厄神って誰のこと? | 心に光を呼びます Padme★yuki

心に光を呼びます Padme★yuki

誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。






前の記事から続いて・・・


この、厄神大権現を探ります。


厄神

(うしとら)の金神(こんじん)
かぶります・・・

艮=丑寅=北東
=鬼門の金神


北東は鬼門といわれていますが
本当は、一番エライ
(一番おっかない)
神様がいる位置
だから
大切にしなければならない
ということ。


金神
というからには、金色なんだろうな
と考えるのは、突飛ではないですよね?
金色の神様で思い浮かぶのは
金龍

    ↑ 
浅草寺の雷門にいる金龍像です。

金龍は、雷神の
『うしろの正面』
になっています。
風神・雷神の門の
内側にあるんです。

『うしろの正面』
というのは、
かごめかごめの歌詞にありますが
昔、神社の祭神の姿は
社殿の背面にあったのです。
ですが
ほとんどの神社の壁の彫刻は
剝がされています。
あったんですよ。本当は。
のっぺらぼうではなかったんです。

なぜ、剥がされたのか?

ほとんどの神社が
アマテラスではなかったからです。

天皇を唯一絶対の神にするには
都合が悪いので
神仏分離令の時、
廃仏毀釈のどさくさに紛れて
剥がされたんでしょうね。

アマテラスを祀れ!!

いったい、誰がそこにいたのでしょう?
琴を弾く女神と
それに聴き入る龍の図
だと思います。
名前は、なんでもいいですよ(笑)
あなたの好きな女神の名前で。
どれで呼んでもハズレではないです。
ただ
アマテラスではないです。


浅草寺は、金龍山という山号で

本堂の正面は金龍が祀られ
その、ま裏には、聖観音が祀られている。

↓ 金龍アップ(ピンボケですが)
ふだんは、隠れてるようです。


『うしろの正面だあれ?』
に基づけば
金龍=聖観音

あれ?昨日のあの図の真ん中は・・・

聖観音でしたね!!
おやおや~?



日月(ひふみ)神示では、
艮の金神
国常立命(クニノトコタチのミコト)

としています。

出口なおに降りてきたメッセージも
艮の金神
元の
国常立命

と名乗る神からです。

国常立命の
『常トコ』は、『底』や『床』ともいわれ
土台を立ち上げた神ってことのようです。
要するに、性質を当て字にしただけで
本当の名前ではありません。
他の神々もそうですけどね(笑)

古事記・日本書記では
世界を創造するはじまりの神として
神世七代の一人として登場。

吉田神道では、
アメノミナカヌシ、トヨウケヒメと同一とみていて、
大元尊神(宇宙の根源の神)とされています。

出口なおの夫の応仁三郎は
霊界物語の中でこう話しています。(はしょってます)

最高神のミロクの大神=月の大神がいる。
鱗はないが、
青水晶のような龍蛇神の姿
 
(シヴァ神と、インドの薬師如来は青い身体

天地を開くのに苦労していたところへ
閃光を放つ16本の角を生やした
日の大神(やはり龍蛇)
が現れて
天地を開いたら永久に日を照らすという約束をする。
そこへ、
金色の龍蛇である
国常立命
が現れて
世界を造る手伝いをさせてほしいと願い出た。
そこで、ミロクの大神は、国常立尊に
天地創造を任せることにした。・・・・・

(この部分は、ピピンと来ます)
(でも霊界物語すべてを鵜呑みにするつもりはありません)


薬師如来の瑠璃(青い)光は
薬師如来が発する光そのものなんじゃないのかな?
ま、それはおいといて・・・


金色の龍蛇の神は
国常立なら
浅草寺も国常立を祀ってるということ?
金龍=聖観音=国常立
すると、
あの九曜紋の配置って
浅草寺そのものだったりしてね?

でも
私の考えてる絶対なる三神では
金龍=聖観音=国常立=阿弥陀如来
なのよね・・・

熊野本宮では
阿弥陀如来は、
家都美御子(ケツミミコ)の神
薬師如来は、
御子速玉(ミコハヤタマ)の神
という
本地垂迹(ほんじすいじゃく)があるそうです。
本地=仏
垂迹=神
で、同一ということです。

家都美御子(ケツミミコ・ケツミコ)は
櫛御食(クシミケ)の神とも同一。
クシミケの神は、熊野大社のご祭神。
スサノオと同一とされてるらしいけど
ちょっと待って。
櫛って・・・
櫛稲田姫の櫛
じゃん。
しかも
櫛はやはり奇魂(くしみたま)の意味。
稲田と御食は、
どちらも食べ物を意味してない?
漢字ちがえば、
ミケは御餞(ミケ)で
やっぱり食べ物のこと。

熊野大社の祭神
伊邪那伎日真名子
イザナギノヒマナコ 
加夫呂伎熊野大神
カムロギノクマノオオカミ
櫛御気野命
クシミケノミコト

って書いてあるんだけど

これさ・・・

三人いるわけじゃなくて
イザナギのひ愛子(まなこ)である神聖なる祖神のクシミケのミコト
という意味なんじゃないの?
しかも、
祖神なのに、
愛子とは、
これいかに。

もしこの推理が通るなら
熊野の大神は
祖神であり
国を土台から立ち上げた
国常立と同一

とするのも
不思議じゃないよね?

ちなみに、
ケツミコ(ケツミミコも同じ)は
(ケツ) 
環の一部分が欠けた玉の佩び物
要するに、
勾玉の装飾品ってこと。
パワーストーンの勾玉をいっぱいつけた御子
ってことだね?(笑)

熊野のご祭神は
ケツミコ 
ハヤタマ 
ムスビ

の三所権現が基本。

速玉
は、
他の神社の名前と祭神から考えて
スサノオでしょ?

ムスビは、
ケツミコとハヤタマを結ぶ
アメノミナカヌシ的なかんじかしら?



たくさんたくさん神を細分化して
真の神を見えなくさせて
うそっぱちの神話を作って
天皇こそが絶対の神であるとしたかったのね。

ハナシを元に戻して・・・

本地垂迹で、
ケツミコは阿弥陀如来
ケツミコが、国常立だとしたら
国常立=阿弥陀如来
という推理も
イケる?

ということは
話が元に戻って、
艮の金神という
厄神
天皇こそが絶対の神だという主張を
覆しかねない神
朝廷にとっての
恐ろしい厄神
ってことじゃないですかね?


ちなみに
伊勢では
伊勢神宮に古代からいる太陽神を追い出して
新しい太陽神が入った
という民話があるらしいです。
その古代からの太陽神は
北東の方角へ行ったとか・・・

妙見信仰が盛んになったのは
太陽神を朝廷に奪われ
偽物の太陽神を崇められないとした民が
天の不動の星である北極星を
代わりに崇め始めたのではないかな?

だから
六芒星出雲の神は
 △  光を失い

亀甲になった
んじゃね?