大井沢湯殿山神社 | 心に光を呼びます Padme★yuki

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誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 

 


出羽三山パドメツアーが終わって
羽黒山荒澤寺へ行き、
大井沢の宿・孝庵に宿泊。

 

 

 


のどかな風景です。
あの山は、金池山。

お宿の名刺です。

 



素敵な写真を使ってますです
あたたかいお人柄が伝わりますね


早朝、湯殿山神社へ行きました。
6時くらいに出発したかな?

宿坊だった頃から
このお宿を護ってる松の木。

 


朝露が綺麗でした



通りすがりのチワワカメラ目線(笑)

 

 

 

 


もともとは、
大日寺と呼ばれていたのですね。
湯殿山は大日如来ですから。
(前の記事参照)

大きく『湯殿山』と掘られた見事な石↓
前夜に、女将さんから
「山という字の、丸いところに頭を入れるといいことあるのよ」
と聞いていたので
ここかなぁ?と
みんなで頭を突っ込みました。

 

 


どお~?

私もやってみます。

 

 


何を指さしてるかというと
カラスが笑ったので!

それもそのはず、
通りすがりのおじさんが
「そこじゃないよ~」
と教えてくれました(笑)

ここです!!

 

 

 

 



ここで、30分くらい遊んでしまった・・・


この元・参道の両脇には
お堂の跡がありました。

 

 


 

 

 



こちらは神社の手前の
中村地蔵堂

 

 


 

 

 


真ん中には大日如来です。
左は、布のようなリボンのようなものが
ぐるぐる巻きになっててよくわかりませんでしたが
着物の袂のようなかんじだったし
飾ってある絵が
お裁縫のものだったので

 

 


淡島権現(明神)かもしれないですね?
淡島権現では、針供養などしますので。

前の記事にも書きましたが
出羽では、
大昔から
不動明王=地蔵菩薩
とされているようです。

 

 


両脇にいるのは、
不動明王の脇にいつもいる
セイタカ童子とコンガラ童子です。
これが定番↓

 

 



定説では、
不動明王=大日如来
地蔵菩薩=閻魔大王
なんですが
これはまた新たな局面!
こだわりを持たず、
真っ白な心で感じていかねば。


湯殿山神社へ入ります。



山門をくぐって
左側に大きな広い敷地がありました。

 

 


本堂跡です。
ここを見たとたんに
湯殿山神社って、
こっちが本物じゃないの!?
と、言ってました。

申し訳ないけど
現在の湯殿山神社は
パドメツアーご参加の方々には
不評でございます。
あれが神社?うそでしょ?
ってかんじ。
まったく、ありがたくない(笑)
奥の方の崖っぷちは
下の方から良い気が来てましたが
神社に対しては
みんな一様に
感想がありませんでした(笑)
なにこれ?
ってかんじだったのです。

だから
中のことは他言無用なのかな?(笑)

こちらの
大井沢湯殿山神社は
他の湯殿山神社の分社と区別するように
大日寺跡湯殿山神社
と呼ばれているそうです。
(wikipedia)
金色山大日寺
という名だったそうです。
『妙学坊文書』によると、
大日寺は、天長年間(824 - 34年)に
空海によって建立されたという。
その後荒廃していたが、
応永年間(1394 - 1428年)に

道智という僧が
「道智道」を整備して
中興の祖となり、

湯殿山別当寺4ヶ寺の1寺として、
羽黒修験道の拠点となった。
大日寺の最盛期は江戸時代である。
貞享元年(1684年)に勅命により、
国家鎮護玉体安穏の祈願寺となった。
これ以降、江戸の誕生院から
280匁の大鐘が奉納されるなどして寺勢が強まった。
大日寺は、霊験あらたかな
「日本七大霊場」の1ヶ所
にも数えられた。
大日寺を発って出羽三山へと向かう行者の列は、
「湯殿まで笠の波打つ大井沢」
と詠まれるほどで、
当時の伽藍は6軒7坊を数え、
大井沢には26坊もの宿坊があったと言われる。

(その一つが私たちが泊った宿なのね)


地図で見てみてください。


月山を中心に
三神山として見るなら
配置的に
大井沢の方がしっくりくると思いませんか?
 

