した大量のKGB資料から成る。大部分は99年に英国の学者との共著で刊行された。またアフガニスタン関係の文書は米ウィルソン・センターの「冷戦国際歴史プロジェクト」に寄贈された。今回出版されたのはアジア、中東、中南米、アフリカに関する部分。同氏は22年生まれで、48―84年KGBに勤務し、機密文書の保管などを担当。2004年に死去した。
ミトロヒン文書ではKGBによる日本のスパイ組織網に関して、東京新聞記者の「コーチ」、朝日新聞の「BLYUM」、読売新聞の「SEMIYON」、産経新聞の「KARL」(あるいは「KARLOV」)、東京新聞の「FUDZIE」、社名不詳大手新聞の「ODEKI」、社名不詳ジャーナリストの「ROY」の存在が指摘されている。
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いやはや、日本はスパイ天国という話を聞きますが、すごいですね。マスコミがスパイを禁止する法案に反対するのは、自分たちがやっているからかもしれませんね。テレビ朝日の専務が旧ソ連のスパイだったって、シャレになってません。結局、これらの人々は、逮捕どころか、何の取り調べも受けなかったようです。
ミトロヒン文書では、旧ソ連の諜報組織KGBが日米関係を悪化させるために、東京湾で原子力潜水艦を爆破する計画をしていたことがあったことも暴露しています。それでも、マスコミはスパイの取り締まりに反対するのでしょうか?
また、旧社会党は旧ソ連から工作資金を受け取っていたことも、発覚しています。憲法9条を平和憲法と呼び、自衛隊を縮小して廃止し、日米安保も反対するという非現実的な政治姿勢は、これが原因なのでしょうね。ちなみに旧社会党の議員の多くは、民主党に合流しています。しかし、当時大騒ぎにならなかったのは、本当に不思議です。
戦前のゾルゲ事件で旧ソ連のスパイが発覚し、処刑された尾崎秀美は、近衛文麿元首相のブレーンでした。近衛首相は、当時中国問題の専門家として知られていたスパイ尾崎の発言を採用して、日中戦争の停戦交渉をやめてしまった経緯があります。もし、尾崎が早期にスパイである事が発覚していれば、日中戦争は早々と停戦し、310万もの犠牲者を生んだ太平洋戦争は無かったかもしれません。
ミトロヒン文書(Web東奥/ニュース百科)
http://www.toonippo.co.jp/news_hyakka/hyakka2005/0920_14.html
スタニスラフ・レフチェンコ(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B3
参考記事
ミトロヒン文書とレフチェンコ・メモ(黒井文太郎の「スパイ&テロ」)
http://wldintel.blog60.fc2.com/blog-entry-41.html