 


神社の本殿にお参りしてから
この敷地をぐるりと回りました。


 

 

 


 

 

 


後ろに↓、神社の社殿が写ってます。
寺跡の広さがあまりに衝撃的で、
社殿を撮ってなかった(笑)

 

 




象頭神と青麻神

 

 


象頭は、どう考えても聖天。
ガネーシャね。
青麻は、青い身体といえば
青面金剛。
シバね。
 

 

平将門の家来だった
兼続(かねつぐ)が
名前を変えてここで暮らした・・・
その名前が、志田弾正(しだだんじょう)
その石碑とPさん。


お墓は、別の場所だと思いますが。


神社の社殿の右側の方へ行きました。

道智上人像がありますが
烏帽子をかぶっています(笑)
廃仏毀釈で壊されないように
烏帽子をかぶせたのでしょうね。
石像じたいも新しいものですし。

 

 

 


Pさんと、ご縁を結びました。

ふりむくと
Sちゃんが、ここで
土下座をしておでこを土にくっつけて
お祈りしてました。


ちっちゃな石の祠の前で。

本人も、わけがわからず
そうしてしまったとのこと・・・

ここに何があったのでしょうね・・・

というか、Sちゃん、ここにいたよね!?
おんなじ顔で、レレレのレ~って
お掃除してなかった!?

小坊主さんで、いたような気がします。

その間、Lちゃんは
大僧正たちのお墓で泣いてました。
私も、大僧正たちにご挨拶。


すると、
あ、そうか
みなみなさまを天へとお上げするのですね~

ここが壊される時
身体をはって護ろうとした僧侶たちは
無残に斬り殺されました。
(そんな場所が全国にある)
きっと
羽黒山の寂光寺(現在の三社合祀殿)のように
ここも立派な神社に改組するつもりだったのかもしれませんが
僧侶の御霊たちが
そうはさせなかったのかもしれません。
だから、寺社は破壊され、燃やされた。
湯殿山神社は
別の場所に設けられた。

本尊であった
大日如来
阿弥陀如来
観世音菩薩の3像を
米沢市小野川の宝珠寺に、
地蔵菩薩像を当時の大井沢村長に譲るなどし
(当神社前にある
中村地蔵尊は、
(上に写真出ています)
大井沢村長に引き取られた
地蔵菩薩を本尊としている)
寺宝は大日寺に縁のある諸寺院や
個人に引き取られて散逸した。
明治36年(1904年)に火災が発生し、
絢爛な伽藍は仁王門、山王堂、鐘楼を残して
全て焼失した。


みんなには何も言わずアゲアゲしたのですが
終わったあと、
Lちゃんが
「今、ユキさん、昇天させてましたよね?
すんごい勢いだった!
自分もあがってっちゃうかと思った!」
と(笑)


コラコラ
あがっちゃダメー(笑)



こんな写真を入手しました。

湯殿山のご神体だそうです。
資料として残ってるものです。
女陰らしいです。
(ってことは、女神か)

現在の湯殿山神社へ行った人ならわかると思うけど
ちがうよね?(笑)
この中の1個の岩を運んで作ったような・・・

あら
言っちゃいけないんだっけ

(笑)


大僧正たちのお墓の中に
おでん串みたいな宝塔が・・・


なんだろ?
と思っていたら
いでは記念館で発見。

 

 


開山牛玉法印の版本
下の雲みたいな中に
同じ形のものがあります。

五輪塔でした~


意味わかんね~(笑)

みなさまも、
こんなもんを理解することが
悟りではないし
真理でもないので
ご安心を~(*^^)v

簡単な意味としては
上から
空(青)
風(黒)
火(赤)
水(白)
地(黄)
これでい~のだ(*^^)v

 



それから
こちらの石碑

 

 


梵字があって
湯殿山
と書かれているものがたくさんありました。
この梵字なんだろう?
あんまり見たことない。
と思って、調べてみました。

 

 


へぇ~
だいたい、梵字っつーと
こっちばっかりだもんね。↓



胎蔵界での大日如来をあらわし、
五転具足のア字
というのだそうだ。
「五転具足」で調べても、
仏具五点セットしか出てこない。
でも、最大限に正装した仏具セットってことだから
きっと、そういう意味なんだろう~
(わかったようなわからないような)
五仏合体!!
ってかんじかな?
( ̄∀ ̄)
三面大黒天的な?

でね。
上の写真は、境内の中の方にあったのだけど
神社への入り口の同じ石碑は
梵字が削られてました。


これに、どんな意味を感じる?

前の記事の龍騎大神だって
よく見ると、下の方、折れた痕があるの。
地震などで折れた?
それとも、折られた?



山門の脇には、湧水が出ています。



この池に
いろいろとやりましたです。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



気がつけば
朝ごはん7:30からって言ってたのに
すでに8:30!!
ちょっと参拝・・・のつもりが
とんでもございませんでした!

あわてて宿へ戻ると
女将さんが心配して外に出てました。

 

 


ごめんね~!
でも、大発見~!


というわけで
これが早朝の出来事。

まだまだ
濃い~一日は続きます。


次は、月山湖へ行きます。
つづく・・・